「ワーキングカップル事情」続き    追憶・加藤和彦

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加藤 和彦(1947~ 2009)

1960年代『ザ・フォーク・クルセダーズ』でデビュー。
往時は、ボブ・デュランの影響を強く感じられました。
そして、「イムジン河」や「あの素晴らしい愛をもう一度」などのメロディが懐かしく心に残っている。

1970年代『サディスティック・ミカ・バンド』で活動、日本のミュージックシーンをリード。
愛称は「トノヴァン」
影山 民夫と、ロンドンにロールスロイスを買いに行ったエピソードは大変愉快だ。

1977年、安井かずみと結婚。
今野雄二が紹介したとか・・・
安井が病に倒れる1990年代初頭まで「詞・安井かずみ/曲・加藤和彦」のカップルで
数々の作品を多くのミュージシャンに提供。
ボーカリストに松任谷由美、桐島かれん、サラ・ブライトマン、木村カエラなどを迎え、活発な音楽活動を行う。

吉田 拓郎は、加藤の才能は日本では唯一無二のもので、10人の歌手の10通りの歌へのアドバイスが即座に出来ると評し、自身もアレンジを依頼した「結婚しようよ」で加藤の仕事ぷりを目にしてから音楽をやっていく自信がついたと語っている。

時代の先端を行く「ナイスカップル」の、ファッショナブルなライフスタイルに、強く憧れたものでした。
そして、まだ何者にもなり切っていない若輩にとって、飯倉片町「キャンティ」は外から覗くだけで、ドァを開く勇気はついぞありませんでした (最後の画像)

「私と(加賀)まりこはキャンティのペットだった。 まりこはきれいだから、私は色が黒くてブスだったけれどもフランス語が話せたからタンタンが可愛がってくれた・・・」 そういう安井かずみに「そんなことは有りません、充分おきれいですよ」ときわどく冗談をかえしたら、安井さんは大声で笑って、その後で 少し泣いた・・・それを思い出す。  野地 秩嘉 著「キャンティ物語」

安井かずみの死後1年も経たない'95年、オペラ歌手 中丸三千繪と再々婚。(´00年離婚)

晩年は、鬱病を患い、死の1週間前には神経症が持病の高橋幸宏と電話で「今、鬱でね」「どういう薬を飲んでいる?」と気軽に話していたとか・・・・
遺書には、「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。
死にたいというより、消えてしまいたい」と綴られていたという。

2009年10月 軽井沢町のホテルで自死。 享年62歳

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