「人間は母親の体の中にいる頃から音の記憶が残っているんです。年齢を重ねて痴呆症になって自分の名前も思い出せなくなってしまっても、若い頃に好きだった音楽を聞いて、記憶が蘇る様なこともあるんです。」
2018年11月某日。神奈川県某所、アメリカン・フォークを中心にアナログレコードを6,000枚以上所有する栗原氏のご自宅に伺い、お話を伺った。
栗原氏は学生時代からレコードを集め始め、レコード好きが高じてレコード会社に就職。現在も音楽に関わる仕事に携わっている、いわば音楽と共に人生を歩んできた人だ。
仕事も含めさまざまな音楽媒体に触れてきたが、最も愛着があるのは今でもアナログレコードだという。
「私にとってアナログレコードは人生のBGM」と語る栗原氏。
音楽配信サービスが当たり前になったいま、アナログレコードの魅力とはどんなところにあるのだろうか?
そして栗原氏にとっての音楽とは。
なんでこの黒い溝から音が出るんだ?
——本日はご自宅にお招き頂き有難う御座います。早速ですがこのレコードの量、圧巻ですね。
LPレコードだけで全部で6,000枚くらいになってしまいました。今は一つの部屋に全て納めています。相当な重さになるので、部屋に配置するバランスを取らないと床が傾くんですよ(笑)。
——まるでレコード・ショップに来たみたいで驚きます。 これだけ多いと管理だけでも大変そうですね。
正直、全部は把握できていないですね。一応ABC順に並べているから、新しいものが来たら全体をズラさなきゃいけなくて大変で。
——今日は栗原さんがここまでレコードを集めてこられた系譜を辿っていければと思います。まず、レコードとの出会いはお幾つくらいの頃でしたか?
確か中学生の時かな。親が当時、CBSソニー ファミリークラブ(CBS・ソニーレコード株式会社が運営していた、音楽レコードの通信販売サービス)に入っていて、ポピュラー・ソングのレコード10枚セットが家に届いたんです。
「何でこの黒い溝から音が出るんだ?」と不思議で堪らなかった記憶があります。電源を入れずにターンテーブルを自分の手で回してみたり。
当時は中学生で、小遣いも少ないので家にあるレコードを端から延々と聞いていました。10枚の中にはブラザース・フォアや、モダン・ジャズ・カルテットなど、アメリカン・フォークやジャズのレコードが入っていました。
アメリカン・フォーク
フォークソングはもともと、民謡や民俗音楽のことである。1940年代以降のアメリカで、プロの作曲家が作った曲ではなく、民衆の間に昔から親しまれていた民謡を、編曲した上で演奏するミュージシャンが多く発生した。この流れの中から生まれた音楽をアメリカン・フォークと呼ぶ。
——今もコレクションの中心はアメリカン・フォークですよね。
この時点で音楽の嗜好はできあがっていますね。アメリカン・フォークにハマったきっかけは、1976年のブラザース・フォアの来日です。NHKの夜8時からのビックショーという番組に出たんですよ。ライナーノート(レコードやCDのジャケットに付属している冊子等に書かれた解説文)を見ると1958年結成だから、20年近く前のバンド。もう活動していないだろうと思っていたんだけど、来日してテレビに出たってことにビックリして、興味を持ったんです。
高校生に入った頃、再度来日したブラザース・フォアが、石神井公園でFM東京の公開録音をしたんです。見に行って、そこから本格的にハマりました。もちろんフォークギターも買いました。
ーーこの頃からご自身でもレコードを集め始めたんですか?
そうですね。ハマったのは良いけど、地元のレコード屋ではベスト盤くらいしか手に入らなかったんですよ。デビュー当時のアルバムも欲しくなって、神田の中古レコード屋に探しに行くようになりました。
最初はブラザース・フォアを集めていました。同じタイミングでイーグルス、リンダ・ロンシュタット辺りも聞き始めて。フォークやカントリー、ロックと聞くジャンルが広がっていきました。
イーグルス(The Eagles)
1971年にアメリカでデビューしたロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇り、トータルセールスは1億2000万枚を超える。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第75位。
リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)
1960年代末〜アメリカ西海岸を中心に活動した女性歌手。愛称は「ウェスト・コースト・ロックの歌姫」。アメリカン・フォーク、カントリー&ウェスタン、フォーク・ロックと幾多のジャンルを歌い上げた。デビュー前のイーグルスのメンバーをバックバンドに従えていたことも有名。2014年、ロックの殿堂入り。
ーーこの当時で何枚くらいのコレクションをお持ちだったんですか?
