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1951 3RD IXO FERRARI 375 F1 J.F.GONZALES
フェラーリ 記念すべき初PP&初勝利 J.F.ゴンザレス FERRARI 375 F1 ホセ・フロイラン・ゴンザレス(アルゼンチン) 太った体格と豪快な走りから パンパス・ブル(大草原の猛牛)と呼ばれた 1950年と1951年にプライベータで参戦後 1951年R4フランスGP 怪我のP.タルッフィの 代役でフェラーリから参戦 フェラーリのエースはアルベルト・アスカリ R4フランスGPで2位表彰台を獲得 R5イギリスGP 予選PP→決勝WIN フェラーリの歴史の中で記念すべき 予選-初PP 決勝-初優勝は いずれもゴンザレスがもたらしたものであった 2024年度末でフェラーリ PP-253回 優勝-248回 どちらも歴代1位 ゴンザレスは1951年にフェラーリで 参戦した5戦は全て表彰台(1位-1 2位-3 3位-1) 年間ランキングは3位 翌1952年から2年間マセラティに移籍 1954年に再びフェラーリに戻る モデルはIXO フェラーリ F1コレクション 61号 GP表記は無いがCar No.12から フェラーリ初優勝のR5イギリスGP仕様 当時はドライバーのレース中の 途中交代が認められており リタイヤしたNo.1ドライバーのアスカリに マシンを譲るべくピットインしたが アスカリが〖今日はお前の日だ〗交代を拒否 ゴンザレスの名前がフェラーリ初優勝の ドライバーとして刻まれた
250310 J.F.GONZALES フェラーリF1コレクション 1951FW12C
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1974 7TH SPARK McLAREN M23 D.HULME〖🏆1〗
デニス・フルム ラストイヤー 最後の勝利 McLAREN M23 1974年フルムはマクラーレン7年目 チームメイトはロータスより エマーソン・フィッテパルディが移籍 ワールドチャンピオン コンビ サードドライバーはマイク・ヘイルウッド 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位 決勝 終盤2位を走行 地元の英雄カルロス・ロイテマン(ブラバム)に トラブルが発生 ラスト2周でパスし そのままチェッカー 自身通算8勝目 R5ベルギーでファステスト・ラップ R12オーストリア 決勝2位以外の入賞は 6位が5回と精彩を欠き エマーソンの2度目のチャンピオンを 見届けて自身はF1から引退した モデルはSPARK Marlboro加工 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位→決勝WIN 自身最後の8勝目 8勝は全ての国(サーキット)が異なる デニス・フルム以降~現在まで ニュージーランド出身ドライバーの勝利は無い #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇳🇿デニス・フルム (ニュージーランド) 【決勝出走数】111回 (入賞61回-表彰台33回) 【予選最高位】🚩PP 1973年🟥McLAREN R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆️優勝(8回) 1967年🟩BRABHAM R02 モナコ 1967年🟩BRABHAM R07 ドイツ 1968年🟥McLAREN R09 イタリア 1968年🟥McLAREN R10 カナダ 1969年🟥McLAREN R11 メキシコ 1972年🟥McLAREN R02 南アフリカ 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1974年🟥McLAREN R01 アルゼンチン 【FastestLap】🏁FL(9回) 1966年🟩BRABHAM R05 オランダ 1967年🟩BRABHAM R01 南アフリカ 1967年🟩BRABHAM R06 イギリス 1971年🟥McLAREN R10 カナダ 1972年🟥McLAREN R09 オーストリア 1973年🟥McLAREN R02 ブラジル 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1973年🟥McLAREN R08 フランス 1974年🟥McLAREN R05 ベルギー ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1967年 BRABHAM (2勝/11戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 2413
