「代官山17番地 1996~1998」   ハービー・山口 撮影・著

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私の生活空間では、FMラヂオがBGMになっている。

最近のマスト・プログラムは、ロバート・ハリスの「大人のラヂオ/アレキサンドリア」です。

軽妙な語り、その回顧ストーリーにはまっています。

その「大人のラヂオ」金曜日のパーソナリティが, 写真家 ハービー・山口さんです。

ソフトな語り口と人間性が魅力的で、いくつかの写真集やエッセイを拝読し、

隣町の大森のご出身・池上本門寺脇の大森四中に通われたこと、

芝正則高校で 森田健作(蒲田出身)と同級生など等・・・・ますます引き込まれています。

「代官山17番地 1996~1998」には、

代官山・同潤会アパートが閉鎖されて解体に至るまでの「時間」が切取られ積み重なっている。
私の記憶と響きあうものが多い。
 
代官山同潤会アパートは、約6000坪の広大な敷地に、
独身向けと家族向け住戸と、店舗や銭湯、食堂や娯楽室を含む36棟の住棟が、
山の手の丘陵地に表情豊かに分散配置されていた。  

さて同潤会とは、1923年の関東大震災がきっかけに、
「庶民生活の復旧再生」を目的に設立された財団法人だ。 
当所は罹災者対応の木造長屋の供給が主だったが、
政府資金援助を得、東京横浜で、鉄筋コンクリート造のアパート建設に着手。 
1926年の中之郷から青山、代官山、清州通り、34年の江戸川まで、計16か所、延べ2800戸が建設される。
不燃化と耐震化による都市の近代化を担う我が国の集合住宅の出発点と呼べる先駆的な事業だった。
震災が一つの起点となり、現在につながる都市の骨格が形成されたことがわかる。
 
しかし、日中戦争勃発に伴い、わずか18年で終焉し同潤会は解散する。

桑沢デザインの行き帰りに通った表参道の同潤会青山アパートは、既に老朽化が進んでいたが、決してみすぼらしくはなく、欅並木が美しい表参道と一体化して、
欧米の街角風景そのもで、憧れた記憶が懐かしく蘇ります。

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