Adrian Zecha アマン創業者
'25年1月 日経 Mylife 欄に、Adrian Zecha(エイドリアン・ゼッカ/1933~)が取り上げられている。
オランダ領東インド(現インドネシア)プランテーション経営で財を成した一族に生まれた。
1970年代からホテルビジネスに携わり、マリオットやリージェンシーホテル経営に参画。
'80年代に入りアジアを舞台に自分だけのストーリーを紡ぎ始め「アマン」を立ち上げた。
'88年 最初のアマン「アマンプリ」をプーケットに開業、
これを皮切りにアジアを中心に高級リゾートを次々に造りだす。
熱狂的なファンを生み、「アマンジャンキー」なる言葉も生まれた。
初期に祖国インドネシアのバリに建てた「アマンダリ」や「アマンキラ」は名リゾートとして今も名高い。
2000年、バリで開催された APSDA(Asia Pacific space desiners association)に、私達JCDのデザイナーも参加しました。
種々のイベントの後、
当時 国内でも何かと話題になっていた、AMAN DALI(平和な精霊)を視察。
アマン躍進のキーパーソン:ピーター・ミユラーのプランニング。
アマンやバンャンツリー、アリラホテルズなど、隠家的なアジアンリゾートのプランは、
前項のジェフリー・バワの思想「アジアの美しい風景・固有の文化を守る」に大きな影響を受けている。
スタッフは地元出身者を中心に据え、「その土地ならではの体験が出来る」に拘った。
その思想は「星野リゾーツ」にも継承されている。
さて、エイドリアン・ゼッカ氏は、1950年代 タイム誌記者として東京に駐在、麻布十番に暮らす。 油壺に、海が見渡せる小さな別荘を構えていたとか・・・
アマンを離れた現在もアジアを中心にホテル開発に携わり、これまでに携わったホテルは100を超えるという。
本州と四国をつなぐしまなみ海道ほぼ中央・生口(いくち)島、自転車で一周2時間ほどの小さな島に日本旅館「Azumi setoda」を´21年に開いた。
