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ブラウン鉱 (braunite) 白丸鉱山 #0716
赤茶色の母岩と黒色のブラウン鉱のコントラストの美しい標本です。ブラウン鉱は主要なマンガン鉱物の一つで、主に変成マンガン鉱床中に黒色・亜金属光沢の緻密な塊状で産出します。母岩は微細な赤鉄鉱(hematite)とキュムリ石(cymrite)を含むチャートです。(1~3枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 白丸鉱山はブラウン鉱を主要鉱石として稼行された層状マンガン鉱床で、1942年(昭和17年)に採掘を開始し、1945年(昭和20年)に休山、1955年(昭和30年)に閉山しました。1960年(昭和35年)に着工し、現在は1963年(昭和38年)に完成した白丸ダムのダム湖(白丸調整池、白丸湖)の底に沈んでおり、数年に一度白丸ダムが放水する時にのみ、通称「赤壁」と呼ばれる赤色チャートの露頭が出現します。この産地からは日本産新鉱物である東京石、多摩石のほか、バリウムやストロンチウムを含む様々な稀産鉱物が発見されています。
ネソケイ酸塩鉱物 東京都西多摩郡奥多摩町白丸 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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轟石 (todorokite) 池代鉱山 #0712
轟石は日本におけるマンガン鉱床・鉱石研究の第一人者であった地球科学者吉村豊文により1934年(昭和9年)に北海道の轟鉱山で発見された本邦初の新鉱物です。結晶水を含む二酸化マンガンを主成分としますが、カリウム、カルシウム、ナトリウム、バリウム、ストロンチウム、銀、鉛、コバルト、ニッケルといった様々な元素を含有しています。黒色繊維状(羽毛状)結晶が轟石です。轟石は日本近海の深海底で見つかるマンガン団塊(マンガンノジュール)の主成分でもあります。(背景はソフトウエア処理しています。) 池代(いけしろ)鉱山は、後期中新世 (およそ700万年前)の安山岩質凝灰岩が、低温強アルカリの熱水により交代した酸化マンガン鉱床で、1955年(昭和30年)に開坑されましたが、現在では閉山されています。
酸化鉱物 静岡県賀茂郡松崎町池代 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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緑鉛鉱 (pyromorphite) 木浦鉱山 #0711
緑鉛鉱は鉛鉱床の酸化帯上部に産する二次鉱物で、リン酸塩鉱物の一種です。本標本の緑鉛鉱は遠目には皮膜状に見えますが、拡大すると樹脂光沢を持つ黄緑色の六角柱状結晶であることが判ります。(背景はソフトウエア処理しています。) 木浦鉱山は開発が1157年(保元2年)に遡る(豊後国誌)とも云われる古い鉱山で、近世では1607年(慶長12年8月)にここで産出した鉛を岡藩藩主中川氏が徳川2代将軍秀忠に献上したとの記録が残っています。木浦鉱山と尾平鉱山は江戸時代を通じ岡藩直営の2大鉱山でした。17世紀後半にはおよそ約1,000人の労働者が集まり年間で2,000斤のスズや4,000斤の鉛を産出、銀採掘についても佐渡金山、石見銀山、生野銀山と並ぶ日本の四大銀山と呼ばれたといわれ、慶長年間(1596年~1615年)から宝暦年間(1751年~1763年)にかけてが鉱山の最盛期であったようです。明治になり民営の鉱山となりましたがほとんど休止状態で、1887年(明治20年)からは三菱が引き継いだものの1894年(明治27年)には休山しています。1927年(昭和2年)に英国人の経営で東洋鉱山が設立され、1939年(昭和14年)には554トンの錫を産出するまでになりましたが 1943年(昭和18年)に戦況悪化により閉山しました。その後1961年(昭和36年)にエメリー鉱の鉱床が発見され、1967年(昭和42年)から我が国唯一のエメリー鉱山として採掘が行われていましたが、1999年(平成11年)に採鉱を終了しました。(エメリー鉱はコランダム(鋼玉)を含み硬度が高く、研磨剤やアスファルトの舗装材などに利用されます。)
リン酸塩鉱物 大分県佐伯市宇目大字木浦鉱山 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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含銅硫化鉄鉱 (kieslager) 祖谷鉱山 #0713
黄鉄鉱が主体で、少量の黄銅鉱を含む銅鉱石です。含銅硫化鉄(キースラガー)鉱床から産出しました。(背景はソフトウエア処理しています。) 祖谷(いや)鉱山は谷道山鉱山ともいい、祖谷川上流の天狗塚(標高1,812m)の西斜面にありました。1894年(明治27年)に焼けを発見したことに始まり、複数の個人所有を経て1914年(大正3年)~1932年(昭和7年)頃には合名会社藤田組(藤田鉱業株式会社)が鉱区を所有していました。数少ない秩父帯に属する含銅硫化鉄(キースラガー)鉱床で、石墨、黄鉄鉱、黄銅鉱、石英、方解石、緑泥石などを産出しましたが、1945年(昭和20年)に閉山しました。
徳島県三好市東祖谷古味谷道 スモールキャビネットサイズ 祖谷鉱山石泉亭
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琉球石灰岩 (Ryukyu limestone) 西平安名崎 #0710
