金銀鉱石 (gold-silver ore) 佐渡金山 青盤脈 #0141

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石英質の母岩の中に、黒色縞状の銀黒が発達しています。切断面の赤・青・緑色の矢印の先では銀白色に輝く輝銀鉱の微粒が目視できます。

佐渡金山は西三川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山等、佐渡島に複数存在した金山、銀山の総称で、その中で最大規模のものが相川金銀山でした。相川金銀山の開発は16世紀末に始まったと考えられており、その後徳川幕府直轄金銀山として採掘され、江戸期金銀貨原料の主な供給源になりました。明治以降は官営となり、西洋の先進技術を導入して近代化が図られましたが、1896年(明治29年)に三菱合資会社(後の三菱鉱業、現三菱マテリアル)に払い下げられ、三菱資本の下更なる機械化が進められ、1940年(昭和15年)には佐渡金山の歴史上最高となる年間約1,500 kgの金と約25トンの銀が産出されました。戦後は資源枯渇が目立つようになり、1952年(昭和27年)に三菱は佐渡鉱山の大規模な縮小を決定、1989年(平成元年)に休山となりました。

青盤脈(あおばんみゃく)は相川金銀山中最大の鉱脈で、今も佐渡ジオパークで断層面を観ることができます。本標本は濁川中流左岸を通る青盤脈の西半部の露頭線が自然侵食で濁川谷底に崩落したものを昭和40年代に採集したものということです。現在では濁川の川床にコンクリートブロックが敷き詰められ、採集は不可能になっているそうです。

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