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追憶の安井かずみ
zuzu の愛称でその時代を謳歌?した 安井かずみ・・・・追憶 前段の宇野亞喜良「zuzu et junko」のイラストで、 記憶の奥底に沈んでいたいろいろなこと・憧れたそのライフタイルなどが断続的に浮かび上がってきたのでした。 記憶のスクラップブックを開く・・・ 2020年㋆日経 コシノジュンコ・私の履歴書にzuzuとの交友が綴られている。 「1968年、私は思い切って米国へ一人旅に出ることにした。 目的地は西海岸のサンフランシスコと東海岸のニューヨーク。 世界の若者のライフスタイルに多大な影響を与えるヒッピー文化に無関心でいられなかったからだ。 そして、もう一つの目的はニューヨークにいた安井かずみさんに会うこと。 人妻だった私たちは夜遊び、朝帰りを繰り返し、互いの結婚生活が危機を迎えていた。 この時、私は写真家の斉藤亢さんと離婚したばかり。 一方、安井さんは実業家の夫、新田信一(ジョージ)さんと、ニューヨークに引っ越し、結婚生活をやり直そうとしていた・・・・ 新田さんとの夫婦関係は私の目には順調に行っているように見えた。 だが長続きせず、翌年、安井さんが日本に帰国して離婚が正式に成立。 友人の加賀まりこさんが住む豪華な川口アパートメントに部屋を買い、 安井さんは再び作詞家の仕事に戻った・・・・」 そのプール付きのアパートメントには、加賀まりこ、野際陽子、コシノジュンコ、かまやつひろし、吉田拓郎、金子国義や当時のトップモデルなど多くの業界人が集った。 小説家の森瑶子やジャーナリストの大宅映子とも親交が厚かった。 安井 かずみ(1939~1994) 作詞家、訳詞家、エッセイスト、愛称はズズ (ZUZU) フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒。フェリスの同級生に藤村志保がいる。 在学中にアルバイトで訳詞をしたことがきっかけで作詞家となる。 フランス語の語学力と才能で、独特のキラキラ耀く世界を創り上げる。 1965年、伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で第7回日本レコード大賞・作詞賞。 以降 伊東ゆかり「恋のしずく」、小柳ルミ子「わたしの城下町」、沢田研二「危険なふたり」、郷ひろみ「よろしく哀愁」など数多くのヒット曲を送り出し、生涯で約4000曲余を作詞した。 1977年に8歳年下のミュージシャン加藤和彦と再婚。 それまで、フランソワーズ・サガンのそれ(刹那的、退廃的?)と二重写しになるような生活は、加藤和彦との結婚で、健全で健康的な「昼の生活スタイル」を選び取っていく。 それは安井が夫との生活になによりもプライオリティ置き、価値観そのものを変化させていった結果であろう。 加藤和彦と「理想の夫婦」を生きること・・・・そして、それを「女の幸せの完成形」としてエッセイに綴っていった。 その「ワーキングカップル事情」は次段で・・・・ 1994年3月17日、肺癌のため逝去・55歳
追憶 「ワーキングカップル事情」 安井かずみ 「安井かずみがいた時代」/島崎今日子著0318
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Hof Uhrmacher,(ホーフ ・ウーアマッハ―)社のストァブランド キャレッジクロック cc-061
七宝シリーズではないのですが、ケースやハンドルのスタイルが近似なのでこのカテゴリーにまとめました。 ドイツ、Hof Uhrmacher,(ホーフ ・ウーアマッハ―)社のストァブランド キャレッジクロック ギヨシェ彫りの彫金細工で植物紋様があしらわれている中に、円形の白エナメル文字盤がきまっています。 コリントスタイルの頭飾りのコーナー支柱 size : 9.5cmh ×6.5㎝w レバームーブメント アラーム機能付き
small carriage clock Hof Uhrmacher, Germany SOTHEBY’S NEW YORK0318
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antique shop EXCALIBUR 続き
