気配 ピアノソナタ第5番
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調OP.10-1 第1楽章 アレグロ モルト エ コン ブリオ 第2楽章 アダージオ モルト 第3楽章 フィナーレ:プレスティッシモ短いかくてコンパクトに纏まった作品。そしてベートーヴェンの後期に至って自分の裡に持つ内省の音楽の引き出しに仕舞われたであろう印象深い第2楽章を中心に躍動と劇性の厚みで挟んだ佳品でもある。第8ソナタとの近似生を言われる。確かに楽章構成(ハ短調-変イ長調-ハ短調)、パトスが支配する第1楽章、平穏の中に収斂する歌の美しさを持つ第2楽章、息を詰めたまま疾走する第3楽章。雰囲気は似ている。似ているというよりもこの作品の各楽章はそれぞれ第8番のソナタに育っていったのだと考えている。同じ引き出しから出されたとき、それを表現する作家の成長により、音楽は細部の緊張を増し、劇性は四方にわめき散らすのではなく、やがて訪れる平安の歌を見つめながら主情は冷静にその高低を調整されている。このログは基本展示したグルダの全集https://muuseo.com/Mineosaurus/items/287?theme_id=43332 Friedrich Gulda Spielt Beethoven P06:リードリヒ・グルダ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/Mineosaurus/items/287?theme_id=43332 Mineosaurus を拾い聴きしながら、年取って感じ方が変わった部分なんかを振り返りながら書いているけれど、時々横道にそれていく。グルダの演奏は5番をそのある姿として表現し、ここで選んだアルフレッド・ブレンデルの演奏は完成されたベートーヴェンのスタイルから表現する。(あくまで僕の耳に聴こえる印象)前者の演奏をずっと聴いてきた耳にとって初めてブレンデルの5番を聴いたときは新鮮だった。 これほどの内容が詰まった音楽であったかと、好きだからと丸かじりしていたリンゴでは気づかなかった切りそろえたリンゴの種の近くに溜まった蜜を初めてそれとして口に含んだときの新鮮さ。 左手が鳴るときの右手の動きの精密さ。二つの音楽が混然と耳で終わるのではなく、耳から入って我が頭で融合する新鮮。 そこには直ぐ隣に第8番のソナタが聞こえるようでした。第2楽章の旋律の美しさはむしろ有名なアダージオ・カンタービレの行きついた美しさよりも延びしろを感じさせる。ベートーヴェンの後期に昇華された素材がその気配を聴かせながら旋律の中にまだ生のままの歌として聞こえる。ブレンデルはそこをボクに聴かせた。『どっちを聴きたい』と悲愴ソナタとこの第5番を出されたら、へそ曲がりのボクはこっちをとりそうだね。
woodstein
2024/02/15 - 編集済み私もグルダのベートーヴェンピアノソナタチクルスのCDは愛聴していますが、ハンマークラヴィーア以降はちょっと苦手なので、あまり聴いていません。それはともかく、こういうジャズ畑の演奏家がクラシックを奏でると、こうもまともなのかと少し驚かされた記憶があります。キース・ジャレットのバッハやモーツァルトの曲の演奏もそうでしたが、非常に興味深い。ですが、上に掲げられた動画の演奏は、そのジャズ畑の片鱗がそこはかとなく感じられたかな。近いうちに、久し振りに聴き直すことにします。
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Mineosaurus
2024/02/16グルダのジャズはちょっといただけないですね。息子のために作った曲は良かったですけど。グルダはウィーンラスと呼ばれたイエルクデムス、パドゥラ=スコダからは一つ頭が抜けたピアニストでした。問題児と言われてましたけど。モーツァルトとベートーヴェンに関してはそれぞれ異なった独自の魅力があります。
彼のジャズは趣味ですけど全集、ぜひ聴いてください。勿体ないですよ。ハンマークラヴィーァ以降のベートーヴェンは孤峰です。あの長大なアダージオとその後のフーガ。彼の最後期のピアノソナタと弦楽四重奏曲はその後のほとんどすべての作曲家にとって越えられないトラウマのようなものだったと思います。さすがの問題児もそう何回も弾けるような集中力はなかったんでしょうね。美しさとか心地よさなどとは無縁の作品です。
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グリーン参る
2024/02/17woodsteinさん