250202 D.HULME 1974 1回FW12C
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1992 3RD PMA BENETTON FORD B192 M.SCHUMACHER〖🏆1〗RB
GODE別注 ROAD BOX M.シューマッハ BENETTON B192 1988年~1991年までF1量販モデルカーは ポルトガルのONXY社がほぼ独占で発売 1992年~ドイツのPMA(Paul's Model Art)社が MINICHAMPSブランド ダイキャスト製法で参入 自国で企画・設計 中国で生産という 近年まで模型業界の主流となったスタイルを確立 初期モデルとして1992年の6種類 ウイリアムズ(N.マンセル/R.パトレーゼ) フェラーリ(J.アレジ/I.カペリ) ベネトン(M.シューマッハ/M.ブランドル) が発売され台紙はサーキット風 ROAD BOXとも呼ばれており この台紙は現在まで当該6種モデルのみ 他の5種類はセコハン市場でも見かけるが ミハエルのモデルだけはほとんど出会えない 私が所持しているモデルは 台紙のドライバー名に修正がある為 純正がどうか不明だがGODEの証紙は付属 当時の定価は2000円台 2025年現在は精巧になりレジン製が主流で モデル化も格段に速くなったが 定価は約10倍の2万円を超えている MINICHMPSはONYXとの販売競争に勝ち 一時はF1量販モデル市場の独占もあったが 2007年よりMINIMAX(SPARK)社が参入 現行モデルはBBURAGOを含め 3社の発売となっている
250125 M.SCHUMACHER ROAD BOX 1992FW12C
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1974 2ND IXO FERRARI 312 B3 C.REGAZZONI〖🏆1〗
最終戦までタイトル争い フェラーリ クレイ・レガッツォーニ 312 B3 レガッツォーニは1年ぶりにフェラーリ復帰 チームメイトはニキ・ラウダ ラウダが予選で15戦中9回のPP レガッツォーニはPP1回のみ しかし決勝では安定した走りで 前半10戦中表彰台5回 4位3回 R11ドイツGP 予選2位から 自身4年ぶりの勝利をあげ チャンピオンシップ争いでトップに立つ E・フィティバルディ(マクラーレン)と 同点で最終R15アメリカGP迎えるも エンジントラブルで万事休す 表彰台7回 52ポイント年間ランキング2位は レガッツォーニのキャリアベスト モデルはIXO BOOK型ケース入りのLa Stria R11ドイツGP仕様 予選2位→決勝WIN 1970年からのFERRARI 312Bシリーズ 10勝目で最後の勝利となった 2379
250115 C.REGAZZONI La Stria 1974FW12C
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1990 7TH PMA WILLIAMS RENAULT FW13B R.PATRESE〖🏆1〗
99戦 6年7カ月ぶりの勝利 リカルド・パトレーゼ WILLIAMS FW13B 1990年 R・パトレーゼはウイリアムズ3年目 チームメイトは前年同様ティエリー・ブーツェン ルノーエンジン復帰2年目 前年度のマシン改良版のFW13B R3サンマリノGP 予選3位 決勝残り10周でG・ベルガー(マクラーレン)を かわしトップに立ちそのままチェッカー ブラバム時代の1983年最終R15南アフリカGP 以来となる6年7カ月 99戦ぶりの勝利 当時の最大ブランク期間での優勝となった 2018年キミ・ライコネン(フェラーリ)が 113戦で記録更新(5年7カ月) ブランク年数としては現在においても最大 表彰台はこの1回のみに終わるが 終盤戦はFLを4回記録するなど エンジンとのマッチングが進みつつあった 翌1991年もウイリアムズに残留 N・マンセルとコンビを組む事となる モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 タバコBARCLAY仕様 長い間FW13Bの量販モデルは発売が無く 限定数が430台と少なかった事もあり 人気のモデルとなっている
241229 R.PATRESE 4回 430FW12C
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2023 7TH BBURAGO FERRARI SF-23 C.SAINTZ
