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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0204
透明~淡緑色の蛍石が大部分を占めますが、一部淡紫色の部分も見られます。長波(375nm)の紫外線ライトで良く蛍光します。(1~6枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 大成鉱山 #0718
カオリン鉱山の石英脈中に少量の黄鉄鉱や閃亜鉛鉱などの硫化物を伴って産出した蛍石で、八面体淡緑色の小ぶりながら美しい自形結晶が集合しています。この蛍石は紫外線を照射すると強い蛍光を示します(2枚目と4枚目の写真)。 大成鉱山は、流紋岩の熱水変質交代岩であるカオリン岩体を採石している現役の鉱山です。カオリン(Kaolin)はアルミニウムの含水ケイ酸塩鉱物からなる粘土鉱物で、微細な粒子構造を持ち、陶磁器やコート剤、化粧品、薬品の原料に用いられます。
ハロゲン化鉱物 栃木県日光市猪倉 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0019
淡い緑の蛍石の裏側に、無色に近い蛍石が付いています。どちらの蛍石も375nmの紫外線ライトではっきりと蛍光します。(1~3枚目と5枚目の写真は背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 尾平鉱山 #0628
ピンク色がかった蛍石の塊です。(背景はソフトウエア処理しています。) 尾平鉱山は大分・宮崎の県境近く祖母山麓の奥岳川上流にあり、古生代のペルム紀付加体や結晶片岩、蛇紋岩などとそれを覆う中新世の火山岩類に中新世の花崗岩類が貫入して生成された気成スカルン鉱床で、古生層および各種火成岩中の錫鉱脈と鉛・亜鉛の接触交代鉱床からなります。1547年(天文16年)に銀が採掘されたという記録が残っていますが、公式には1617年(元和3年)に岡藩(中川氏)の直轄事業として蒸籠山(こしきやま)坑での錫の採掘が始まったのが開山とされています。岡藩は1635年(寛永13年)に江戸幕府の命により、城下町(古町)に銭座を設けて1636年(寛永13年)から1639年(寛永16年)の4年間にわたって「寛永通宝」を鋳造、尾平鉱山産出の錫が通貨の鋳造に使用されていました。江戸時代を代表する通貨である「寛永通宝」には尾平鉱山産の錫が使われていました。その後は明治、大正期に至るまで動力が水力以外に無いなど、採掘技術の進歩がなく産出量が低下しましたが、1935年(昭和10年)に上田鉱業から鉱山を譲り受けた三菱鉱業が三菱尾平鉱山として鉱山設備を近代化し、積極的な探鉱を行って三菱本・昭和等錫鉱の新鉱脈を発見し産出量が飛躍的に増加させ最盛期を迎えました。1941年(昭和16年)には金属錫390.84t、総出鉱量53,222tの年産量を記録しています。昭和10年代から20年代にかけて鉱山街には最大3,500人近い人口があったと云われ、長屋が立ち並び、小中学校、病院、飲食店、カフエ、映画館、ダンスホール、テニスコートなどを備えた市街が形成されていました。しかし1944年(昭和19年)の錫鉱業整備令で休山し、朝鮮戦争時の1950年(昭和25年)に再開しますが高品位の錫鉱脈を掘りつくし、出鉱量が激減、1954年(昭和29年)に閉山となりました。近代の尾平鉱山は三菱尾平鉱山以外にも複数存在しており、このうち蔵内金属鉱業が稼行した蔵内尾平鉱山は、1897年(明治30年)に薑谷(はじかみだに)一帯の借区権を入手して錫鉱採掘を始め、戦時中一時休山したものの1946年(昭和21年)に稼行を再開、1959年(昭和34年)に鉱脈枯渇により閉山するまで錫・鉛・亜鉛を採掘しました。
ハロゲン化鉱物 大分県豊後大野市緒方町 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 豊栄鉱山 #0314
豊栄鉱山は錫や亜鉛等を産出した金属鉱山ですが、1970年代に大型の蛍石鉱体に当たり大量の蛍石を出鉱したとのことで、鉱物ファンには蛍石標本の産地としても有名です。(背景はソフトウエア処理しています。) 豊栄鉱山は花崗岩と石灰岩の境界付近にある鉱床で、近世には九折(つづら)鉱山と呼ばれ竹田藩(岡藩)が銅、錫(すず)を採掘していました。近代以後は明治末年に内ノロ坑の亜鉛鉱、大正中期に大名坑の錫鉱、1949年(昭和24年)~1952年(昭和27年)に一号坑の硫化鉄鉱がそれぞれ小規模に稼行されましたが、1956年(昭和31年)に蔵内(くらうち)金属鉱業経営となり、機械選鉱場が設置され、錫、亜鉛、硫化鉄鉱を目的に本格的な開発が行われました。錫、亜鉛、硫化鉱、銅を産出しました。1963年(昭和38年)には粗鉱1,200t/月を採掘して、錫精鉱35t/月、亜鉛精鉱80t/月および硫化鉄鉱を産出し、特に錫は当時の本邦産出量の約1/4を占め、兵庫県の明延鉱山に次ぐ重要鉱山の地位にありましたが、1975年(昭和50年)に閉山しました。
