chirolin_band
国内盤アナログ・レコード(1950年代〜1960年代〜1970年頃)のデータ・ベース(リスト)を作成しています。
(国内盤レコードDB)
ジャンルはオール・ジャンルで、フォーマットはExcel ファイル(xlsx)です。
現在仮開示しているのは、
日本グラモフォン
東芝
日蓄工業
日本ウエストミンスター
日本ディスク(1950年代)
日本マーキュリー(1950年代)
ユニバーサル・レコード(1950年代)
日本コロムビア
キング・レコード
です。
2024.07.08 テイチク・レコードを追加しました。
今後、随時追加していく予定ですが、時間はかかります。
ダウンロードして自由に使って頂いて結構ですが、同時に開示している説明ファイル(ワード文書 or リッチ・テキスト)を
よくお読みになってください。また、現段階ではあくまでも仮開示であり、完成形ではないことにもご留意ください。
https://1drv.ms/u/s!ApINowI3ybkacrP3M_GV7wSe6j0?e=67lDy2
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アナログ・レコードに関わる資料を中心に紹介致します。
よろしくお願い致します。
国内盤のレコードに関する資料を展示しています。
ここでは、国内の各レコード会社がかつて発行していた「月報」をご紹介致します。
「月報」というのは、毎月発売される新譜レコードを、メーカーが直接消費者に知らせるために無償で配布していた小冊子です。呼び方は「マンスリー・サプリメント」とか色々ありましたが、ほとんどのメーカーは作成していました。
戦前からありましたが、1970年代の前半頃までは続いたようです。その後は、レコード・マンスリー系の冊子に事実上収斂されるされるような形で消えていきました。(一般的なレコード・ファンなら、一冊で全メーカー分を調べられた方が便利ですから)
大きなレコード店では、今で言うフリー・ペーパー・コーナーがあり、好きに貰っていいようになっていた、という話を聞いたことがありますが、私が行っていたような中小のお店では、LPを買った時に貰えるといった感じで、いつでも手に入るものではありませんでした。
1950年代〜1970年代初頭のレコードを調べる場合、まずここから当たらなければならないというマスト・アイテムであり、私自身の「国内盤レコードDB」作成に際しても、一番重要度の高い資料となっています。
レコード会社の月報、1960〜1963年です。
レコードの生産実績推移(枚数)を見ると、45回転盤がSPを抜いたのが1959年でしたが、翌60年にはLPもSPを上回りました。
そしてこの1960年を100とすると、1963年は45回転盤が290,LPが187となります。(日本レコード協会五十年史による)
この急激な成長は、もちろん国全体の高度成長に裏打ちされていたわけですが、レコード業界の特記事項として、積極的な海外レーベルとの契約によるカタログの多様化が挙げられると思います。
ユーザーとしては選択肢が増え、レコードを聴く楽しみも広がったわけです。
一方で、月報もページ数が増えて行きますが、かつては担当者が丁寧に書き込んでいたセールス・ポイントやコメントは見られなくなって行きます。これは仕方のないことでしょうね。
レコード会社の月報、1964~1966年です。
この時期もレコード産業は発展を続けていますが、1966年度の生産実績の構成比を見ると シングル=67%/LP=17%/コンパクト=16% となっており、需要の中心は45回転のシングル盤だったことが判ります。30cmLP は コンパクト盤と同程度しかありません。 また伸び率で見ると、1963年を100 とした場合、シングル=161/LP=118/コンパクト=231 となり、LPが一番小さくなっています。音質面で見た場合、コンパクト盤は「30cmLPの最も悪い部分のみを切り出したもの」なのですが、そうしたことよりもコスバが重視されていた時代でした。(数値実績は日本レコード協会五十年史による)
レコード会社の月報、1970年代です。
