翡翠(硬玉)製大珠

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【推定年代】
縄文時代中期
【産地など】
出土地不詳

【解説】
縄文時代中期の翡翠(硬玉)製大珠。
出土地は曖昧なものの、おそらく栃木県旧氏家町のハットヤ丘陵での表採品と考えられる。
画像1枚目左53.6g(簡易計測比重3.23)、右42.0g(簡易計測比重3.28)。
形態的には、画像1枚目左の大珠は不定形鰹節型、右の大珠は根付型に分類される。

新潟県糸魚川産の硬玉翡翠製と考えられるが、現代に見られる糸魚川産翡翠では考えられないほどの高品質な翡翠である。
考古学的な価値を抜きにしても、翡翠素材単体だけで見ても価値が高い。
当方の所有している考古資料の中では、最も希少性が高いと思われる。

画像1枚目右の個体は純度が高く、透光性が著しく高い。
画像1枚目左の個体はやや青みがかっており、チタンを若干多く含むと考えられるが、全体としては炭素を含む圧砕翡翠で、この影響で画像1枚目右の個体よりも若干比重と透光性が下がっていると考えられる。

縄文時代中期以降における糸魚川産の翡翠製大珠は、北海道礼文島〜鹿児島県種子島の日本全国で出土しており、
弥生時代にも、縄文時代の翡翠大珠を再加工した大型勾玉が北部九州で出土しているなど、
非常に広範囲かつ長い年代間隔で流通している。

縄文時代の糸魚川産翡翠大珠の大半が威信材として使用されており、その入手の難しさの為に各地で翡翠に類似した代用石材(東北では緑色凝灰岩、九州ではクロム白雲母など)による大珠が制作されたほどの人気があった。

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