琉球石灰岩は更新世のサンゴ礁に由来する多孔質の石灰岩で、沖縄県では古くから建材として用いられ、道の石畳や家々を取り囲む石垣などを作るのに使われてきました。日本地質学会は琉球石灰岩を沖縄県の岩石に選定しています。(1~4枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 宮古諸島は、最高所でも標高約110 mの平坦な地形の島で、島のほぼ全域は第四紀更新世にサンゴ礁とその沖合海域で堆積した石灰岩で覆われています。本標本は宮古島本島北端の西平安名崎(にしへんなざき)で産出したものです。
沖縄県宮古島市平良狩俣 スモールキャビネットサイズ 西平安名崎石泉亭
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石炭 (coal) 三井三池炭鉱 #0155
三井三池炭鉱は福岡県大牟田市・三池郡高田町(現・みやま市)および熊本県荒尾市に坑口を持つ炭鉱で、江戸時代から開発されていましたが、1889年(明治22年)に三井財閥に払い下げられ近代化がすすめられ、日本の産業発展を支えました。1950年代には激しい労働争議の舞台となり、1960年代以降のエネルギー革命(石油へのエネルギー転換)の中操業を続けましたが、1997年(平成9年)に閉山し、2015年(平成27年)に宮原坑・万田坑・専用鉄道敷跡が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。
福岡県大牟田市 スモールキャビネットサイズ 三井三池炭鉱石泉亭
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石炭 (coal) 常磐炭鉱 #0067
常磐炭鉱(常磐炭田)は19世紀後半から20世紀前半にかけて、首都圏に最も近い炭田として福島県双葉郡富岡町から茨城県日立市までまたがる地域で開発された大規模炭田です。最盛期の1957年(昭和32年)には400万トンを超える出炭量を誇りましたが、1960年代以降石油へのエネルギー転換が進み、1976年(昭和51年)に閉山しました。なお、常磐炭鉱の坑道から湧出した温泉を利用して常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)が建設され、現在でも大型リゾート施設として営業しています。
福島県いわき市 スモールキャビネットサイズ 常磐炭鉱石泉亭
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方解石 (calcite) 宮田又鉱山 裸馬𨫤 #0009
透明度の高い大ぶりな方解石結晶です。 宮田又鉱山は、1722年(享保7年)に発見され、1737年(元文2年)に宮田銅山として稼行が開始されました。1800年代初頭の享和年間以降は鍋倉鉱山として久保田藩の直山となりましたが採掘結果は芳しくなく、以後長い間放置されました。明治以降も昭和初年に至るまで複数の鉱山主が経営を試みましたが断層が多く湧水が沸き易い地質であったため、その採掘は多くの困難を伴いました。1939年(昭和14年)に国策会社である帝国鉱業開発株式会社が買収、軍需の増加を背景に最新設備を導入し、近隣の荒川鉱山が1940年(昭和15年)に閉山したことに伴う人員の流入もあり、全盛期を迎えました。1949年(昭和24年)、GHQの財閥解体指令により帝国鉱業開発が解体され新鉱山開発株式会社が宮田又鉱山を継承し、日本の復興と経済発展に貢献しつつ規模を拡大しましたが、1965年(昭和40年)に鉱脈枯渇により閉山となりました。裸馬𨫤は1942年(昭和17年)に発見された大規模鉱床で、その後閉山に至るまで宮田又鉱山の主力鉱床でした。
炭酸塩鉱物 秋田県大仙市協和 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0019
淡い緑の蛍石の裏側に、無色に近い蛍石が付いています。どちらの蛍石も375nmの紫外線ライトではっきりと蛍光します。(1~3枚目と5枚目の写真は背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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方解石 (calcite) 金生山 #0077
方解石が鉄分により赤く色付いています。(背景はソフトウエア処理しています。) 金生山(きんしょうさん)は全体が古生代ペルム紀の赤坂石灰岩で構成されており、日本有数の石灰岩産地として石灰岩、大理石の採掘が行われています。また、2億5千万年前に赤道直下のサンゴ礁に生息した、フズリナ、サンゴ、ウミユリ、巻貝、二枚貝などの化石が豊富に見つかっており、「日本の古生物学発祥の地」「古生物のメッカ」としても知られています。
炭酸塩鉱物 岐阜県大垣市赤坂町 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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閃亜鉛鉱 (sphalerite) 太良鉱山 #0708
安山岩質の火山礫凝灰岩中に閃亜鉛鉱を主体とする硫化金属が濃集したずしりと持ち重りのする鉱石です。(背景はソフトウエア処理しています。) 太良(だいら)鉱山は藤琴川の上流七枚沢との合流点付近ににあった鉱山です。開山は大同年間(806年~809年)とも文永年間(1264年~1274年)とも伝えられますが、確実な資料上の初出は1614年(慶長19年)の「梅津政景日記」上の記述とされています。江戸時代には銀の精錬に必要な鉛を得るための鉱山として開発され、1704年(元禄17年)には、阿仁銅山などを経営した大坂屋の経営となり、1817年(文化14年)には秋田藩の藩直営の鉱山となりました。維新後は1885年(明治18年)に古河市兵衛に払い下げられ主として鉛や銅、亜鉛を採掘し、1890年(明治23年)には秋田県の鉛産出の77%を占め、また1912年(大正元年)には全国の鉛産出量の15%を産し活況を呈しましたが、鉱量の低下と金属市況下落のため1917年(大正6年)に休山、その後1935年(昭和10年)に再出鉱しましたが、1958年(昭和33年)に大洪水のため輸送網や坑道の多くが水没し休山となりました。
