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John Cale “Honi Soit”
前々から興味のあったVelvet Undergroundですが、ちょっと横道に逸れて、創設メンバーのJohn Caleを聴いてみようと思いましたので、ヤフオクでポチりました。Lou Reedの方は名(迷)作”Metal Machine Music”や”Berlin”で少しは聴いていたのですが、John Caleに関しては全くちゃんと聴いていなかったので、今回が初めてと言うことになります。Caleのバイオグラフィーについては、簡単に書いておきます。John Cale、本名John Davies Caleは、英国ウェールズCarmarthenshireのGarnantで、炭鉱夫の父親と学校教師の母親の間に生まれました。7歳の頃、聖公会の牧師と音楽教師から性的悪戯をされていますが、その頃には、Ammanford教会でオルガンを弾いています。それで、BBCは、彼が初めて作曲したアダム・カチャトリアン風のピアノ曲トッカータを録音しています。13歳になると、彼はViolaの才能に目覚め、ウェールズ国立青年オーケストラに参加、その後、ロンドン大学Goldsmiths校で、音楽を専攻し、学士を取得しています。また、彼は、1963年7月に、あるフェスで初期のFluxusのコンサートを企画したり、短編映画”Police Car”にも携わり、1963年7月には、新しく結成された前衛集団の為、”Fluxus Preview Review”の中に2曲を提供しています。また、同年には、英国て行われたJohn Cageのピアノとオーケストラと為の最初のコンサートで指揮をしています。それで、Aaron Coplandの勧めで、彼は音楽修行の為に米国、特にTanglewoodに行くことになります。それで、NYCに到着したCaleは、1963年9月に、John Cageによって企画された、Erik Satieの”Vexations”と言う18時間40分も掛かるピアノ「マラソン」に参加しており、その様子はTV番組I’ve Got A Secretで放映されています。後に、Caleは、John Cageの落ち着いた芸術的風貌が、 Cage自身の書籍にはよく表れていると述懐しています。一方で、Caleは、La Monte Youngの永遠音楽劇場でも演奏しており、この時の影響で、ドローンをThe Velvet Underground (以下、Velvetsと表記)にも活かされていると回想しています。Caleは、前衛音楽としてロック(The Who, Kinks, Small Faces等)を聴いて親しんだきたこともあって、その年にLou Reedと彼のルームメイトAngus MacLise及び同級生のSterling Morrisonと共に、Velvetsを結成しています。その後、MacLiseが直ぐに辞めた為、Moe Tuckerを正式メンバーとします。Velvetsの話しは過去にしていますので、そちらをご参照下さい。極々簡単に言いますと、Lou ReedとJohn Caleの音楽性の溝が大きくなり、Caleは、1968年に脱退しています。ただし、1970年にVelvetsが”Ocean”と言う曲を録音している時に、Caleはオルガンで参加しており、アルバム”Loaded”にこの曲は収録されています。それで、Velvets脱退後、Caleは、プロデューサーとして活動し、The StoogesのデビューアルバムやNicoの3部作”The Marble Index“ (1968年作), Desertshore (1970年作), The End... (1974年作)等をプロデュースしています。それ以外にも、ソロアーティストとしても活動しており、1970年に、ソロとしては、ルーツ・ロックなファースト・アルバム”Vintage Violence”を出していますが、1971年2月には、より実験的なアルバム”Church Of Anthrax”をミニマル・ミュージックの開祖Terry Rileyとのコラボで出しています。また、1972年には、後に映画のサントラとなる作品”The Academy in Peril”を映画の完成前に作っており、翌年には、アルバム”Paris 1919”を出しています。Caleはこの時期に、Jennifer Warnes, Modern Lovers等のプロトパンク・バンドのプロデュースや、更にはPatti Smith, Squeeze. Sham 69のプロデュースも行ったり、Island Recordsのスカウトもやったりしています。しかし、Caleは、1974年ロンドンに戻り、ダークでおどろおどろしい曲調が多いアルバム3部作”Fear” (1974年作), “Slow Dazzle” (1975年作), “Helen of Troy” (1975年作)を僅か1年間で出しています。この時には、ライブも再開したおり、有名なElvis Presleyの"Heartbreak Hotel"の強烈に歪んだカバーもやっています。そして、Kevin Ayers, Nico, Enoと共にライブアルバム”June 1, 1974”を出しています。その後、1977年には、ノルウェーの劇作家Henrik Ibsenによる演劇”Hedda Gabler"をベースにしたEP”Animal Justice”をリリースしています。そのラウドで荒々しく迎合しないライブは当時のパンク・ロック・シーンに受け入れられていきます。時に、彼は13日の金曜日のジェイソンのような被り物でライブをやったり、鶏の首を切ったりと過激な演出もしていますが、これは彼によると、コカインの大量接種によるものとされています。その後、彼は英国パンクバンドのプロデュースをやっていますが、1979年12月には、パンクロックへのオマージュとして、”Sabotage/Live”をリリースしますが、同年CBGBで行われた3回以上のライブ音源が使われており、そのアグレッシブなVoや演奏は、このアルバムを全くの「新曲」のように聴かせています。また、同年になると、Caleは、ピアノやARPシンセを使うようになり、4枚目のアルバム”You're Never Alone with a Schizophrenic”で披露しています。