1976 7TH IXO PENSKE PC4 J.WATSON 〖🏆1〗

0

チームペンスキー F1唯一の勝利は
ジョン・ワトソンの初優勝

1958年設立のアメリカのレジェンド
チームペンスキーは1974年から途中参戦

1976年はJ・ワトソンが前年末よりドライバ―
R7スウェーデンGPよりニューマシン
PENSKE PC4導入後成績が上昇

R8フランスR9イギリスで連続3位表彰台
フェラーリが欠場したR11オーストリアは
予選2位 決勝12週目からトップKEEPし優勝

この勝利はチームペンスキー唯一の勝利
F1通算5勝のワトソンの初勝利
そして前年度同じオーストリアGPで
ペンスキー所属で命を落とした
マーク・ダナヒューへ捧げる勝利でもあった

チームはこの年限りで撤退
コンストラクター名は残るもATSへ売却

ワトソンは優勝含む表彰台3回
5度の入賞で年間順位は7位
◆R16日本(富士SW)予選4位→決勝リタイア◆
翌1977年はブラバムに移籍します

#1976年
#F1-1976年
#F1-初優勝
#F1
#デアゴスティーニ

https://muuseo.com/FW12C/items/675

1975 15TH PMA MARCH 751 M.DONOHUE
マーク・ダナヒュー アメリカ出身 1973年 インディ500 ウイナー 1974年 Can-Am チャンピオン 愛称はキャプテン・ナイス エンジニア兼ドライバ― 1974年で一度は引退を発表も ペンスキーが説得してF1参戦を継続 当初ペンスキーのシャーシPC1で出場 R10のイギリスより シャーシ変更 MARCH 751で参戦 そのイギリスで予選15位→決勝5位 しかし変更したMARCH751で R12オーストリアGPの日曜ウォームアップ タイヤがパンクしてコースに投げ出され 残念ながら2日後に帰らぬ人となった 享年38歳 F1通算14戦 3位表彰台1回 参戦初戦 マクラーレンで表彰台獲得 🏁マーク・ダナヒュー (アメリカ) 【決勝出走回数】14回(入賞3回-表彰台1回)  【予選最高位】 8位  1971年 マクラーレン R10 カナダGP 【決勝最高位】 3位  1971年 マクラーレン R10 カナダGP #F1-1975年
https://muuseo.com/FW12C/items/675

Default