Iannis Xenakis “Persépolis”

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その昔、無理して「現代音楽」なるモノを聴くようにしていた時期がありましたが、結局、音圧不足とかで、それ程、心に残ったモノは少なかったです。そんな中でも、気に入っていて、時々、聴き直すこともあるのが、ギリシャ人作曲家Iannis Xenakis先生の代表作”Persepolis”です。まあ、王道と言えば王道なので、今更、私がXenakis先生のバイオグラフィーを紹介する必要もないのですが、とりあえず、紹介したいと思います。Iannis Xenakis、1922年5月29日ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人で、2001年2月4日に仏パリで他界した現代音楽作曲家にして建築家でもある変わった経歴の持ち主です。まあ、名前の呼び方は、英語圏の発音では「ゼナキス」で、後半生を過ごした仏語圏の発音では「グゼナキス」とも呼ばれますが、日本では「ヤニス(或いはイアニス)・クセナキス 」と呼ばれています。Xenakis先生は、アテネ工科大学で建築と数学を学び、WW II中にギリシャ国内で反ナチス・ドイツのレジスタンス運動に加わっています。この時、顔に銃弾を受け、左眼を失い、また左耳も傷ついています。大戦後は独裁的新政府に抵抗する運動に加わりますが、1947年にレジスタンス活動家に捕縛の危機が迫った為に、ギリシャを脱出し、米国へ亡命しようと立ち寄った仏パリに定住しています。それで、1948年から建築家Le Corbusierの弟子として学んでおり、1958年のBrussels万博で、Phillips館の建設に携わっています。このPhillips館では、Edgard Varèseの大作電子音楽”Poème électronique”が演奏され、後に自作の電子音楽を大規模施設で上演する際の参考となったとされています。建築家としては、その後、印Chandigarhの市庁舎のプロジェクトや仏La Tourette修道院などの設計で、1948年から建築家Le Corbusierを助け、独自の才能・アイデアを発揮するようになります。例えば、Modulor(モデュロール: 黄金比を参考した、1948年から建築家Le Corbusier独自の比例配分)理論の発案や窓枠や格子のプロポーショナルな配置などについては、Xenakis先生の数学的考案に基くところが大きいとされています。Le Corbusierの弟子として働く傍ら、Paris 音楽院にて作曲方法を学び、作曲に数学の理論を応用した方法を発案して行くことになります。最初期に、彼はArthur Honeggerに師事しますが、「こんなの音楽じゃないよ」と非難された為、1回でレッスンを辞め、その後、パリ音楽院のOlivier Messiaenに師事します。Messiaenは、彼に「君は数学を知っている。なぜそれを作曲に応用しないのか。伝統的な修練は、あってもなくても同じではないか!」と、彼の才能を見抜き、その甲斐もあって、Xenakis先生は、1954年に、数学で生み出されるグラフ図形を元に、縦軸を音高、横軸を時間と見做し音響の変化を綴る形で作曲したオーケストラ曲”Metastaseis”を作曲、独Donaueschinger Musiktage(ドナウエッシンゲン音楽祭)で、鮮烈なデビューをしています。その後も数学の論理を用い、コンピュータを使った確率論的手法(”Pithoprakta”より採用)で多くの斬新な作品を生み出しています。高橋悠治の協力を得て、室内楽や独奏でも”Eonta”や”Herma”など初期から優れた作品を発表していますが、特に管弦楽曲や電子音楽など多くの音群を自在に扱うことのできる分野で最も才能が開花しています。中期の2つの傑作、会場内に奏者がランダムに配置される管弦楽曲”Nomos gamma”と、照明演出を伴う電子音楽”Polytope (Montréal版)”で、彼の作風は一つのピークを迎えます。1969年の大阪万博では、日本語タイトルで”Hibiki Hana Ma (響き・花・間)”と題された、マルチ・チャンネル360度の再生装置を伴う電子音楽曲を発表しています。ここら辺までが Xenakis先生の前期に当たる時期なのですが、1971年に、8トラックでのテープ音楽である”Persépolis”のPolytopeを発表しています。その後、中期には、直感的なグラフ作法と天性のバルカン半島的な韻律(ギリシャ民謡)に基づいた作品を発表しており、また、1977年には、電子音楽の作曲用コンピュータとして、ペンとタブレットで描いた線形が音響として反映されるUPICの開発を完遂しています。ただ、仏国内では、彼は、Pierre Boulezと対立していた為、受賞などはしていませんが、演奏者などからは大絶賛されています。1980年代になり、後期になると、ブラウン運動からヒントを得た「非合理時価を互い違いにかける」アイデアをオーケストラの個々のパートに適応させて、数十段で行う手法を開発し、その音楽的密度も凄まじいものとなっていきます。しかしながら、晩年には、アルツハイマー病に罹患し、どこまで作曲したかを直ぐに忘れてしまい、その為、過去の自分の曲を用いた「再作曲」を行うようになりますが、やはり作曲能力は低下していきます。そして、1997年には、”Omega”と名付けた作品を発表して、自身の音楽活動に終止符を打っています。1999年にはPOLA賞を受賞していますが、その2年後に仏Parisで他界しています。ザッとXenakis先生の略歴を書きましたが、何せ作品も多いので、これで勘弁して下さい。
それで、本作品”Persépolis”についてですが、先述のように、初期の電子音楽がピークに達した頃の作品で、現代音楽マニアだけでは無く、オーディオ・マニアにも大人気の作品となっています。元々は、Iranの第五回Shiraz-Persépolis国際芸術祭からの委嘱によって作曲された作品で、1971年にPersépolisの遺跡で初演されています。初演の際には、レーザー光線やサーチライトが遺跡を照射し、子供たちが松明を持って動くという視覚的な演出が行われていたらしいのですが、同時に再生された8トラックのテープの音楽も、会場設置の100台のスピーカーから流されたと言われていますので、その規模は想像を遥かに超えたらものだったと妄想します。当然、この作品のアウトプットは8チャンネルですが、通常のステレオは2チャンネルなので、無理くり纏められていますが、それでも、迫力は満点です。多分、オーケストラのそれぞれのパートの演奏を別々に録音して、変調したと思われる音塊が波状攻撃のように凄まじい密度で埋め尽くしています。Xenakis先生は自らの音楽を「電子音楽」では無く、「電子音響音楽」と呼んでいたそうですが、これは純粋な電子音は単調で薄っぺらい音であり、彼の使う「音」は豊潤な要素が詰まった具体音や演奏音源であったことに由来しているようです。なので、彼はテープ音楽作品は思った程、作曲していません。そんな貴重な作品の一つが本作品であり、その根底には、オーケストラの音こそが、基本であると言う彼の信念があったのだと思います。それで、曲自体は1時間位の1曲なのですが、レコードの弱点である「片面には30分以内位しかカッティング出来ない」為、便宜上、A面とB面にぶった斬られているのが、ちょっと残念ですね。しかしながら、時々、聴こえる楽器音や具体音の破片や残骸から、元の音が物の見事に異形に変容されたことを物語っているのだと思います。とにかく、音の密度が半端ないです。ノイズ・ミュージックにも大きな影響を与えた作品でもありますので、ノイズ・ミュージックを志すアーティストやリスナーさんは必聴と言えるでしよう‼️マスト・アイテムです❗️因みに、「世界中の現代音楽家はJohn Cageの影響を受けているはずだが、唯一影響を受けていない例外はIannis Xenakisだ!」と言う一柳慧の言葉の重みを知って下さい!

https://youtu.be/bUT5hONK7Bw?si=IMZWlVWHY5NAHsVc

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