蛍石 (fluorite) 五十島鉱山 #0627

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ほぼ純粋な蛍石塊標本です。1~5枚目は背景をソフトウエア処理しています。

五十島鉱山(いがしまこうざん)は持倉鉱山から阿賀野川の支流五十母川を更に5km程遡上した奥地に所在していました。蛍石鉱山として1907年(明治40年)頃に採掘が始まりました。蛍石は製鉄所における製錬工程で不純物を除去するための融剤として用いられ、戦後も1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発に伴う需要の増大等を背景に、数少ない国内蛍石鉱山の一つとして採掘が続けられました。昭和20年代後半にはフッ化カルシウム70%程度の精鉱を年間1,300トン余り生産していました。1949 年(昭和24年)頃には採掘した蛍石を貯鉱場として用いられた旧持倉鉱山事務所まで人力で運び、更にそこから牛馬で磐越西線の五十島駅まで運搬していたということです。五十島鉱山一帯は豪雪地帯であり、1963年(昭和38年)のいわゆる三八豪雪で大きな被害を受けたのを契機に閉山したと伝えられています。

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