硫化鉱物 秋田県山本郡藤里町 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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方解石 (calcite) 豊羽鉱山 #0702
マンガン成分によりほのかにピンク色を呈した方解石の細かな結晶が集合しています。(1~4枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 豊羽鉱山は定山渓温泉の西方約10km、豊平川の支流白井川上流に位置し、1890年代には既に旧坑が存在していたようですが、本格的な採掘が開始されたのは久原鉱業(株)による買収後の1916年(大正5年)とされています。銀、インジウム、銅、亜鉛、鉛などを産出しましたが、鉱床が高温岩盤地域にあったことから深部に至るにつれ地熱により発破等の従来工法での採掘が困難となり、可採範囲内での資源枯渇を理由に2006年に休山しました。インジウム鉱山としては1997~2004年の生産量758t(粗鉱平均品位 309g/t)で世界最大、銀鉱山としては総生産量3,591t(粗鉱平均品位Ag 305g/t)で日本最大、鉛総生産量も52.2万tで日本最大、亜鉛総生産量は183万tで日本第2位という大鉱山でした。
炭酸塩鉱物 北海道札幌市南区定山渓 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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銀鉱石 (silver ore) 生野銀山 金香瀬 #0704
生野鉱山金香瀬の銀鉱石です。自然銀、濃紅銀鉱、輝銀鉱が観察できます。(背景はソフトウエア処理しています。) 生野銀山の開坑は平安時代初期の807年(大同2年)と伝えられますが詳細は不明で、本格的な採掘が始まったのは1542年(天文11年)に但馬国の守護大名であった山名祐豊が生野城を築き、石見銀山から灰吹法を導入してからとされます。1598年(慶長3年)に徳川家康が但馬金銀山奉行(生野奉行)を配置、生野銀山と周辺の鉱山は佐渡金山、石見銀山と並んで天領とされ、江戸幕府の財源を支えました。三代将軍家光の頃に最盛期を迎え月産150貫(約562kg)の銀を産出しましたが、慶安年間(1648年~1652年)頃から銀産出が減少し、江戸中期以降は銀に換わって銅や錫の産出が増加しました。1716年(享保元年)には銀産出量の減少に伴い生野奉行所が生野代官所に改組され、生野銀山およびその後背地であった但馬国、播磨国、美作国の天領を統治するようになりました。その後幕末の動乱に伴い、幕府は1866年(慶応2年)に生野銀山を休山とし、1868年(慶応4年)に薩長軍により占拠されたことにより天領としての生野銀山の歴史は終わりました。 明治政府は新政府による貨幣発行の原材料確保のため生野鉱山を直轄化、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コアニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、1872年~1876年(明治5年~同9年)にかけて製鉱所(精錬所)を建設、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山の確立を目指しました。 1899年(明治22年)に生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管とされました。生野鉱山は1906年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられ、以降1972年(昭和47年)に資源減少、採掘コストの増加、山はね(坑道が地圧により崩壊すること)の発生による危険性の上昇などを理由に閉山となるまで長きにわたり日本有数の鉱山として稼行されました。
兵庫県朝来市生野町 スモールキャビネットサイズ 生野銀山石泉亭
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紫水晶 (amethyst) 中馬砕石 #0562A
こちらも#0156と同じくラベンダー色の紫水晶です。(背景はソフトウエア処理しています。) 本標本の産地である中馬砕石は#0156の産地である串木野鉱山にほど近い場所にあります。
酸化鉱物 鹿児島県いちき串木野市 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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ゴールドフィールド鉱 (goldfieldite) 入来鉱山 銀𨫤 #0412
ゴールドフィールド鉱は砒素(As)、アンチモン(Sb)、テルル(Te)を主成分として含む銅の硫塩鉱物で、四面銅鉱の一種です。本標本は入来(いりき)鉱山の銀𨫤(ぎんぴ)の露頭が天然の浸食作用で山腹に崩落した鉱石塊から採られた銀黒鉱石で、青鉛灰色を帯びたゴールドフィールド鉱ほかのテルル鉱物を含む脈が母岩中に波打つように見られます。(背景はソフトウエア処理しています。) 入来鉱山は藺牟田(いむた)火山カルデラの西麓に位置し、1964年(昭和39年)から2000年代初頭まで粘土鉱物の一種であるカオリンが主として製紙用に採掘されていましたが、戦前には金鉱床として浅熱水性鉱脈型の山下𨫤と、テルル鉱物を多産した角礫パイプ型の銀𨫤が開発されていました。
硫塩鉱物 鹿児島県薩摩川内市 スモールキャビネットサイズ石泉亭