- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 46F 鉱山絵葉書 Mining Postcards
- 別子銅山 東平黒石間索道/愛媛県新居浜市 PC003-03
別子銅山 東平黒石間索道/愛媛県新居浜市 PC003-03
この絵葉書は「別子銅山 東平黒石間索道」と題されています。
索道は空中に張りわたしたワイヤロープにバケットと呼ばれる搬器を吊るして建設工事資材などを運搬する設備のことで、東平(とうなる)と黒石を結ぶ全長3,575メートルの複式索道はドイツ人の索道技師ブライヘルトの指導により1905年(明治38年)に完成しました。東平は標高750m前後に位置し、大正5年(1916)から昭和5(1930)まで別子銅山の採鉱本部が置かれた地域です。貯鉱庫等の鉱山関連施設や生活に必要な施設が整備され、最盛期には5,000人余りの銅山関係者とその家族が住んでいました。黒石は索道の完成に合わせて住友別子鉱山鉄道の下部鉄道(惣開(そうびらき)~端出場(はでば)間10.3km)に新設された駅で、端出場から約1km下った場所にありました。搬器(バケット)1基は約600kgの鉱石を積むことができ、573メートルの高低差により、自重を利用して秒速およそ2.5メートルで自動運転され、途中3か所の中継所で押し出し作業による中継ぎがされていました。この索道と下部鉄道により、鉱山内の中心地東平から惣開に至る輸送ルートが確保され、鉱石のみならず、木材や生活用品も輸送されました。
別子銅山は1691年(元禄4年)に住友家により開坑されてから、1973年(昭和48年)に住友金属鉱山(株)が閉山を決定するまで283年間にわたり住友家/住友系企業により操業されました。総出鉱量は推定約30百万トン、総産銅量は足尾銅山に次ぐ日本第二位の65万トンで、足尾銅山、日立鉱山と並び日本の三大銅山の一つに数えられました。
