金銀鉱石 (gold-silver ore) 清越鉱山 #0334

0

輝銀鉱に富む金銀鉱石です。以前のご所有者による「清越」の記名が古標本の雰囲気を醸し出しています。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

清越鉱山(せいごしこうざん)は1931年(昭和6年)に発見され試掘されていた鉱脈を1934年(昭和9年)に中外鉱業が買収し、持越鉱山の支山としたことに始まります。その後1937年(昭和12年)に後に主脈となった 2号脈中央部上限に着脈したことにより開発が本格化し、海抜145mの場所に通洞坑(140坑)を設けて、 同-19m(-30m坑)まで標高差190mにわたって採掘されました。鉱石はトラックで持越青化製錬所に送鉱していました。1943年(昭和18年)の金山整備法実施時には珪酸鉱産出に切り替えて休山を免れ、日立鉱山に売鉱していました。1945年(昭和20年)の終戦に伴い金銀鉱産出を再開、1950年(昭和25年)に持越青化製錬所の復旧と共に送鉱を再開しましたが、1978年(昭和53年)に地震によって持越鉱山の鉱滓ダム(ほおずき沢鉱滓堆積場)が決壊した後は青化製錬法を中止し、島根県の都茂鉱山まで鉱石を海上輸送し浮遊選鉱を行ない、選鉱後のフロスを三井金属鉱業神岡製錬場に委託精錬するようになりました。これによる減産、海上運送費用負担により経営環境が厳しくなり、最終的には資源枯渇により1987(昭和62)年5月に休山し、伊豆最後の金鉱山となりました。

Default