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1974 7TH SPARK McLAREN M23 D.HULME〖🏆1〗
デニス・フルム ラストイヤー 最後の勝利 McLAREN M23 1974年フルムはマクラーレン7年目 チームメイトはロータスより エマーソン・フィッテパルディが移籍 ワールドチャンピオン コンビ サードドライバーはマイク・ヘイルウッド 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位 決勝 終盤2位を走行 地元の英雄カルロス・ロイテマン(ブラバム)に トラブルが発生 ラスト2周でパスし そのままチェッカー 自身通算8勝目 R5ベルギーでファステスト・ラップ R12オーストリア 決勝2位以外の入賞は 6位が5回と精彩を欠き エマーソンの2度目のチャンピオンを 見届けて自身はF1から引退した モデルはSPARK Marlboro加工 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位→決勝WIN 自身最後の8勝目 8勝は全ての国(サーキット)が異なる デニス・フルム以降~現在まで ニュージーランド出身ドライバーの勝利は無い #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇳🇿デニス・フルム (ニュージーランド) 【決勝出走数】111回 (入賞61回-表彰台33回) 【予選最高位】🚩PP 1973年🟥McLAREN R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆️優勝(8回) 1967年🟩BRABHAM R02 モナコ 1967年🟩BRABHAM R07 ドイツ 1968年🟥McLAREN R09 イタリア 1968年🟥McLAREN R10 カナダ 1969年🟥McLAREN R11 メキシコ 1972年🟥McLAREN R02 南アフリカ 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1974年🟥McLAREN R01 アルゼンチン 【FastestLap】🏁FL(9回) 1966年🟩BRABHAM R05 オランダ 1967年🟩BRABHAM R01 南アフリカ 1967年🟩BRABHAM R06 イギリス 1971年🟥McLAREN R10 カナダ 1972年🟥McLAREN R09 オーストリア 1973年🟥McLAREN R02 ブラジル 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1973年🟥McLAREN R08 フランス 1974年🟥McLAREN R05 ベルギー ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1967年 BRABHAM (2勝/11戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 2413
250202 D.HULME 1974 1回FW12C
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1977 9TH SPARK TYRRELL P34 P.DEPAILLER
2年連続日本GP 6輪車での表彰台 パトリック・デパイユ TYRRELL P34 1977年パトリック・デパイユは ティレルレギュラー3年目 チームメイトは新たにマーチから ロニー・ピーターソンが加わる ティレルは6輪車の2シーズン目 エンジンを覆うスムーズなカウルを開発 カラーリングも上部を白に変更 R3南アフリカGPで3位表彰台獲得も 以降はグッドイヤーが ミシュランとの開発競争もあり ティレル専用のフロント小径タイヤの 開発が進まず前後のバランスが悪化 前年度ほどのインパクトが残せなかった それでもマシンの改良が進み R16カナダGPでシーズンベスト2位 最終戦R17日本GPでも3位表彰台 前年度(2位)に続く2年連続の表彰台 この表彰台を最後に一世風靡した 6輪マシン ティレルP34は幕を閉じた モデルはSPARK 日本GP仕様 予選15位→決勝3位 大阪にあるモデルガレージROMU別注 ティレル6輪車の最後のレース ティレル
241231 P.DEPAILLER 1977 4FW12C
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1967 5TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON (GP ITALIA)