ハロゲン化鉱物 大分県豊後大野市緒方町上畑九折 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 神武鉱山 #0698
白色の母岩上に細粒の蛍石の結晶が無数に見られます。紫色の結晶が目立ちますが、よく観察すると淡緑色や透明のものも含まれています。紫外線に対する蛍光はあまり強くないようです。(背景はソフトウエア処理しています。) 神武鉱山は、この地域に見られる粗粒の黒雲母花崗岩と石灰岩の間にできたスカルン鉱床で、銅、蛍石、柘榴石等を算出しました。1904年(明治37年)頃に開発されましたが間もなく休山、その後1933年(昭和8年)頃から再稼行し、1936(昭和11)年に東京都の山口茂氏が金銀銅の試掘鉱区として鉱業権を買収し、1937年(昭和12年)に神武鉱山株式会社が設立されました。一方、同鉱山産の蛍石を目的とした土石採取権を八幡製鉄所が保有しており(蛍石は製鉄工程で溶剤として用いられる)、1938年(昭和13年)~1939年(昭和14年)の間、八幡製鉄所の委託を受けて神武鉱山の蛍石を採掘、八幡に送鉱していました。1941年(昭和16年)に法定鉱物に追加された蛍石の採石権を神武鉱山の鉱業権に併合、1945年(昭和20年)まで稼行しました。戦後1948年(昭和23年)に採掘を再開し、1954年(昭和29年)には銅鉱石の月産90トンという記録が残っています。また、蛍石の産地としても日本有数といわれ、1951年(昭和26年)~1953年(昭和28年)にかけて年間約500トンを出鉱、品位は平均30~40%、最高では70~80%に達したということです。1964年(昭和39年)に落盤事故が発生し、閉山しました。
ハロゲン化鉱物 広島県三原市宗郷町 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 細倉鉱山 #0691
閃亜鉛鉱、方鉛鉱および蛍石が交互に沈殿・結晶化して縞状構造をなしている鉱石標本です。写真の4枚目、6枚目と8枚目は波長375nmのUVライトで蛍石を蛍光させて撮影しています。(背景はソフトウエア処理しています。) 細倉鉱山の鉱床は東西約5km、南北約3km、地表に露頭となっている部分から約500mの深さまで分布し、網の目が複雑に絡み合ったような構造をしていました。鉱脈の主要鉱物は方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱で、銀、銅、ビスマス、カドミウムなども産出しました。 細倉鉱山の発見は9世紀とも言われますが根拠ははっきりせず、文献からは16世紀の後半に発見、採掘が開始されたと考えられています。当初は銀山でしたが、17世紀後半から鉛の産出が始まり、やがて仙台伊達藩一の鉛の鉱山となりました。当時鉛の需要は銅の精錬家庭で粗銅から金銀を取り出すための灰吹法(南蛮吹き)に用いるため大きな需要がありましたが、江戸時代末には細倉鉱山で産出された鉛から、細倉当百という鉱山で使用するための地方貨幣が発行されたことでも有名です。 明治以降は水害や火災、そして鉛や銀の市況の低迷により発展が妨げられていましたが、1934年(昭和9年)に三菱鉱業が細倉鉱山の経営権を獲得して本格的開発を行い、1960年代の最盛期には岐阜県の神岡鉱山に次ぐ規模の日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山となりました。1970年代以降、円高による競争力の低下やオイルショックなどによる不況の影響で経営が困難となり、1987年(昭和62年)2月に閉山しました。現在細倉鉱山跡地では細倉マインパークという鉱山を舞台としたテーマパークが運営されており、宮城県栗原市立の細倉鉱山資料館も併設されています。
ハロゲン化鉱物 宮城県栗原市鶯沢 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 大塔鉱山 松畑鉱床 #0478
上部の立方体の結晶が敷き詰められているように見える部分以外が研磨され、層状になった蛍石の緑色~透明~緑色の遷移が良くわかる標本です。(背景はソフトウエア処理しています。) 大塔(おおとう)鉱山は熊野三山の一つ熊野本宮大社にほど近い紀伊半島の険しい山岳地帯で昭和20年代に稼行された小規模の蛍石鉱山です。本鉱山の蛍石鉱床は中新世(約2,300万年前から約500万年前にあたる新第三紀の第一世の地質時代の一つで、この時代に日本列島がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成されたとされています)の堆積岩中に形成された浅熱水性鉱床とされています。
ハロゲン化鉱物 和歌山県田辺市本宮町請川 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 大塔鉱山 #0456