さて、そのもう一つ「エクスキャリバー」 ご存知、アーサー王伝説の 魔法の力が宿るとされる秘剣 店名の印象通り、こだわりのコレクションを揃えたアンティークショップで、 「20年近くなるのかな~」と思いながらドァを開けました。 雰囲気は当時のまんま、今時、このような品揃えの充実しているアンティークショップは見当たらない。 店主の中井さんに挨拶を交わし、10坪ほどの店内をじゅっくり見せて頂き・まつわる物語を伺う。 キャレッジクロックでは、「プチ・パリ」の田中さんと双璧をなす品揃えである。 「木馬の小澤さん」や「DIG・DUGの中平さん」の想出話などなど 2時間ほど過ごしてしまいました。 デスクの上には、分解掃除中のキャレッジクロックが3~4体ドームをかぶせられている。 店を始めて22年になるそうだが、資金的な余裕がある方なんだな~と余計な思いを巡らせながらながら店を後にしました。 私と言えば、今更手を伸ばすものには行き当たりませんでしたが、大いに愉しいひと時でした。
アーサー王伝説 antique EXCALIBUR 中井さん 国立 東0318
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ケースデザイン #18 Rococo decoration case by DENT 続き
1852年、E.J.デントはウェストミンスターの国会議事堂の大時計(ビッグ・ベン)の製作を受注した。 が、完了する前(1853年)に亡くなくなってしまい、 養子のフレデリック・リッポン・デントが1854年に完成させた。 塔の高さ96.3m、文字盤は地上から55mにある。 イギリス最大の鐘の鳴る4面時計塔。 ロンドン市民に正確な時刻をチャイムで知らせることになった。 以降、フレデリックとリチャードが事業を継承し、E.デント&Co Ltdとなった。 ・・・・そして、1966年にはDENT社は廃業した。 高品質をイメージさせるシンプルなデザインが特徴の、DENT社のキャレッジとしては、大変珍しい、過剰とも思われるロココデザインのケースです。 凡そ、キャレッジクロックのケースのデザインバリエーションは20種類ぐらい。 さて、ロココの語源は、ロカイユ(rocaille) ロカイユとは、「岩」の意味で、貝殻で装飾された岩組を意味したとのこと。 貝殻の曲線を多用した意匠をロカイユ装飾と呼ぶようになった。 ロカイユ装飾 → ロココデザイン特徴は、植物の葉のような複雑な曲線を用いた独特の意匠だ。
Carriage Clock with Rococo decoration case DENT England 31.000円0318
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The Angraise Case Carriage clock #14 続き cc-159
フレンチ・フローラル・ブルーエナメル Anglaise type のケースデザイ 外装は紺色七宝で華やか 中三針、時打ち・リピーター・アラーム付き フル装備のキャレッジクロック この辺で、打ち止めにしとかないと・かな~???
the Anglaise enamel case design France ? ウエブ・オークション0318
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スカイデッキ 52F SENS ベトナム「女性の日」
この日(10月20日)は、ベトナム「女性の日」 ベトナム語で「Ngày Phụ nữ Việt Nam」(ガイ フーヌー ヴィエットナム) 男性が妻や恋人・母親など身近な女性に感謝の気持ちを込めて花束などのプレゼントを贈る。 バラの花が特に人気。 男性にとって最も重要なイベントとのこと。 そういえば、目抜きの街角で、ウエディングドレスの撮影光景をいくつか見かけた。バラの花束を持った男性がいる。 そういう日なのですね ⁉ さて、スカイデッキ52F レストラン・バー「SENS」 何組もの若いカップルを見受けました。 とにかく、52Fからの夜景は絶景
JCD 研修旅行 VIET NAM HO CHI MINH SKY DECK 52F SENS0318
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ポスターハリスカンパニー/笹目 浩之さん 続き
