別子銅山 惣開全景/愛媛県新居浜市 PC003-01

0

この絵葉書には「別子銅山 惣開全景」とあります。江戸時代の嘉永年間(1848~1854)に別子銅山支配人であった清水総右衛門が約4.7haの新田を開発、総右衛門新開と命名された土地が、後に略されて「総開(そうびらき)」と呼ばれました。「惣開」はその後郵便表記として用いられるようになった地名です。1888年(明治21年)に精錬所が本格操業を始めてから惣開には別子銅山に関連した様々な施設が作られるようになりました。1893年(明治26年)には惣開を起点とする住友別子鉱山鉄道が開通、別子銅山の鉱石輸送の窓口になり、その後1899年(明治32年)の豪雨による別子大水害をきっかけに別子鉱業所本部および、採鉱課を除く鉱山の全施設が移転、これに伴い銀行や病院等の施設も建設され、現在の新居浜市の発展の基礎を形成しました。

別子銅山は1691年(元禄4年)に住友家により開坑されてから、1973年(昭和48年)に住友金属鉱山(株)が閉山を決定するまで283年間にわたり住友家/住友系企業により操業されました。総出鉱量は推定約30百万トン、総産銅量は足尾銅山に次ぐ日本第二位の65万トンで、足尾銅山、日立鉱山と並び日本の三大銅山の一つに数えられました。

Default