孤軍奮闘もイタリアGP勝利ならず クリス・エイモン FERRARI 312 1967年フェラーリはエース格の ロレンツォ・バンディーニが火傷で死亡 代わりのマイク・パークスも重症事故 前年度フェラーリで勝利をあげた ルドビコ・スカルフィオッティも離脱 残されたエイモン1人体制で戦った 出走レース7回中入賞6回(表彰台4回)で迎えた フェラーリ地元R9イタリアGP 新たに4バルブ化したエンジンを投入 この年脅威となったFORD DFVエンジンに対抗した 予選は2列目4番手スタート 決勝はトップ争いには絡めず 最終的には4周遅れの完走扱い7位で終了 このGPは皮肉にも前年でフェラーリを離脱 HONDA RA300の初戦となった ジョン・サーティス(イギリス)が リードラップ1周で劇的な勝利をあげている モデルはBRUMM R9イタリアGP仕様 予選4位→決勝7位 ドライバーレス 4バブル化によりエンジン出力は公称410馬力 エイモンはフェラーリ時代のイタリアGPは 出走 2年ともポイント獲得ならなかった 1967年イタリアGP優勝 HONDA RA300↓ https://muuseo.com/FW12C/items/1668?theme_id=34513
241117 C.AMON 1967 2FW12C
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1977 8TH REVE COLLECTION LOTUS 78 G.NILSSON
日本GP限定 インペリアル・タバコカラー グンナー・ニルソン LOTUS 78 1977年 ニルソンはロータス残留 チームメイトはマリオ・アンドレッティ マシンは元祖グランド・エフェクトカー ロータス・78が開幕戦から投入された ニルソンは2度の5位入賞後 R7ベルギーGP 予選3位 決勝はニキ・ラウダ(フェラーリ)との 争いを制し自身初優勝を初FLで飾る シーズン後半は7戦連続リタイアと精彩を欠き ロータスを離れ 翌1978年はアロウズと契約 しかし契約後の健康診断で癌が見つかり休養 アロウズのシートはR・パトレーゼに譲った その後1977年の最終戦日本GP出走から わずか約1年後 29歳の若さでこの世を去った 亡くなる少し前には同年事故死した ロニー・ピーターソンの葬儀に参列していた モデルはREVE COLLECTION R17日本GP仕様 予選14位→決勝リタイア JPSの姉妹ブランドIMPERIALのカラー このペインティングは日本入国後に 富士スピードウェイ近くで実施 真紅のカラーはニルソン最後マシンとなった 🏁グンナー・ニルソン(スウェーデン) 【決勝出走数】31回 (入賞9回-表彰台4回) 【予選最高位】3位(2回) 1977年 LOTUS R7ベルギー 1977年 LOTUS R9フランス 【決勝最高位】 WIN 1977年 LOTUS R7ベルギー 【ファステストラップ】 1回 1977年 LOTUS R7ベルギー
241115 G.NILSSON 1977 1回FW12C
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1979 7TH PMA LOTUS 79 C.REUTEMANN (GP ITALIAN)
通常版とは異なり後に発売された 1979年ロータス79 カルロス・ロイテマン R13 イタリアGP仕様車 1979年後半戦はLOTUS79のBスペック ともいうべきマイナーチェンジが施され モデルカーはドライバーフィギュア等の 改良バージョンで発売 かつてイギリスにあった石油会社 エセックス・ペトロリウムがサイドポッド イタリアの酒造メーカー マルティーニ・エ・ロッシの カラーリングも変更されている イタリアGP ロイテマンは 予選14位→決勝7位 全15戦中 前半7戦は6度の入賞 後半8戦は入賞無しに終わり ロータスを1年で去りウイリアムズに移籍 このイタリアGPはチームメイトの マリオ・アンドレッティが後半戦で チーム ロータス唯一となる5位入賞している ブリティッシュ グリーンと マルティーニのロゴはこの年限りであるが ミニチャンプスで2種発売された事? またこの年のロータスの成績不振もある為? セコハン市場でも価格は抑えられている ⬇️通常版 ロータス79 ロイテマン https://muuseo.com/FW12C/items/699?theme_id=34203
240228 C.REUTEMANN 1979 2FW12C
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1967 4TH IXO HONDA RA300 J.SURTESS〖🏆1〗
第1期HONDA 2勝目 ジョン・サーティス HONDA RA300 1967年HONDA第1期4シーズン目 ドライバ―はクーパーから 1964年チャンピオンのサーティスが移籍 そのサ―ティスが大株主であった イギリスのローラ社と提携 予算縮小もあり1台体制での参戦 R9イタリアGPニューマシンRA300を導入 予選は9位からスタート 終盤までトップが5名のドライバーで 入れ替わる大混戦の中 最終ラップでサ―ティスは J・ブラバム(ブラバム)のインを差し 最後はわずか0.2秒差で勝利 RA300でのデビュー戦の勝利は 僅かリードラップ1周での勝利 その後RA300がトップを走行は無く 第1期HONDAの最後の2勝目で サ―ティスの通算最後の6勝目でもあった