これ、キース・ジャレットのバロックへの造詣、実力が遺憾なく発揮されたアルバムだと思っています。
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グリーン参る
2024/02/16 - 編集済み私もグルダの全集を十数年聴いています。妹にあげてしまい買い直しましたが、画像のボックス写真がいかついベートーベンの顔になってしまいました。もともとのブリリアントのパッケージデザインが好きだったのですが。時々はエキセントリックな演奏をするグルダですが、ベートーベンに関しては奇をてらったところがありません。「人生山も谷もあるのよ」そんなふうにどこか達観している感じが私は好きです。
ここでグルダが演奏しているピアノ、確かにニューヨーク・スタンウェイのきらびやかな輝きはないように思います。ただ、私にはハンブルク・スタンウェイとベーゼンドルファーを聞き分ける耳が残念ながらありません。
ちなみにグルダのジャズは、河井寛次郎の彫刻のように「手を出さなければ良かったのに」と私が思うものです(笑)。
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Mineosaurus
2024/02/17キースジャレットのバッハの平均率は田舎に帰ってから聴きました。昭和の最後の年だったと記憶しております。(年よりは直前記憶が弱くなるけれど、どうでもいいような昔の記憶はあります。)彼のタッチはルドルフの息子のピ-ターゼルキンに似てますね。グルダとは逆に、彼の本当の居場所はインプロヴィゼーションの中にあるように思います。グルダは時にモーツァルトが自分の作品に恐らくは演奏の都度やっていたような即興を加えることがありますよね。しかめつらして聴くよりも音楽は音楽と思って聴いています。
クラシックの音楽の世界観に窮屈さを覚えた天才が即興の世界に興味を覚えたのとジャズの即興と閃きの中から、譜面の中から作曲家と音楽の創造と人間に触れ、その音楽家が譜面にする前の最初の霊感を捜すために後ろを振り返った天才。どっちもとてつもないですね。
ハンブルクスタンウェイは世界大戦を通過して私の生まれた年にハンブルクに移転してます。現在の工場はニューヨク・スタンウェイの隣にあるそうです。スタンウェイはホロヴィッツが育てたピアノですね。でもあの音はいつの年代のものかはわかりませんが私もスタンウェイ相互の音の違いはベヒシュタインやベーゼンドルファと比べた違いほどではないと思います。(年よりは頑固ですみませぬ。)( ´艸`)
いつだったか、即興についてキースジャレットをネタに書いたことがあります。ケルンコンサートに記事でした。
https://muuseo.com/Mineosaurus/diaries/57
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グリーン参る
2024/02/17お返事ありがとうございます。
ピーターゼルキン、一度も聴いたことがありませんので、今度CD買ってみます。
ピアノの音に関しては難しいですね。2015年にBSプレミアムで「もうひとつのショパンコンクール」という番組をやっていました。スタンウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリなど、コンクールに使用されるピアノを巡るピアノメーカーの闘いを描いた非常に面白い特番でした。予選と本選で異なるピアノを選択するピアニストの微妙な心理、私のようなずぶの素人にははかりかねました。
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Mineosaurus
2024/02/17グリーンマイルさん有り難うございました。面白そうですね。ベーゼンドルファーは今ヤマハの子会社なんですね。ベーゼンドルファーのハンマーが革製からフェルトに変ったことで耐性が増したという話を聞いたことがあります。演奏とピアノの選択の微妙な関係は再現芸術の奥の深さを感じます。でも、極めた人でないとわからないような気がしますが、そのピアニストの頭に響く音を捜すんでしょうかね。
子供の頃、同じ音楽なのになぜあんなにいろんな音楽家がレコードを出していて、それを買う人がいるのだろうと本気で思っていました。同じ曲でも10代に聴いたときや爺になった今聴くのとでは違って聴こえます、この曲のここをこの人で聴きたいという困った欲求が湧いてきたり、やっとかなえたと思ったら、あれ?こんなんだっけ?と思ったり、キリがないですね。ホント。
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