尾去沢鉱山 全景/秋田県鹿角市 PC018-01

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「秋田県尾去沢鉱山全景」とありますが、製錬所に繋がっている煙道は中央左端部にかろうじて見えるものの、その先にある高さ60メートルの大煙突(現存)までは写っていません。中央右側の複層式の屋根が白っぽく見える大きな建物は、現在も土台部分が遺構として残っている選鉱場の建屋です。中央左側の煙を出している建物は恐らく焼鉱鉱舎、その左側の煙道に繋がる建物が溶鉱炉建屋と思われます。

尾去沢鉱山の発見は伝承によれば708年(和銅元年)に遡り、ここで採られた金が奈良の大仏や平泉中尊寺で用いられたとも云われています。本格的に開発されたのは1598年(慶長3年)に南部藩の北十左衛門が白根金山を発見してからで、金が枯渇してきた1695年(元禄8年)には銅鉱が発見され、1765年(明和2年)に南部藩の直営となり、別子銅山、阿仁銅山と並ぶ日本の主力銅山の一つとなりました。典型的な中温熱水鉱床で、1889年(明治22年)以降三菱財閥により近代化が推し進められ、深さ30メートルごとに水平坑道が展開され、坑道の総延長は800キロメートルに達しました。銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛が採掘され、特に産銅量は足尾、別子、小坂、日立に次ぐ日本第5位を誇りました。1978年(昭和53年)に閉山するまでの産出量は、銅30万トン、金4.4トン、銀155トンと推定されています。

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