「ドラム要塞 コンクリートの戦艦 THE CONCRETE BATTLESHIP FORT DRUM EL FRAILE ISLAND MANILA BAY」(FRANCIS J. ALLEN著)

0

米西戦争後にフィリピンの米国による統治が始まり、マニラ湾のキャビテ軍港は米国の植民地経営のための重要な港湾となります。

そこで米陸軍は、そのマニラ湾の防備のために20世紀初頭に5年間をかけて湾口に浮かぶ小島、フルイル島に砲台を築きます。それがこの「フォート・ドラム」(ドラム要塞)でした。

岩礁の小島、フルイル島は原型を留めないほどに改造され、まるで戦艦の前部船体のような形状にコンクリートで固められ、そこに2基の14インチ(35.6cm)連装砲塔が据えられ、さらに側面防御のための6インチ(152mm)単装砲が両サイドに分かれて4門、ケースメート(砲郭)式に設置されました。

砲塔の1基は、20世紀初頭まで米陸軍工兵隊のトップとして勤務し、米国内各地の水路やダム建設などに貢献した、南北戦争の最後の経験者のウィリアム・マーシャル准将から「マーシャル砲台」と、そしてもう1基は、同じく工兵出身の将軍で、南北戦争で名誉勲章を受勲し、戦後に国内の水運の改善などに貢献したのちウエストポイントの校長まで務めたジョン・M・ウィルソン准将から「ウィルソン砲台」と、それぞれ2人の工兵あがりの将軍たちの名前を冠されました。

そしてそれから数十年経ち、太平洋戦争が始まります。しかし、この強固な要塞も太平洋戦争での日本軍の攻勢を支えきれず、コレヒドール島の陥落とともに日本軍に降伏。

そして、昭和20年の米軍の反攻では、逆にここが日本軍がマニラ地域での最後の抵抗拠点となり、内部に貝のように立てこもる日本兵に剛を煮やした米軍は、最後の手段で内部に燃料を流し込んで爆薬を仕掛け、砲台全体を爆破したのでした。

いまでもドラム要塞の強固な本体は撤去もできずにマニラ湾に残っており、、、比国に出張の際に着陸前の機内からぜひ見てみたいのですが、いつも角度が悪くてまだ見ることができておりません。いつか。。。

その、ドラム要塞の全記録です。

Default