桐島 洋子という生き方

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さて、著者の勝見 充男氏は、新橋の骨董屋の次男として生れる。
祖父からの屋号・自在屋を継いで四代目となる。
白洲正子や秦秀雄に影響を受ける。

「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)に鑑定士として出演。

兄は勝見洋一。

その兄が桐島洋子と再婚した為、
桐島かれん、ノエル、ローランドの叔父になり、後に写真家になるローランドに影響を与えた・・・とか。

さて、桐島 洋子という生き方/ペガサスの記憶

祖父は三菱財閥の番頭を務めた人物
神奈川県葉山で育つ。
清泉女学院、都立駒場高校を経て、1957年文藝春秋社入社。
記者となる、ジャーナリストを天職と思い定め、何時かは文春の編集長になるとの野心を持つ。

軽井沢の室生 犀星宅へ原稿とりに乗馬で訪問したとか
伊豆の団 伊玖磨宅へ原稿を取りに行き、その待つ間に海で海水浴とか 
など文春社でのいろいろなエピソードが楽しい。

往時の文春社は社則に、寿退社のルールがあり、
妊娠・出産を隠し、長女・かれんを出産

次女のノエルは、マルセイユから乗り込んだフランス客船が横浜到着直前のクリスマスの朝に見事に計画出産を成功させた。

パートナーは、ダイビングで知り合った26歳年上のスコットランド系アメリカ人の退役海軍中佐(世界最深潜水記録を記録したこともある、ダイバーの草分けだった)と熱愛関係となる。
相手は婚姻中で結婚は出来ない。

パートナーがベトナム行きの船の船長になったのを機に同乗し、戦争下のベトナムに赴く。
「従軍記者」として戦地を取材。
帰国後の1968年に、ベトナムでみごもっていた長男・ローランドを出産。

とにかく痛快、自由奔放・波乱万丈な、桐島洋子という生き方が綴られている。

さて、その桐島洋子は1982年、45歳の時12歳年下の美術鑑定家・エッセイストの勝見洋一と結婚。
5年目から、署名捺印した離婚届をお互いが持ち、自由な関係にしておいた・・・・とか。

2016年5月から自身の半生を綴るエッセイ『ペガサスの記憶』を雑誌で連載していたが、
認知症を発症。その悪化により中断。

そのエッセイは、かれん、ノエル、ローランドの3人によって書き継がれ、
5年後の2022年に小学館より発刊された。

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