月報 日蓄工業(コロムビア) 1960〜1962年

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1960年の時点で、日蓄工業は発売元メーカーとしての存在になっており、販売は日本コロムビアに委託していました。よって月報もコロムビアの月報の中に「エピック・レコードのページ」として掲載されています。

1960年に入り、日蓄工業には大きな事件が起こります。看板レーベルが「エピック」、主要なリソースはオランダ・フィリップス原盤で、それを米コロムビア経由で発売していたことは1950年代の項に書いた通りなのですが、そのオランダ・フィリップスが日本ビクターと直接契約を結んだのです。そして1960年10月新譜から、本家と同じ「フィリップス」レーベルとして日本ビクターが販売を開始します。日蓄工業の「エピック」は、レーベルとしては継続しますが、その中身はフィリップス系がごっそりと消えてしまい、米コロムビアが追加で入れていたリソースのみとなってしまいます。テコ入れが急務と云うことで新たに契約したのがアメリカのワーナー・ブラザースで、第1回新譜が1960年8月20日に発売されています。

これで一息付けると思いきや、今度はそのワーナー・ブラザースが東芝に引っ越すことになり、日蓄からの新譜発売は1962年3月10日が最終となってしまいます。
おそらくこの辺りで見切りをつけたのだと思いますが、日蓄工業は1962年6月には業務内容を変更し、レコード業界を離脱して行きます。日本レコード協会の資料にも「1962年6月27日に同協会を退会した」との記録が残っています。この辺り、コロムビアという親会社があったからこそ出来た芸当で、独立資本の会社だったらこうはいきませんね。

その後の日蓄工業のことは全く判りませんが、エピック・レーベルの資産はそのまま日本コロムビアに継承されました。
今になってカタログを眺めていると、「こんなレコードが当時発売されていたのか」という盤もあります。

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