前段で取り上げました、ポスターハリスカンパニー/笹目 浩之さんが 今日の日経文化欄で取り上げられています。 寺山修司が率いる天井桟敷の公演に感激したことがきっかけ。 何か手伝いをしたいと考え、公演のポスター貼りをした。 (場所の確保と、貼る作業) 飲食店などに飛び込み、ポスター貼りの交渉したのが始まり。 当時のアングラ演劇のポスターは、横尾忠則・宇野亞喜良・粟津潔ら当時新進気鋭のアーチストが前衛的な表現を試みた。 B全(103×73㎝)の極彩色のシルクスクリーンは、劇団の旗印として鮮烈な印象を残した。 場所を提供した飲食店などでも、話題を呼んだことでしょう。 公演が終われば跡形もなく消える演劇にあって、ポスターとチラシは唯一かたちに残るものだ。 2万点以上のポスターを、都内数か所の倉庫のマップケースに保管している。 演劇史語る資料を死滅させずに活用する道を探っていきたいとのこと、 志やよし。 24年3月、グラフィック社がら刊行された「劇場のグラフィズム」から 話題の演劇ポスターの画像をUPしました。
アングラ演劇のポスター ポスターハリスカンパニー 日経文化欄、「劇場のグラフィズム」0318
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戦争と武蔵野X 映像資料から見るB‐29 続き
かって武蔵野市に存在していた中島飛行機武蔵野製作所は、昭和19(1944)年11月24日から9回に亘リ米軍による空襲を受けた。 この空襲の中心となった戦略爆撃機B-29について,高高度(8000m)を飛行する同機を地上から仰ぎ見た、墜落した同機を見に行ったなど様々な証言が残っている。 B—29による空襲から80年を迎えた今年、本展示を通じ戦争の記録と記憶の継承に・・・・「戦争と武蔵野X」パンフレットより。 中島飛行機武蔵野製作所は戦前日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機のエンジン工場でした。 最盛時には約 5 万人が、24 時間操業で働き、 「零戦」や「隼」といった軍用飛行機のエンジン(当時は発動機)を生産していた。 その量は日本の全生産量の 30%近くを占めていた。 面積約 56万㎡、東京ドーム約 12個分の広さ この工場が太平洋戦争(1941~45 年)の末期に、アメリカ軍の空襲によって徹底的に 破壊された。 昭和19(1944)年11月24日、マリアナ諸島サイパンからの B29 による日本本土空襲が始った。 その最初の目標となったのが、この武蔵製作所だった。 その後、日本本土空襲は激化の一途をたどり、東京、大阪、名古屋などの大都市から地方都市までが無差別に爆撃され、 ついには広島・長崎への原爆の投下に至った。 その間にも、アメリカ軍は中島武蔵工場を9回に亘リ繰り返し爆撃した。 1944年11月初に撮影されたB-29による偵察写真(最初の画像/武蔵野) NHKドラマ「虎に翼」で先日、総力戦研究所の話題が出ていた。 太平洋戦争の直前、各界の優秀な若手を集めて組織された首相直轄の研究機関である。 英才たちがはじき出した対米戦のシミュレーション結果は「日本必敗」。 長期戦に耐えうる資源を欠くのは明らかだった。 だが政府は黙殺し、この国は坂を転げ落ちた。 企画展の床にはB‐29の尾翼(6m 画像#7)が実寸大で描かれている。 原爆を含め大戦末期だけで数十万人の命を奪った巨体を思い知る。
映像資料から見るB‐29 戦争と武蔵野X 武蔵野市ふるさと歴史館0318
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レメディオス・バロ 魔術的な不思議な世界 続き
レメディオス・バロ・ウランガ(Remedios Varo Uranga, 1908~1963)はスペイン・ジローナ生まれのシュルレアリスムの画家。 後にフランスを経て、メキシコに移住した。 ダリも在籍していたというサン・フェルナンド美術アカデミーで学ぶ。 よく足を運んだプラド美術館で魅せられたヒエロニスム・ボッシュの禁断の絵に、 バロが探求する精神世界が色濃く反映されている。 ときに、心理学や精神医学の領域に踏み込みながら、科学の論理や秩序を巧みにもちこむ手法である。 「魔術」や「錬金術」が、モチーフに現れるようになり、徐々に神秘的な傾向が強くなってくる。 具体的には、星や月、鳥といった錬金術的アイテムが多くとりあげられている。 代表作とも言うべき『星粥』(最初の画像) かごの中の月の赤ちゃんに、星を砕いて作ったお粥を与える情景を描いた、何ともファンタスティックな作品です。 また『星の狩人』(#2画像)では、虫取り網(星取り網?)で星を捕まえる女性が描かれている。 スイカやトマトの果汁を吸うベジタリアンの吸血鬼『菜食主義の吸血鬼たち』(#3)、 床に敷き詰められた市松模様の絨毯と服が一体化した「無用の科学あるいは錬金術師」(#4) セミの羽根を有した学者が不毛な土地(広島や長崎の被爆した野をイメージしている)に植物をみる「突然変異した地質学者の発見」(#5) 妖精が木漏れ日の光の帯で弦を弾く『ハーモニー』(#6画像) ナチス戦乱にともない1941年にメキシコに亡命する。 同時代の画家、フリーダ・カーロとの交流もあり、その画風を成熟させていく。 バロの絵がもっとも充実していたのはパリから移り住んだメキシコ時代である。 メキシコの地には、創造に欠かせない魔術的な特別なアウラが漂っていたのかもしれない。
