- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 46F 鉱山絵葉書 Mining Postcards
- 別子銅山 電気製銅所内部/愛媛県新居浜市 PC003-02
別子銅山 電気製銅所内部/愛媛県新居浜市 PC003-02
この絵葉書には「別子銅山 電気製銅所内部」とあります。
1919年(大正8年)まで別子では反射炉による銅精錬が行われていました。1889年(明治21年)から電気精錬の技術導入を行い、1906年(明治39年)には日光電気精銅所を操業させていた足尾銅山に比べて別子銅山の精銅生産技術は遅れており、別子産のK.S.銅(住友家家長住友吉左衞門の頭文字を採って製品名としていた)は電導率が低かったため電線や電機部品に使用できず、銅管、真鍮など構造材に用途が限定されていました。しかし1919年(大正8年)に新居浜電錬工場が完成、以降純度の高い電気銅の生産が可能となり、住友電線製造所への安定した原料供給が可能になりました。1925年(大正14年)には旧来の反射炉製錬が全廃されています。この絵葉書には多数の電解槽と、「アノード」と呼ばれる粗銅で鋳造された大きな陽極版を、クレーンを使って電解槽に装入する作業の様子が写っています。(この項は「愛媛県生涯学習センター」のWebサイト記事を参考にさせていただきました。)
別子銅山は1691年(元禄4年)に住友家により開坑されてから、1973年(昭和48年)に住友金属鉱山(株)が閉山を決定するまで283年間にわたり住友家/住友系企業により操業されました。総出鉱量は推定約30百万トン、総産銅量は足尾銅山に次ぐ日本第二位の65万トンで、足尾銅山、日立鉱山と並び日本三大銅山の一つに数えられました。