レッドブル全勝阻止 会心の1勝 カルロス・サインツ FERRARI SF-23 2023年サインツはフェラーリ3年目 チームメイト3年連続C・ルクレール 前半13戦中11度の入賞も表彰台無しで迎えた R14イタリアGP 予選PP獲得 フェラーリは2年連続モンツァPP 決勝で勝利はならずサインツは3位 R15シンガポールGP 2戦連続のPP スタートからトップをキープ 最後は 3位 1.2秒差 L・ハミルトン(メルセデス) 2位 0.8秒差 L・ノリス(マクラーレン)の 接戦を制し自身2勝目をポールトゥウィンで飾る この勝利で結果的にレッドブルの全勝を阻止 またフェルスタッペンの連勝も10で止めた この後 再びフェルスタッペンは9連勝 ここで勝てば20連勝の可能性もあった 年間ランキングは200P 7位 ルクレール(206P 5位)にも最終戦で逆転 前年度よりも(264P 5位)順位を落とした 翌2024年もフェラーリ残留 モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR 仕様 前年度のSF-75から年号のSF-23に変更 カラーは軽量化も兼ねた カーボンむき出しの黒い面積が増えた リアウイングは前年同様オールドロゴ 2333
241214 C.SAINZ 2023 55FW12C
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2001 6TH PMA WILLIAMS BMW FW23 J.P.MONTOYA〖🏆3〗
コロンビアの暴れん坊 モントーヤ F1デビュー WILLIAMS BMW FW23 ファン・パブロ・モントーヤ(コロンビア) コロンビア出身ドライバーは 1983年ロベルト・グェレロ(セオドール) 以来2人目 2024年現在も2人のみ 1998年 国際F3000チャンピオン 4勝 1999年 米CART チャンピオン 7勝 CARTルーキーイヤーのチャンピオンは 1993年のナイジェルマンセル以来2人目 2001年ウイリアムズよりF1デビュー チームメイトはラフル・シューマッハ R3ブラジルGP トップ走行中に 周回遅れのヨス・フェルスタッペン (アロウズ)に追突され勝利を逃すも R5スペインGP 初入賞を2位表彰台で飾り R9ヨーロッパGP 初FL→2位フィニッシュ R12ドイツGP 予選初PP と着実に進み R15イタリアGPで予選PPから初優勝 年間ランキングはラルフ(4位)に敗れるも 31ポイントでルーキーイヤーで6位獲得 モデルはミニチャンプス モントーヤの初優勝となった R15イタリアGP仕様 予選PP→決勝WIN (GP MONZA, SEPTEMBER 16TH 2001) ウイリアムズオリジナルのブルーの台紙
241201 J.P.MONTOYA 2001 3回FW12C
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1977 8TH REVE COLLECTION LOTUS 78 G.NILSSON
日本GP限定 インペリアル・タバコカラー グンナー・ニルソン LOTUS 78 1977年 ニルソンはロータス残留 チームメイトはマリオ・アンドレッティ マシンは元祖グランド・エフェクトカー ロータス・78が開幕戦から投入された ニルソンは2度の5位入賞後 R7ベルギーGP 予選3位 決勝はニキ・ラウダ(フェラーリ)との 争いを制し自身初優勝を初FLで飾る シーズン後半は7戦連続リタイアと精彩を欠き ロータスを離れ 翌1978年はアロウズと契約 しかし契約後の健康診断で癌が見つかり休養 アロウズのシートはR・パトレーゼに譲った その後1977年の最終戦日本GP出走から わずか約1年後 29歳の若さでこの世を去った 亡くなる少し前には同年事故死した ロニー・ピーターソンの葬儀に参列していた モデルはREVE COLLECTION R17日本GP仕様 予選14位→決勝リタイア JPSの姉妹ブランドIMPERIALのカラー このペインティングは日本入国後に 富士スピードウェイ近くで実施 真紅のカラーはニルソン最後マシンとなった 🏁グンナー・ニルソン(スウェーデン) 【決勝出走数】31回 (入賞9回-表彰台4回) 【予選最高位】3位(2回) 1977年 LOTUS R7ベルギー 1977年 LOTUS R9フランス 【決勝最高位】 WIN 1977年 LOTUS R7ベルギー 【ファステストラップ】 1回 1977年 LOTUS R7ベルギー
241115 G.NILSSON 1977 1回FW12C
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1983 12TH PMA TYRRELL FORD 012 M.ALBORETO (PRACTICE GP AUSTRIA )
