銀座ランドマーク 「和光」本館の時計塔

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世界の大都市にはその都市を象徴するランドマークがある。
日本を代表する都市、東京・銀座4丁目交差点角地に位置する「和光」は日本の経済発展の歴史を反映してきた。

銀座4丁目にあって、常に正確に時を刻む優美な時計塔の姿は、日本の最先端の技術と信頼、日本人の普遍の美意識の象徴と言える。

和光の前身の服部時計店の創業は国内に近代産業が芽生える前の1881(明治14)年。
創業者 服部金太郎は21歳で時計修理と舶来時計の輸入販売を開始。
1892(明治25)年、欧米に比す精巧な時計製造を目ざし「精工舎」と名付け 時計製造に着手した。

1894年、銀座4丁目交差点角地の朝野新聞社屋を買収。
同年、服部時計店 初代時計塔が完成。

1911年には大衆向け懐中時計「エンパイア」の大ヒットにより、精工舎は国産時計の 60%のシェアを占めるまでに成長。 

その後 1923年に関東大震災に見舞われ焼失。
1932(昭和7)年 6月、完成までに11年の歳月を要した。
これが現在和光本館として使われているネオルネサンス様式のビルディング(設計:渡辺仁)である。 ビルの外装は、地震・火災に備え、全て万成石が使われた。

竣工当時の塔時計の機構はドイツ製の重錘時計だったが、
現在は自社製クオーツ機構。
親時計は地下2階にあり、電波研究所からの信号で1秒ごとに調整されている。

1945年の敗戦直後、銀座四丁目交差点の服部時計店ビルは、進駐軍・PXとして接収。
1952年12月、接収が解除され「和光」として営業再開。

銀座4丁目交差点に現れた新生「和光」の時計塔は 銀座のみならず、東京そして日本の経済復興の偉大なシンボルとなった。

1954年の「時の記念日(6月10日)」からは、「ウェストミンスター・チャイム」を鳴らし始め、銀座名物となっている。
時計塔の四方の文字盤は正確に東西南北を指し、大きさは直径2.4m、内部からライトアップされている。

この時から中央ショーウィンドゥのディスプレイも始まり、街ゆく人の目を楽しませ 今日に至る。

最後の画像は、1970年代の「時の記念日」に、和光のウインドーにディスプレーされた精工舎のバックナンバーで、数年間ウインドゥにディィスプレィ展開されました。

駆け出しのコレクターは、心待ちにして訪れたものです。

さて、服部 金太郎(1860~1934)は中古時計の修理 → 製造販売で身を立てた人物、
「休むな、急ぐな」という単純明快な商売哲学をモットーに一代で時計王国を築いた。

服部時計店を通じて輸入時計・宝飾品の販売も手掛け、一層の信用を得る。
「服部時計店営業一覧」には、米国やフランスからの輸入品がラインアップされている。

そういえば、サントリーのCFにも、「悠々と急げ」(開高 健)がありましたっけ。

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