230613 J.SURTEES F1マシンコレクション 1967FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1997 8TH PMA JORDAN PEUGEOT 197 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダン移籍 初ポイント・初表彰台・初FL JORDAN 197 G・フィジケラはミナルディからジョーダンへ ラルフ・シューマッハと24歳・21歳の若いコンビ R3アルゼンチンで同士討ちで早くも関係悪化 R4サンマリノGPで予選6位→決勝自身初入賞4位 フィジケラの通算入賞回数は73回 R6スペインで初ファイナルラップ R7カナダで3位 R12ベルギーで2位 表彰台2回獲得 通算表彰台は19回 R10ドイツGPでは予選2位から G・ベルガー(ベネトン)と高速バトルで 優勝を争ったも結果はパンクで最終11位 この年ジョーダンはスポンサーの B&Hの意向もあり鮮やかなイエローに変更 チームが終了する2005年までこのカラー継続 戦闘機のノーズアート風のグラフィックで ノーズコーンをスネークヘッドに見立てた カラーリングが注目された遊び心ある1台
221104 G.FISICHELLA 1回 12FW12C
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1967 5TH HOT WHEELS FERRARI 312 C.AMON
最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ル・マン24時間優勝経てフェラーリ移籍 1967年それまでローラやプライベーターで 参戦してきたクリス・エイモンは 前年B・マクラーレンと組んだ ル・マン24時間での優勝などが評価され フェラーリに移籍 TMはL・バンディーニ フェラーリ初戦のR2モナコGPでは 予選14位ながら決勝は3位表彰台獲得 エイモンの生涯表彰台は11回 このGPではフェラーリのエースであった L・バンディーニが不運もあり事故死 エイモンは実質1人でフェラーリを支えた 最終的に3位を4回など6度の入賞で 年間順位は5位(ポイントは4位タイ) これはエイモンの生涯ベストリザルト #F1-1967年
221021 C.AMON 8 1/43FW12C
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1975 7TH PMA TYRRELL FORD 007 J.SCHECKTER〖🏆1〗
同一マシンによる兄弟同時出走 地元南アフリカGP優勝 J・シェクター 1975年ジョディー・シェクターは フル参戦ティレル2年目 TMは昨年同様パトリック・デュパイエ 前年途中投入して2勝をあげたマシン TYRRELL 007で1975年シーズンも戦い R3地元南アフリカGP 予選3位から優勝 このGPのは兄のイアン・シェクターも プライベートチーム Lexington Racing ティレル007で出場 予選17位→決勝リタイア 兄弟が同一GPを同一マシンで出場した ジョディー・シェクターは優勝含む表彰台3回 年間順位は7位 完走率は78%と高かったが 7位2回 8位2回と入賞に届かない レースが多かった 翌1976年もティレルに残留 革新的マシンTYRRELL P34に出会う #F1-1975年
220930 J.SCHECKTER 1975 1.392FW12C
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1976 8TH+α SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
F1参戦初年度リジェ ジャック・ラフィー 予選 PP 決勝表彰台 3回 FL 獲得 1976年R4スペインGPから規定で 高いインダクションポッドが禁止された為 所謂〖ティーポット〗は姿を消し オーソドックスなマシンに変化 マシンの見た目は変わったものの JS5は十分な速さを備えており R5ベルギーGP予選6位→決勝3位 参戦5戦目で早くも表彰台を獲得 R11オーストリアGP予選5位→決勝2位 R13イタリアGPでは予選PPを獲得 決勝も3位に入り3度目表彰台を獲得 R16富士SWではファステストラップも記録 ◆R16日本(富士SW)予選11位→決勝7位◆ リジェは初年度 1台のエントリーながら コンストラクタ―6位(当時の解釈では5位タイ) ラフィーも20ポイント獲得して年間8位 この後ラフィーはトータル9シーズンを リジェで過ごし生涯6勝のすべてをあげる SPARKのF1としては2台目に購入したモデルで 不良があって交換した思い出のある1台 インパクトはティーポットJS5が断然上↓↓ #F1-1976年 #1976 https://muuseo.com/FW12C/items/881?theme_id=35914