高校生から大学生にかけては、アルバイトして2万円くらい溜まったら、神田で10枚くらい中古レコードを買っていました。当時で300枚くらいですかね?今から比べるとまだまだですね。
ーー300枚でも既にかなり多いと思います(笑)。
個人輸入という名のパンドラの箱を開けた日
レコード集めに加えてバンドも始めて、音楽漬けな学生生活でした。それでレコード会社を受けて、無事に受かって働き始めた訳なんですが、初任地が新潟だったんです。
ーー東京で学生時代をすごし、初めての地方暮らしですね。
最初の仕事は営業で、音響機器の販売店に再生機器(ビデオ再生機やオーディオなど)を売っていました。ただひとつ問題があって、新潟には中古レコードを買える店が無かったんですよ。
ーーそれは大ピンチですね。
一瞬、コレクションの熱が冷めかけたんです。「都内の店から買うか?でも通販で買うのもなあ」みたいな。あと、手頃な価格で手に入るレコードは買い尽くしてしまって。欲しいレコードは、東京の中古レコード店で買うと高いやつばかりになってしまったのもありますね。1枚20,000円とかになると、聞いてみたいけど、新社会人のお財布事情では流石に躊躇しちゃいますよね。
ーー何がコレクション再開の契機になったのでしょうか?
東京に帰省していた時に、東京タワーボーリングセンター(1962年から2001年まで営業していた、東京タワーの真下にあったボーリング場)で、全米のレコードのディーラーが集まった販売会が開かれていたんです。
会場に足を踏み入れたら、もう宝の山。東京のレコード屋じゃ見つからないものや、高くて買えなかったものが、比べ物にならないくらい安い価格で売っている。
「こいつらを継続して買うにはどうしたら良いんだ」と思って会場を探し回ったら、レコード店のブースに新聞の様なものが置いてあったんです。
マーケットプレスというか、アメリカの中古レコードの情報誌でした。ゴールドマイン(=金脈)って名前だったんですけど。
ーーすごい名前! まさに金脈ですね。
どうやらその情報誌、定期購読ができることがわかりました。ただ当時はカード決済もできなかったので、郵便局に行って「アメリカに送金したいんですけど」みたいな(笑)。
家に届いたゴールドマインに、古いレコードのオークション告知が掲載されてました。アメリカン・フォークでは有名なキングストン・トリオのメンバーが、キングストン・トリオ結成前に在籍していた幻のバンドがあるんですけど、そのレコードが新品でオークションに掛けられていました。当時、神田のレコード屋では中古で20,000円くらいで売られていて、手が出なかった。しかも今回は新品。何としても欲しいと思って、70ドルで打診したらサラッと落とせちゃったんですよ。
キングストン・トリオ(The Kingston Trio)
1950年代末から1960年代前半に掛けてアメリカで最も人気のあったフォーク・バンドのひとつ。同時期に起こったフォーク・ミュージックの再ブーム(昔から親しまれている民謡や伝承歌を再評価し、プロのミュージシャンが取り上げる流れ)の中心的存在だった。
ーー国内の1/3くらいの値段ですね。
なんだ、欲しかったレコードもアメリカから買ったらこんなに安く買えるじゃないか!となりました。そこからは止まりませんでしたね。
当時はアメリカの郵便局のレコードに関する輸送レートが安くて、しかも輸入方法に安い船便が使えました。現在は航空便オンリーですけどね。船便だと到着まで3-4ヶ月掛かりますが、ロットを纏めて輸入すれば、1枚辺りに掛かる輸送費は100円とかで済んだんです。
日本国内のレコード店で1枚3,000~4,000円で売られているレアなレコードが、輸入すれば1枚4ドルとか。30枚纏めて買っても、12,000円じゃんみたいな。纏めて買えば買うほど安くなるので、コレクションのペースが爆発的に上がりましたね。
ーーインターネットも無い時代、販売店とはどうやってやり取りを?
