1940-41 Late Type Round Top Diagonal Line

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間借りした、自動車整備工場プリッカー&サンズ社の二階の片隅、カシャーン、カシャーン…と、中古の小型プレス機を響かせて真鍮版からキャップやリッドを打ち抜く…。

ブラスチューブを切り出し、ハンドプレスでチムニーやカム取り付け基部のモールドを成形、部屋に備え付けられたキッチンの電熱コイルでハンダ付け。

近所のメッキ工場でメッキし、手打ちのハトメパンチ機でホイールやカム・スプリング取り付けのアイレット(ハトメ金具)をカシメ付ける…

画像は、そんな1930年代のハンドメイド・ファクトリーとしてのジッポー社の第一幕が下りる寸前の物と言える。

ブラスチューブが使用されたインサイドユニットもこれが見納め…'30年代も終わり、フリントホイールとヒンジ以外、総真鍮製という…潤沢に真鍮が使えた戦前期仕様最後のモデルである。

ご存知、カムクリップ一体型のニッケルシルバー製ヒンジの後期型である。

この数か月後には、真鍮という亜鉛と銅の合金は、コルト1911A1やM1ガーランド、トンプソン、ブローニング機銃などのブレットやカートリッジの工場に優先的に供給された。

ジッポー社は政府が指定した、低品質なスチール材を使用し、『戦時中のみ使えれば良い』不本意な製品を何万個という単位で製造することになる。

そして、簡素ながらも良いアクセントとして施されていた、ダイアゴナルラインを見ることも当分は無くなることとなる。

考えてみれば、ヘタすれば、このデザインが復活したのは'80年代以降の復刻がされるまで見ることが無かったのではないだろうか(きちんと調べたわけではないが)。

少なくとも戦後の'40年代後期のニッケルや、'50年代の真鍮、第二期スチール時代でも見た覚えがない。

ともかく…この年代の物には着火性能に改良の余地が大いにあったが、ライター自体に存在感というか…独特のフォルムに味があった。

喜ぶべきか、嘆くべきかは悩むところではあるが、'50年代以降、ライターという着火具としての性能は完璧に近づいていった。

半面、本体のプロダクトデザインが無味乾燥になっていき、やがてボトムに施された広告柄や、デザインの面白さに魅力のベクトルがシフトしていった様に思うのは僕だけではないと信じたい。まあ、異論があろうとは思うが…。

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