シュールレアリズムの幻想的絵画 レメディオス・バロ0318
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レメディオス・バロ「鳥の創造」 日経 美の十選「透明なものたち」
先日の、日経 美の十選に、 レメディオス・バロ(Remedios Varo 1908-1963)「鳥の創造」が取り上げられていました。 大好きなシュールレアリスム画家だ。 夜のアトリエで、梟(ふくろう)画家が机に向かって鳥を描いている。 そばでは、卵を2つ繫げた形状の蒸留器が、窓の外から星屑を回収し、 ガラス管を通してパレットに絵の具を抽出しているところだ。 画家が右手に握る絵筆は、首から下げたヴァイオリンと白い弦で結びつき、 紙の中に鳥の姿を生み出してゆく。 そして、左手に持つ三角形の凸レンズは、窓から差し込む星の光を集めている。 画家がそれを紙に当てると、描かれた鳥は実体化し、飛び立とうとする。 古代ギリシャ神話において、梟は女神アテナの聖鳥であり、叡智の象徴とみなされてきた。 それ故、梟を擬人化したような人物に対しても、賢者や創造者のイメージが結びつけられる。 その証拠に、アトリエに置かれた奇妙な器具は、錬金術を象徴しているとのことだ。 バロの絵には、不思議な形をしたガラス製の装置がよく登場するが、透明な容器内で起こる現象は、不透明で謎に包まれている。 植物めいた姿のそれは、夢や詩的イメージを原料として生み出された、一種の錬金術的な産物なのだろう。 フラスコやガラス管、レンズなどガラス器具は創造の神秘を表しつつも、その実態は隠され見ることは適わないのだ。 シュルレアリスムの幻想的な世界観と“魔術的”と評される独特の画風は、 物語を喚起するような童話的な親しみやすさが感じられ、不思議な世界へと誘ってくれます。(1957年、メキシコ近代美術館蔵)
シュールレアリスム絵画 レメディオス・バロ(Remedios Varo) 日経 美の十選0318
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西麻布 2代目「Salon de Shimaji」
島地は出版業界でその名を知らぬ者なき、敏腕編集長。 41歳で『週刊プレイボーイ』の編集長に就任すると、同誌を100万部を売る雑誌に育て上げた。 その功績から、月刊「PLAY BOY 」の集英社インターナショナルの社長を歴任。 その日本版・月刊「PLAY BOY」の初代アートディレクターが田名網敬一さん。 日宣美世代には、大変懐かしい名前で、サイケデリックでポップな画風で知られる。 11月11日まで国立新美術館で大回顧展「田名網敬一 記憶の冒険」が開催中だ。 開催2日目の8月9日に亡くなられたとのこと。 11月24日からマイアミ現代美術館で始まる、アメリカ初の回顧展「Memory Collage」の準備中でもあった。 さて、2代目「Salon de Shimaji」 2020年4月7日、島地79歳の誕生日にオープン。 物件は30年もの間、使用されておらず、まさに島地がバーを開くために残されていたような空間。 6メートルの高さを誇る天井には、フレスコ画の青空を垣間見ることができる。 壁面の棚には酒のみならず、自慢の蔵書も陳列されている。 「素敵なミュージアムと思ってもらえるとうれしい」 「後ろの時計を見てごらんなさい。 この時計は反時計回りに進む、ここに来たみなさんが若返るように」と 以前、Barberで使われていた、掛け時計を指差して語る。 Time Out を参考にしました。
西麻布 2代目「Salon de Shimaji」 島地 勝彦 西麻布0318
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突き進み続けた剣士