この時期には、DeerfranceやIvan Král及びJudy Nylonと一緒にライブをやっており、後に(1987年)、ライブ・アルバム”Even Cowgirls Get the Blues”をリリースします。1980年に、CaleはA&M Recordsと契約し、よりコマーシャルな方へ舵を切り、本作品でもある7枚目のソロアルバム”Honi Soit”を1981年にリリースし、Mike ThorneのプロデュースやAndy Warholのカバーアート等も得ますが、この音楽性では成功せず、A&M Recordsとの関係は終わります。その為、彼は、ZE Recordsと契約し、1982年にアルバム”Music for a New Society”を出しますが、これは、彼の初期の洗練された曲調とその後のおどろおどろしい曲調が上手くブレンドした作品となり、隠れた傑作とも評されます。その後、1984年に、9枚目のスタジオ・ソロアルバム”Caribbean Sunset”をZE Recordsから出しますが、これは前作よりもずっと受け入れ易い仕上がりとなっており、音楽評論家からは悪い反応でしたが、蘭アルバムチャートにもチャートインしています。その後、ライブアルバム”John Cale Comes Alive”を出して、1985年に商業的成功を狙ったアルバム”Artificial Intelligence”をBeggars Banquet Recordsからリリースします。このアルバムはシンセやドラムマシンをふんだんに使ったポップ志向の強いもので、編集者Larry "Ratso" Slomanともコラボしましたが、全く成功しませんでした。唯一の”Satellite Walk”が若干ヒットした位です。同年、Caleは、Kurt Vonnegutのショートショート”Who Am I This Time?”のドラマ化の際に音楽を付けたりもしています。そうして、Caleは再び、プロデュース業を始め、ベルギーのポップ歌手LioやHappy Mondays, Element Of Crime等のアルバムに携わっています。この時期、彼の下の娘のこともあって、録音やライブからは離れていましたが、1989年に、Enoの協力の元に復帰し、アルバム”Words for the Dying”をリリースしています。このアルバムでは、詩人Welshman Dylan Thomasが1982年に書いたフォークランド紛争に関する詩を用い、2つのオーケストラと2つのピアノソロが収録されています。まだまだ、彼の活動は続くのですが、一旦、ここまでとして1990年以降については、またの機会に書くことにします。
それで、本作品”Honi Soit”について紹介します。先述のように、John Caleがポップ路線に舵を切ったアルバムで、Mike ThorneがPC処理とプロデュースを行い、Andy Warholがジャケのコンセプトを出した作品でしたが、商業的には成功しませんでした。そんな作品ですが、これはCaleにとって7枚目のスタジオ・ソロアルバムで、参加者はJohn Cale (Lead-Vo, G, Viola, Kbd), Sturgis Nikides (G, Back-Vo), Jim Goodwin (Kbd, Synth, Back-Vo), Peter Muny (B, Back-Vo), Robert Medici (Drs, Back-Vo), John Gatchell (Trumpet)で、A面5曲/B面4曲が収録されています。それでは、各曲について紹介してしきましょう。
★A1 “Dead Or Alive” (3:51)は、かなりポップ色が強く、意外にもJohn Caleが朗々と歌っています。またトランペットのメロディが心に残ります。
★A2 “Strange Times In Casablanca” (4:13)は、ややしっとり系のポップスで、若干のVelvets感がありますが、バックのシンセの低音がちょっと不気味ですね。
★A3 “Fighter Pilot” (3:10)では、いきなり女性コーラスで、ビックリしますが、そこだけ変拍子なんですね。曲自体はポップで、CaleのVoも良く通っています。
★A4 “Wilson Joliet” (4:23)は、ややしっとりした落ち着いたバラード調のポップスで、CaleのVoも抑揚をあり、聴かせて、最後に「狂気」を垣間見ます。
★A5 “Streets Of Laredo” (3:34)も、一聴、変拍子?と思われる譜割で、如何にもCaleらしいですが、間奏のViolaが中々良いです。
★B1 “Honi Soit (La Première Leçon De Français)” (3:20)は、PercとスライドGのイントロがスリリングで、途中のトランペットも効果的な「アメリカン」な曲ですね。バックのコーラスも良い塩梅です。
★B2 “Riverbank” (6:26)は、しっとりして落ち着いたピアノ中心のバラードで、気怠いVoもマッチしていますね。ただ曲構成は当たり前過ぎて、ちょっと残念です。
★B3 “Russian Roulette” (5:15)は、ハードボイルドなカッコ良い「アメリカン」なロックで、Gのリフや歌い方やVoに、特に「アメリカン」を感じますね。
★B4 “Magic & Lies” (3:26)では、ピアノの弾き語りで始まり、やがて曲の盛り上がりで他の楽器も入ってきます。曲自体は良いのですが、もう少しCaleっぽさが欲しかったですね。
と言う訳で、アルバムとしては、確かにポップ・ミュージック路線ですが、決してこれが駄目とは思えなくて、程良いポップネスを感じることが出来て、良く出来た作品であると思います。A面では、このポップネスにCaleっぽさも感じられますし。多分、Mike Thorne (この人はWireの最初の3枚のアルバムをプロデュースしています)のプロデュース力もあると思います。なので、John Caleのポップな面を堪能したい方にはお勧めします❗️
A3 “Fighter Pilot”
https://youtu.be/CG9ohNojpPo?si=ODc1T0SdxCV-Fi_4
[full album]
https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_m5W4g2nBwdxc08TCIjXMvkrFRB2xUzJ54&si=rhGcHqh_hJwNwnud
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