- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 46F 鉱山絵葉書
- 荒川鉱山 倶楽部・配電所/秋田県大仙市
荒川鉱山 倶楽部・配電所/秋田県大仙市
荒川鉱山は熱水性鉱床の鉱山で、主に黄銅鉱を採掘していました。1700年(元禄13年)に発見され、1738年(元文3年)からは秋田藩(久保田藩)の直山(直轄鉱山)として開発されましたが、明治維新後の1876年(明治9年)に盛岡の瀬川安五郎が政府から払い下げを受けて間もなく「嗽沢(うがいさわ)坑」で大鉱脈が発見され、国内でも屈指の銅山になりました。1896年(明治29年)に三菱合資会社が鉱業権を所有した後に製錬所や中央選鉱所、発電所などの設備の近代化が図られ、荒川村役場や郵便局、駐在所、浴場、病院、劇場「共楽館」、大盛小学校などが建設されました。共楽館では、演劇や映画の他、宝塚歌劇団や歌舞伎の公演なども行われたということです。最盛期には人口約4000人、周辺を含めると8000人に達し、県内有数の都市となりましたが、1935年(昭和10年)に資源枯渇により三菱鉱業尾去沢鉱業所荒川支所に縮小され、1940年(昭和15年)に閉山しました。
本絵葉書には「荒川鉱山倶楽部配電所の景」とあります。荒川鉱山中央部には荒川が流れていて南岸に嗽沢坑、北岸に百目石(ひゃくめいし)坑の2つの主要坑道があり、この付近を中心に鉱山町が形成されました。鉱山町には大門通・大金通・大寺通・大直利橋通・大江通・大山通・日蔭通・初石の小地区があり、大門通に荒川村役場や村長宅、大金通に郵便局があり、大江通の荒川北岸に鉱山病院、配電所、荒川鉱山倶楽部、鉱山長宅、荒川南岸に共楽館、大山通には荒川北岸に中央選鉱場、荒川南岸にシックナー(沈殿池)、鉱山事務所、山神社等が設けられていました。
荒川鉱山倶楽部は鉱山の来客を接待する場所で、玉撞きのできる遊戯場も備えていました。鉱山長宅の前を通り配電所側に立っていたということですので、電線の配線等から見て絵葉書左側の2棟が配電所(荒川鉱山付近に設けられた複数の発電所から送られてくる電力を変電し、鉱山内の各部に配電する施設)、右側の大きな屋根の建物が鉱山倶楽部で、右端の建物は鉱山長宅である可能性が高いと思われます。