FAXや電話でやり取りですね。時差があるので、夜中にやっていました。それこそ朝までにロール紙がなくなるくらいに(笑)。毎月ロットを纏めて輸入していたので、海外からの郵便物がひっきりなしに届いてましたね。
ーー最もハイペースにコレクションを増やしていたのはいつでしょう?
30代ですかね。転勤で東京に戻ってきて、引き続き海外から個人輸入をしていました。
集めていく内に、アメリカン・フォークのレコードはメーカーの品番を調べて、穴の無いように全部揃えたくなってしまって。全然人気のない盤ほど欲しくなるんですよ。生産数も少ないし、とっくに廃盤になってるから市場に全く出回って来ないんです。
全米で500枚しか生産されてなくて、何十万円で取引されているようなものも出てきちゃって。買って、聞いて、なんじゃこりゃってやつもありました。確かにこれはマイナーなレア盤のはずだわ!みたいな(笑)。
コレクションの転機となったレコードたち
Try to Remenber / The Brothers Four
一番最初に聞き出したアメリカン・フォークはブラザース・フォアです。
アメリカでフォークムーヴメントが終わった後、1970年代に日本で大ヒットしました。小椋佳と一緒に楽曲を作ったり、たくさんのカバー曲もやりました。有名な曲は、90年代にトヨタ・ビスタのTVCMに使われたり。とにかくポピュラーな存在でしたね。
Hard Travelin' / The Tarriers.
色々なフォークを聞くキッカケになった1枚です。白人と黒人の3人組が、黒人差別が激しかった1958年にバンドを組んでいるんですよ。黒人の人の作るリズム感って全然違う。フォークなんだけどジャズらしさもあり、すごく格好良い。アメリカン・フォークにも色んなジャンルがある事を、このレコードから知りました。
The Modern Folk Quartet / The Modern Folk Quartet
このアーティストは、時代を経るごとに音楽やジャケットの雰囲気がガラッと変わって面白いんです。
同じアーティストを、時系列で追ってコレクションする楽しみを知りました。
「The Modern Folk Quartet」というアルバムは1960年代の発売。メンバーは皆、当時トレンドだった細身なネクタイを身につけています。これに影響を受けて、僕は今でもライブで演奏するときはナロータイをつけています。
Moonlight serenade / The Modern Folk Quartet
「Moonlight Serenade」は1970年代の発売。メンバーの風貌が変わりすぎて、誰が誰だかちゃんと見ないと分からないでしょう(笑)。
音楽のジャンルとしては、フォークからジャズコーラスに変わります。
Civil War Almanac / The Cumberland Three
南軍の歌を集めたアルバム
「Civil War Almanac」は、僕が初めてアメリカから個人輸入したレコードです。キングストン・トリオのメンバーが、キングストン・トリオの前にやっていたバンド「The Cumberland Three」のアルバム。南北戦争に関する民謡、伝承歌です。南軍の歌と北軍の歌でアルバムが分かれています。
北軍の歌を集めたアルバム
写真の右に写っているのは、ジョン・スチュワート。後にキングストン・トリオで活躍します。ソロになってからは、シンガーソングライターとして活躍し、忌野清志郎のロックバンド「ザ・タイマーズ」が歌って日本でも非常にポピュラーになった楽曲「デイドリーム・ビリーバー」を作詞・作曲したのも、実は彼なんですよ。
彼は1979年には、フリートウット・マックのリンゼイ・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスらを従えてリリースした「GOLD」(邦題カリフォルニアタウン)で全米5位までなっています。軍服を着て南北戦争のうたを歌っていた彼が、有名なキングストン・トリオのメンバーになり、ソングライター、そしてロックシンガーになった変遷が面白いです。
1980年代、日本ではレア盤扱いで20,000円で売られていたのですが、アメリカでの値段は69セント。向こうじゃ叩き売りされてたんでしょうね。
こっちはさらに珍しくて、日本盤です。タイトルが面白いんです。「〜映画ファンのためのウェスタン・アルバム〜 騎兵隊は行く」ですから。アメリカン・フォークと全く関係がない(笑)。 どうやったら売れるか発売当時、考えて付けられたんでしょうね。
手間とお金を掛けて録られた音を味わうということ
ーー集めたレコードはどのくらいの頻度で聞いてらっしゃるんですか?