ティレル012 ブーメランウイング 予選のみ使用 ミケーレ・アルボレート 1983年 ティレルはニューマシン ティレル012を後半戦から導入 012の新車発表会で装着されていたのは 奇妙な形状のV型リヤウイング 通称 ブーメランウイング R11オーストリアGP予選でも ブーメランウイングを装着して走行 しかしながら極端なダウンフォース不足で 決勝レースは通常ウイングに変更された このマシンはチームメイトの ダニー・サリバンのは供給されず アルボレート車の同GP予選のみという 極短命で終了しその後使用されなかった モデルはミニチャンプス ブーメランウイング装着の R11オーストリアGP予選仕様 予選18位 ベネトンのコーポレートカラーグリーンと 奇抜なウイングがマッチした1台 #1983年 https://youtu.be/E14LfyytlP0
240619 M.ALBORETO 1983 2.016FW12C
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1966 10TH IXO FERRARI 312 L.SCARFIOTTI
フェラーリ/イタリア人/イタリアGP勝利 L・スカルフィオッティ FERRARI 312 ルドビコ・スカルフィオッティ イタリア出身 祖父はフィアット社創設時に出資した9人の1人 自身は1963年よりフェラーリでスポット参戦 同年L・バンディーニと組んで ルマン24時間レースを制している 1966年は2戦のみスポット参戦 R6ドイツGPは旧型フェラーリ246で 予選4位→決勝はリタイア R7イタリアGPはフェラーリ312で予選2位 チームメイト マイク・パークスがPP 決勝は序盤はトップが1周ごとに入れ替わる 展開も終盤はパークスと一騎討ちとなり 28周目(全68周)からトップに立ち優勝 パークスと1・2フィニッシュを決めた フェラーリでのイタリア人ドライバーによる イタリアGPの勝利は1952年の アルベルト・アスカリ以来2人目で 2024年現在もこの2人のドライバーのみ スカルフィオッティのF1での勝利は このイタリアGPのみ唯一のFLも記録している モデルはIXO デアゴスティーニ フェラーリ公式 F1コレクション 62号 1966年~1969年まで使用された312は 史上最も美しいマシンの1つともいわれており 後の312B 312Tシリーズで1980年まで使用 #1966年
240527 L.SCARFIOTTI フェラーリF1コレクション 1966FW12C
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1964 4TH IXO FERRARI 1512 L.BANDINI〖🏆1〗
L・バンディーニ 唯一の勝利 終盤2戦は青いフェラーリで参戦 1964年 バンディーニはF1 通算4年目 フェラーリで自身初のシーズンフル参戦 チームメイトは ジョン・サーティス R5イギリスGP 決勝5位シーズン初入賞 R6ドイツGP 決勝3位 と調子を上げると R7オーストリアGP 予選7位 ダン・ガーニー(ブラバム)がリタイアすると 47周目からトップに立ちそのままフィニッシュ 決勝参戦21戦目にして初優勝 結果的にバンディーニF1唯一の勝利となった 当年フェラーリの他カテゴリーでのトラブルで イタリア自動車協会に競技ライセンスを返上 終盤2戦の北米ラウンドでは 米のディーラー系チーム ノースアメリカンとして 参戦して青字に白いストライプという アメリカのナショナルカラーにペイントで参戦 サーティスがチャンピオンを獲得した モデルはIXO デアゴスティーニ F1マシンコレクション 83号 最終戦R10メキシコGP仕様 予選3位→決勝3位 バンディーニはエースのサーティスに順位を 譲りチャンピオン獲得をサポート フェラーリのコンストラクターの タイトル獲得にも大きく貢献した
240509 L.BANDINI F1マシンコレクション 1964FW12C
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2000 4TH HOT WHEELS FERRARI F1-2000 R.BARRICHELLO 〖🏆1〗
当時最遅125戦目の初優勝 バリチェロ FERRARI F1-2000 ジョーダン4年 シチュワート3年過ごした ルーベンス・バリチェロは2000年 アーバインの後任としてフェラーリに加入 チームメイトはミハエル・シューマッハ 開幕戦オーストラリアGPで2位表彰台 ミハエルと1.2フィニッシュを飾り 自身初のファステストラップ記録 バリチェロのキャリアFLは17回 後5度の表彰台獲得し迎えたR11ドイツGP 連日雨のセッション 電機系のトラブルで 予選もままならず18位で何とか決勝進出 決勝もウエットコンディションの中 燃料の軽い2ストップ作戦で順位を上げ 不審者侵入などのセーフティカー導入や 様々なコースコンディションの中 ドライタイヤで走り続けてトップに立ち 最後はM・ハッキネン(マクラーレン)の 猛追を凌いでトップチェッカー バリチェロの初勝利は当時の最も遅い 99戦目(M・ハッキネン)を大きく上回る 125戦目の初優勝記録となった (2024年現在も4番目の最遅記録) モデルはHOT WHEELS GP仕様表記の無いレースカー仕様 2000年フェラーリ現行モデルは HOT WHEELSのみの発売 #2000年