1973年度の生産実績(枚数)の構成比を見ると シングル=50%(微減)/LP=46%(大幅増加)/コンパクト盤=4%(激減)となっており、LP がシングルに肉薄する勢いで成長しているのが判ります。コンパクト盤は、既に過去のメディアとなっています。 また伸び率で見ると、1969年を100 とした場合、1973年はシングル=111%/LP=205%/コンパクト=42% となり、やはりLPが一番の成長メディアだったことが判ります。(数値実績は日本レコード協会五十年史による)
一方、戦前から続いた月報は1970年代前半に姿を消して行きます。メーカーの数も増え、レコード会社にとっては重複コストを削減したかったでしょうし、何よりもユーザーにとって、一冊で全社の新譜が一覧できるレコード・マンスリー系の冊子の方が使い勝手が良かったということでしょう。
アナログ・レコードの楽しみのひとつがジャケットです。
当然、ジャケット・デザインも最終的に印刷されるサイズを想定して作られていますから、アルバムならば 約30cm×30cm のサイズで見た時に最も映えると思います。
最初からCDとして発売されたものは何とも思いませんが、LPをCD化した場合、どうしてもインパクトが薄らいだと感じます。サイズの違和感ですね。ただ単に縮小するのではなく、CDサイズにデザインし直す方がビジュアル的にはずっと効果的なのですが、音楽とジャケットが一体化して認知されている作品も多く、イメージを壊すようなことはできないでしょうね。
ここでは、名盤かどうかとか関係なしに、私自身がジャケットとして「面白い」と感じたものを、少しずつ投稿して行きます。
レコード・メーカーの総目録です。
レコード・メーカーが定期発行していた資料の中で、「月報」がコンシューマー向けの販促物だったのに対し、「総目録」はディーラー向けの商品カタログでした。
掲載商品も、「月報」が月々の新譜だけであるのに対し、「総目録」は発売アイテム全般(廃盤は除く)となっていました。
そのためページ数も多くなり、会社によっては洋楽と邦楽を分冊にしていたところもあります。
発行は年1回でした。
基本的に実用的な商品リストであり、表紙等のビジュアルも特に目を惹く要素もないため、いくつかをピックアップしてご紹介します。
情報のディジタル化やネットが普及する前は、レコード店にとって、この「総目録」が顧客の問い合わせ等に対応する重要なツールでした。
1年間通して使うことを前提にしていたので、新譜が発売されることを想定し、予め空白ページも用意されていました。
月々の新譜は定期的にシール対応の印刷物が送付され、お店でそれを貼り込んでいました。
また、廃盤が発生した場合は、対象商品を返品するのと同時に、総目録上の該当商品を消し込む(赤ペンで斜線を入れる等)こともお店の仕事になっていました。
次年度用が配布されると、それまでの分は廃棄されていましたので、「月報」と違って残されている数は少ないです。
中にはお店と懇意になって、廃棄する分を貰ったというマニアもいたそうです。
また、レコード店全店に行き渡っていたわけでもなく、卸店と契約した小型店や併売店などには、最初から配布されないところもありました。
その為、卸店では、タイトルでの注文を受け付け、品番を調べて出荷するサービスも行われていました。
メーカーによっては、ディーラー用とは別に、コンシューマー用の目録も作っていました。こちらは番号順ではなく、作曲家別や演奏家別になってものが多かったようです。
ポピュラー系の音楽雑誌
「ミュージック・ライフ」です。
出版していたのは、
新興楽譜出版社ですが、
現在のシンコーミュージック・エンタテイメントです。
レコード店ではなく、
書店で購入する雑誌でした。
画像は 1960年5月号の表紙ですが、
アーティスト名が判る方は
いらっしゃいますか?
三人組のコーラス・グループですが、
グループ名は知っていても、
ビジュアルは知らない
という方も
いるのではないでしょうか?
このミュージック・ライフ誌、
レコード関係資料としての価値は
さほど高くありませんが、
それぞれの時代を
楽しむことは出来ます。
私が熱心に読んだのは
1970年頃までなので、
そういった古めのところを
ピックアップして
ご紹介したいと思います。
※表紙のアーティストは、
「スリー・グレイセス」です。