今は休みの日に聞くくらいです。プレーヤーはマイクロ精機製。20代の頃に買ったものを現在でも使っています。スピーカーはヤマハのテンモニです。
レコードは大音量で聞くのが好きです。レコードに限りませんが、ヘッドフォンでデジタル音を聞くのと、スピーカーで体全体に音を浴びながら聞くのは、全く別物です。
ーーライブで聞く音は全然違いますよね。
人間の可聴領域は2万ヘルツと言われてますが、スピーカーによってはもっと上の音域も出ています。耳では聞こえていなくても、体全体の震えを、脳が音として認識しているんです。鼓膜だけで聞いてないんですね、人間って。
ーーレコードは他の音楽媒体と比べて、どんな所が優れていると思いますか?
ひとつは、ジャケットやライナーノートですよね。製作者のこだわりが詰まっていて、作られた時代を良く表している。ジャケットはiPhoneの画面じゃ凄く小さく表示されるじゃないですか。良さって伝わるんだっけ?って思います。
ライナーノートを読むと、作曲は誰か、ミュージシャンのプロフィール、音楽の作られた背景の部分などを知ることができます。そういった知識を持って音楽を聞くと、違った聞こえ方がしてきますよね。
現代では一般的ですが、配信された音楽を1曲だけ抜き出して聞くのと、アナログレコードを1枚通して、ジャケットやライナーノート、アーティストが拘った曲順まで総合的に味わって聞くのは、全く異なる体験だと思います。
ーーレコードは、じっくり音楽を味わえるように作られていたんですね。
それに、アナログレコードの時代は今よりも、手間とお金を掛けて音が録られていました。
当時は打ち込み(事前に録音された楽器の音を組み合わせ、再生することで演奏を実現させる技法)なんかないから、全て生音なんですよ。その臨場感はすごいです。
特にすごいのが、童謡とかのレコード。70年代くらいの童謡のレコードは、フルオーケストラで演奏されている。
お金と手間を掛けて作られた音を聞けるというのは、凄く贅沢な体験だと思います。
ーー最後に教えてください。アナログレコードと、音楽と共に生きてきた栗原さんにとって、音楽とはどんなものですか?
音楽は、体験と一緒だと思っています。いつ、何を聞いたかは全部脳が覚えている。例えば昔、仲良くなりたい女の子を口説いているときに掛かっていた音楽とか。今でも思い出せたりしますよね(笑)。
最後の最後、老人になって、記憶がなくなってしまっても、幼少時に聞いた音は最後まで覚えていて、そこから記憶が戻ってきたりします。そういうトリガーになる音楽が、私たちひとりひとりにあるらしいです。
自分の好きな音楽を、今から書き留めておくと良いかもしれないですよ。ボケたときに備えて(笑)。
ーおわりー
レコード・オーディオを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
クラシック音楽をこよなく愛し聴き巧者である村上春樹が、LPレコード約470枚をカラーで紹介しながら縦横無尽に論じる音楽エッセイ。
ゆっくりじっくり、ていねいに音楽を聴いてみませんか?
終わりに
自分の知らない音楽のジャンルやアーティストに触れる体験は、とても楽しい。今回の取材の中で知ったThe Modern Folk QuartetやLinda Ronstadtはすぐに筆者のお気に入りに仲間入りしたし、アメリカン・フォークが生まれた歴史背景にも興味が生まれた。細切れになった便利な情報がいつでもどこでも手に入ってしまう世の中だが、音楽くらいはゆっくりと、1枚のアルバムについて深く考えながら味わいたいと思う。