こちらも大塔(おおとう)鉱山産の蛍石の標本で、半透明のかすかに緑色がかった結晶が集合しています。(1枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 大塔鉱山は熊野三山の一つ熊野本宮大社にほど近い紀伊半島の険しい山岳地帯で昭和20年代に稼行された小規模の蛍石鉱山です。本鉱山の蛍石鉱床は中新世(約2,300万年前から約500万年前にあたる新第三紀の第一世の地質時代の一つで、この時代に日本列島がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成されたとされています)の堆積岩中に形成された浅熱水性鉱床とされています。
ハロゲン化鉱物 和歌山県田辺市本宮町請川 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 大塔鉱山 皆瀬川鉱床 #0394A
淡い緑色、橙色、桃色の摺りガラスのように見える蛍石の結晶が集まっています。(1枚目は背景をソフトウエア処理しています。)本標本は大塔(おおとう)鉱山の皆瀬川鉱床の露頭で採集されたものです。 大塔(おおとう)鉱山は熊野三山の一つ熊野本宮大社にほど近い紀伊半島の険しい山岳地帯で昭和20年代に稼行された小規模の蛍石鉱山です。本鉱山の蛍石鉱床は中新世(約2,300万年前から約500万年前にあたる新第三紀の第一世の地質時代の一つで、この時代に日本列島がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成されたとされています)の堆積岩中に形成された浅熱水性鉱床とされています。
ハロゲン化鉱物 和歌山県田辺市本宮町皆瀬川 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 日産鉱山 #0274
紫色、薄青緑色、透明色の蛍石が観察できます。背景はソフトウエア処理しています。 日産鉱山は日産鉱業により稼行され、花崗岩中に網状に複数の鉱脈からフッ化カルシウムの品位20~70%の蛍石を採掘していました。1952年(昭和27年)には休山していたとのことです。
ハロゲン化鉱物 三重県いなべ市大安町石榑南砂山 ミニチュアサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0458
こちらの標本では薄青緑色と濃紫色の蛍石がコンビネーションになっています。(1枚目のみ背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0386
こちらの標本では玉髄質石英の表面を薄青緑色の蛍石が覆っています。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石 (fluorite) 平岩鉱山 #0255
この標本は主として鉱脈の盤際に見られる蛍石が玉髄質石英に取り込まれた部分で、鉱石の品位としては低くなりますが、とても美しい模様が気に入っています。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 平岩鉱山のあった平岩地区の地質は粘板岩・砂岩およびチャートからなる古生層と,これを貫く花崗斑岩・石英斑岩および粉岩等の岩脈類で構成きれているます。蛍石鉱床は粘板岩と花崗斑岩に跨って2条の鉱脈が発達し、脈幅は最大3m、フッ化カルシウム品位65%に達したということです。脈石鉱物の大部分は石英で、玉髄ないし蛋白石質で縞状を呈し、そのほかに石英脈中の晶洞に氷長石の結晶、母岩との境目に鉱染状の黄鉄鉱が見られることがあります。平岩鉱山は1950年(昭和25年)以降に開発された鉱床で、我が国の代表的な蛍石鉱床の1つとして、1954年度(昭和29年度)の全国生産高の53%、1955年度(昭和30年度)には78%を占め、日本の蛍石鉱山のなかでも最も重要な地位を占めていました。
ハロゲン化鉱物 岐阜県関市上之保 スモールキャビネットサイズ石泉亭
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蛍石・水晶 (fluorite/quartz) 蛭川田原 #0531
水晶クラスターの中に蛍石の自形結晶が埋まっています。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 中津川市の苗木・蛭川を中心に恵那市から長野県の南木曽町にかけて苗木花崗岩と呼ばれる花崗岩が広く分布しています。苗木花崗岩には、しばしば周囲よりも大きな結晶からなるペグマタイト(巨晶花崗岩)が見られ、ペグマタイト中の晶洞からは水晶(石英)やカリ長石を産します。 苗木地方(苗木花崗岩分布域一帯)は、福島県の石川地方(石川町を中心とする阿武隈花崗岩類分布域一帯)、滋賀県の田上地方(田上花崗岩分布域一帯)とともに、日本三大ペグマタイト産地とされています。
ハロゲン化鉱物 スモールキャビネットサイズ 岐阜県中津川市蛭川田原石泉亭