240401 R.BARRICHELLO 2000 3回FW12C
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1952 3RD QUARTZO FERRARI 500 F2 P.TARUFFI〖🏆1〗
ONLY 1 WIN DRIVER ピエロ タルッフィ FERRARI 500 ピエロ タルッフィ イタリア出身 1950年最終戦の地元イタリアGPでデビュー この時の年齢は43歳 チームはアルファロメオ 1952年はフェラーリ2年目 開幕戦スイスGP 予選キャリアベストの2位 決勝は17周目からトップに立ち初優勝 自身唯一のファステストラップも記録 フェラーリ通算3人目のウイナーで タルッフィの優勝はキャリア1度のみ 年間では表彰台3回でランキング3位 タルッフィはF1引退後 日本のモータースポーツ黎明期に深く貢献 1964年鈴鹿サーキットで開催された 第2回日本グランプリの名誉総監督として 運営に対するアドバイスをした他 かつて千葉県船橋市に開設された 船橋サーキットのコース監修も行った モデルはQUARTZO タルッフィ 唯一の優勝となった 開幕戦スイスGP仕様 15戦14勝の驚異の勝率を誇る FERRARI 500 F2 の最初の勝利 フロントのエンジンカバーが外れたモデル
240324 P.TARUFFI 1952 1回FW12C
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1968 4TH IXO FERRARI 312 F1 J.ICKX〖🏆1〗
F1で初のウイング装着マシン ジャッキー・イクス FERRARI 312 F1 前年度クーパーにてF1初戦に6位入賞をした ジャッキー・イクス(ベルギー)は 1968年フェラーリに抜擢 チーム・メイトはクリス・エイモン フェラーリが欠場したR3モナコGPで ロータス 49Bがリアスポイラーを装着 R4ベルギーGP フェラーリは エンジン上部にセンターウィングを装着 これがF1では初めてウィングを 装着し決勝進出したマシンのひとつとなった (同GPでブラバムも装着している) イクスはこのGPで予選3位→決勝3位 地元ベルギーで自身初入賞&初表彰台 イクスのキャリア入賞40回 表彰台25回 のちにウィングは油圧可変式へと改良 ドライバーがコクピットから調節可能となり R6フランスGPで初優勝 R8ドイツGPで初PPを飾っている イクスはキャリア8勝 PP13回 チャンピオン争いに加わったものの R10カナダGPでマシントラブルにより コース外に飛び出し左脚を骨折 ドライバータイトル争いからは脱落 翌1969年はブラバムに移籍 マシンはIXO (hachette) 公式フェラーリ F1コレクション GP表記は無いがCarNo.26より R4フランスGPの優勝モデルと推測されます
240312 J.ICKX フェラーリF1コレクション 28FW12C
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2020 10TH SPARK ALPHA TAURI AT01 P.GASLY
スクーデリア・アルファタウリ初年度 ピエール・ガスリー初優勝 AT01 2006年ミナルディを買収して レッドブルのジュニアチームトロ・ロッソ として参戦してきたが 2020年チーム名を同社ファッションブランド アルファタウリとしてエントリー ピエール・ガスリーはトロ・ロッソ 残留の形でアルファタウリにて参戦 チームメイトはダニエル・クビアト R8チームホームグランプリ イタリアGP ガスリーは予選10位から途中赤旗の混乱から 抜け出し 最後はC・サインツ(マクラーレン) とのバトルを0.4差で制し見事初優勝 HONDAエンジンと組んで節目の50戦目 チームはトロ・ロッソ時代の 2008年同じイタリアGP ベッテル以来の 12年ぶりの優勝 またフランス人ドライバーとしては 1996年 O・パニス(リジェ)以来 24年ぶりの優勝 この時のエンジンは無限HONDA モデルはスパーク ガスリー初優勝のR8イタリアGP仕様 〖P1〗が書かれているピットボード付 スリーブもアルファタウリ仕様
240307 P.GASLY 2020 10FW12C