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1976 7TH IXO PENSKE PC4 J.WATSON 〖🏆1〗
チームペンスキー F1唯一の勝利は ジョン・ワトソンの初優勝 1958年設立のアメリカのレジェンド チームペンスキーは1974年から途中参戦 1976年はJ・ワトソンが前年末よりドライバ― R7スウェーデンGPよりニューマシン PENSKE PC4導入後成績が上昇 R8フランスR9イギリスで連続3位表彰台 フェラーリが欠場したR11オーストリアは 予選2位 決勝12週目からトップKEEPし優勝 この勝利はチームペンスキー唯一の勝利 F1通算5勝のワトソンの初勝利 そして前年度同じオーストリアGPで ペンスキー所属で命を落とした マーク・ダナヒューへ捧げる勝利でもあった チームはこの年限りで撤退 コンストラクター名は残るもATSへ売却 ワトソンは優勝含む表彰台3回 5度の入賞で年間順位は7位 ◆R16日本(富士SW)予選4位→決勝リタイア◆ 翌1977年はブラバムに移籍します #1976年 #F1-1976年 #F1-初優勝 #F1 #デアゴスティーニ https://muuseo.com/FW12C/items/675
J.WATSON F1マシンコレクション 1976 28FW12C
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1976 8TH SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
フランスチーム リジェ デビューマシン LIGIER JS5 1976年新興のフランスチームリジェが参戦 当初ドライバーはJ・P・ベルトワーズの予定 しかしテストでJ・ラフィーが好タイムを出し ラフィーの1台体制で初年度向かえた エンジンはマトラ製 そしてなにより フランス国営のタバコGITANESがスポンサー 以降20年間潤沢な資金でリジェを支えた デビューマシンのJS5は 巨大なインダクションポッドと GITANESのフランメンコダンサーが目を引き その形状から〈ティーポット〉と揶揄された 形状とは裏腹にいきなりの好走を見せる 開幕戦予選11位 R2予選8位と好位置獲得 R3アメリカWEST LONG BEACHでは 予選12位からトップと同一周回での4位入賞 リジェにチーム初入賞をもたらした レギュレーション変更に伴い 〈ティーポット〉は開幕3戦で終了 2009年のSPARK F1の初期に発売のモデルで ドライバ―のヘルメットが若干大きい 人気のモデルで大阪のモデルガレージロムが 独占で再生産販売もしている #1976 #LIGIER #F1-1976年
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1982 11TH BRABHAM BMW BT50 N.PIQUET 〖🏆1〗
1982年の11人のWINNERSの7人目 前年度Wチャンピオン ネルソン・ピケ ブラバムはBMWエンジン搭載の BT50を開幕から投入 エンジン初期トラブルで R2ブラジルGPは前年度の改良型の BT49D FORDでトップでチェッカーも 重量規定違反で失格となる R7アメリカでは予選落ちするも R8カナダで予選4位→優勝 1982年7人目のWINNERとなったが 年間はこの1勝に終わり 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間順位11位と苦戦 BT50はFIで初めてR10イギリスより 走行中のマシンデータをピットから モニタリングできる テレメトリーシステムを導入 BMWエンジンの燃費の悪さを補うため 燃料使用量を把握してピットイン時に 給油とタイヤ交換を行って ハイペースで走るという戦略を ゴードン・マレー発案で導入した #1983 #BRABHAM
N.PIQUET 2回 1 1/43FW12C
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1979 6TH PMA LIGIER FORD JS11 P.DEPAILLER〖🏆1〗
人生は楽しむためにあるのスタイルを貫いた パトリック・ドュパイエ フランス出身 長年在籍したティレルを離れ 1979年は母国フランスのリジェに所属 TMはジャック・ラフィーのフランス人コンビ フランスチーム初のグランドエフェクトカー リジェJS11は開幕戦から2戦連続の 予選フロントロー独占して周囲を驚かせる ドュパイエも7戦目までで 予選平均2.85位(ラフィーも同率) 決勝もR5スペインで優勝(モデル仕様) 5度の入賞でランキング3位につける しかし趣味のハンググライダーで 両足骨折の事故を起こし8戦以降は欠場 開発能力の高いドュパイエの離脱で チームも勢いを失い後半失速 R4アメリカ東 ロングビーチでは ノーズの先端に穴をあけて急造ダクトを作成 現代では考えられない荒業を実施してます ドュパイエ予選4位→決勝5位 画像7 #F1-1979年
P.DEPAILLER 1回 25 1/43FW12C