「サムライ戦車隊長 (島田戦車隊奮戦す)」(光人社NF文庫/島田豊作著)

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太平洋戦争開戦後、日本軍はシンガポールを目指してマレー半島を南下。その前に立ちはだかるスリムリバーの英軍の堅陣。それを、英軍の意表をつく戦車夜襲により突破したのが島田戦車隊であった。

同隊は、島田豊作少佐率いる戦車第六連隊第四中隊を基幹とする歩兵工兵との戦闘団編成で、戦史上でも稀有な戦車による敵陣への夜襲急襲を行い、混乱する英陣を電撃戦により突破して敵軍の後方まで進出、英印軍1個師団を包囲・殲滅し、多数の捕虜と兵器を鹵獲、日本軍のシンガポール進出の道を開いた。
本書は島田氏本人による、その後のシンガポールの戦いまでの従軍記。

背表紙の解説:
キャタピラの轟音も高く、クリークを越え、椰子林を踏みにじって”鉄の王者”の行くところ敵なしー第二次大戦中に世界のすみずみまで島田戦車隊の勇名を轟かせた"鬼戦車隊長”が、自らの半生をドラマチックな筆致で描破する。果敢な闘志をもっていくたの難局にあたり、不可能を可能に変えた男の戦車隊戦記。

著者略歴:
島田豊作(しまだ・とよさく)
明治45年3月、群馬県に生まれる。昭和4年、館林中学校卒業、陸軍士官学校(45期)に入校。8年、同校卒業、歩兵少尉に任官、歩兵17連隊付となる。
9年4月、津田沼戦車2連隊練習部に入り、戦車教育をうける。10年2月、満州事変に従軍、第2独立守備隊付、第2国境守備隊中隊長。14年12月、戦車8連隊中隊長として支那事変に従軍。
15年8月、戦車6連隊中隊長。16年、マレー戦に従軍、少佐。17年4月、戦車9連隊付。18年3月、陸軍士官学校機甲兵科教官。20年3月、戦車18連隊長。戦後、館林高校の教諭となり、定年退職する。63年7月歿。

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    真適当工作

    about 8 hours ago - 編集済み

    隊長の車両の迷彩の図面とかないんですかね⁉️

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      T. S

      about 5 hours ago

      それは見たことないんですよね。
      知りたいですね。
      島田中隊長なので「し」って書いてあった可能性があります。

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