フェンシング女子フルーレ団体3位決定戦でカナダ選手を責める宮脇花綸選手 まさに疾風 はやてのごとし 8月14日 日経 Paris Olympics 画像 パリ五輪・フェンシングの女子フルーレ団体のメンバーとして、1日に行われた3位決定戦でカナダを破り、フェンシグ日本女子初のメダル獲得に貢献した宮脇花綸選手(右) 個人、団体を含めて女子初のメダルを獲得した女子フルーレ団体。 また、フェンシングは金2個、銀1個、銅2個の計5個で16人のメダリストが誕生するなど大躍進を果した。 宮脇花綸選手、実は 2022年10月に放送された日本テレビ系「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?2時間SP」に パリ五輪を目指すための活動資金を得るために出場し、見事全問正解で300万円を獲得していた。 慶大卒の実力発揮。 宮脇選手は当時フリーで活動。 スポンサーの支援や助成金などはあるものの、海外の大会など費用が多くかかる試合は自費で出場することも多く、 五輪へ向けた活動資金を手に入れるため、 公式サイトを通じて志願し、クイズに挑戦したとのこと・・・・話題になりました。 パリ五輪関連でUPしました。
パリ五輪・フェンシングの女子フルーレ カナダ選手を責める宮脇花綸選手 日経 Paris Olympics 画像0318
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オメガ、五輪支える 写真撮影1秒に4万枚 0秒005 の 僅差判定
パリ五輪の競技を、スイスの時計ブランド・オメガによる計時(競技の所要時間の計測)の技術が支えている。 1932年のロスアンゼルス五輪以来100年近くの五輪のタイム時計を担ってきた。 今回の五輪では新たに1秒間に4万枚の写真を撮影できるカメラを導入しAIも活用する。 今回の五輪で導入した新型カメラ「スキャン・オービジョン・アルテメート」の威力が発揮されたのが、4日の陸上男子100m決勝だ。 従来モデルは1秒間に1万枚を撮影可能だったが、新型は4万枚を撮影できる。 金メダルを争った米国のライルズとジャマイカのトンプソンのタイムは、0秒005の僅差だった。 新型カメラの画像を参考に「審判は、ライルズ選手の方が僅かながら早くゴールしたという判定を下した」という。 オメガは2017年に国際オリンピック委員会(IOC)とのタイムキーピングの契約を更新した。 1932年のロス五輪から100年にあたる2032年のブリスベン五輪まで担当することが確定している。 計時技術の進化は正確な競技結果判定だけではなく、試合をテレビ放映する際のタイム表示の充実にも役立っている。 8月7日、日経新聞 パリ五輪で日本が獲得した 🥇金メダル:20個 🥈銀メダル:12個 🥉銅メダル:13個
パリ五輪・陸上男子100m決勝 オメガ 「スキャン・オービジョン・アルテメート」 2024年 8月7日0318
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将校の時計
キャレッジクロックは、19世紀初頭にフランスで開発・設計された、旅行・携帯用の時計です。 ある戦闘で部下の将校が時間に遅れ、ナポレオンは手痛い敗北を喫した。 皇帝ナポレオンの命令を受けた天才時計師:アブラハム・ルイ・ブレゲによって、最初のキャレッジクロックは発明された。 分銅+振り子の等時性 → ゼンマイを動力源+脱進機(エスケープメント) → 携帯用時計(Carriage clock) 爾来、将校たちに携帯させた。 精密さに優れた「将校の時計」として広く普及することになった。 サン・ニコラ・ダリエモント(フランス)にある アルマン・クアイユの工場では、 1880~1920年の間に何千ものキャレッジクロックが製造された。 その後、キャレッジクロックは、会社(企業)の定年退職者や永年勤続者などへの記念品的な贈り物としての用途も広がりました。 私のコレクションの中にも、ギフトのメモリーが刻まれたキャレッジクロックが何台かあります。 おいおいご紹介いたします。
キャレッジクロック アブラハム・ルイ・ブレゲ0318
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「骨董屋の非売品」 少年の夢/追憶
勝見 充男著「骨董屋の非売品」 1、少年の夢 に 氏が、アンティクに夢中になりだした少年期の思い出が綴られている。 同じ轍を踏んできた私にも、共通する追憶だ。 新橋地下鉄構内「古典屋」木村さん →65F 大井町 三つ又商店街「時代屋」 林さん → 「時代屋の女房」のモデル 南青山「開化亭」 村松靖夫さん →95F トイズカンパニー 北原照久さん →66F 湯島「パ二ポート」坂本侑司さん 目白「小道具坂田」坂田和美さん など等 懐かしい方ばかり
骨董屋の非売品 勝見 充男 1900円0318