肖像神話 タマラ・ド・レンピッカ   続き #2

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2010年 3月 Bunkamuramura ザ・ミュージアム で「美しき挑発・レンピッカ展」が開催されました。

レンピッカが活動を始めた1920年代。

大胆な風俗が現れ、
都会のライフスタイルが確立し、
女性が社会に進出しだした時代である。

彼女はまさにその実践者であり、
その生きざまは現代人顔負けの奔放さに溢れ、
作品はどれも彼女の分身として、見るものを圧倒する。

「私の作品はどれも自画像です」
画面からはみ出さんばかりの圧倒的な存在感を持つ女性像
筆跡のない金属的な光沢を放っ肉体は、
大型のモーターバイクのように官能的だ。

鋭いまなざしもその特徴である。
確かにそこには、彼女自身が投影されている。

私生活でもレンピッカは本能の赴くままに生きた女性であった。
スポーツカーを乗りこなす恋多き女の相手には女性もいた。
画家になったこと自体が、自身が欲したことであり、
フォトジェニックな美しさは、その生きる姿勢がもたらした。

やりたいことをやる。
ただそれだけのことが、しかし必ずしも容易ではない。
しかしそんな生き方がレンピッカを、そしてその作品を輝かせているのである。

ロシアでの贅沢な生活で磨かれたセンスは、この時期のブルジョアの趣味によく合った。
レンピッカに絵筆を動かさせ続けたものは、お金と栄誉への飢餓感だった。
その渇望が満たされた時、絵が急速に精彩を失ったことがそれを物語っている。
晩年、年老いて独りになった時、絵は彼女にとって初めて心を写すものにその意味合いを変えた。

TAMARA DE LEMPICKA (1898~1980)
タマラ・ド・レンピッカ 
ロシア帝国支配下のワルシャワ生まれのアール・デコの画家。

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