稲垣潤一『246:3AM』

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【2024年9月28日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
9月は、シティ・ポップの文脈にあっても、少し歌謡曲の香りがするレコードを紹介しています。ジャパニーズAORシリーズ、最後は仙台出身・稲垣潤一のデビュー・アルバム『246:3AM』です。

“歌うドラマー”ジャパニーズAORの代表的存在、稲垣潤一は、1953年7月9日、仙台市宮城野区榴ヶ岡にある洋品店の息子として生まれました。洋楽好きな両親の影響で小さい頃から音楽に親しみ、小学5年生でビートルズに出会います。はじめて買ってもらったレコードはビートルズの「ロックン・ロール・ミュージック」。

中学でバンドを結成、リンゴ・スターへの憧れから楽器はドラムを選択。初のステージは卒業式の謝恩会で、会場は学校の図書館だったそうです。高校時代はバンドに明け暮れ、卒業後いったん就職しますが、入社前日にかかってきた同級生からの電話で1日で会社を辞め、バンド・マンへの道を歩みます。

バンド・マンといってもダンスホールやキャバレー専属の、いわゆる「ハコバン」でした。そんな潤一に、仙台で有名なバンド「ロングイヤーズアフター」から声がかかります。バンドは東京に進出してキャバレーやビアガーデン、米軍キャンプなど、あらゆる場所で演奏を続けますが1年ほどで解散、19才の潤一は単身仙台へと帰ります。

仙台へ戻ってからもバンドは続け、掛け持ちをして多忙な日々を送ります。ディスコ「ビッグ・ソシュウ」で演奏するころには、女性ファンが詰めかけるまでになりました。しかし、無理がたたって体調を崩し、一時バンドを離れますが仲間のサポートで復帰。

1978年、後輩からの紹介でパブ「スコッチバンク」のハコバンに参加。一年ほどたったある日、演奏テープを聞いたというTV局のプロデューサーによってスカウトされ、再び上京して、1982年「雨のリグレット」でレコード・デビューを果たします。1stアルバム『246:3AM』は井上鑑らがアレンジを担当、今剛、林立夫といったミュージシャンが参加してジャパニーズAORとなりました。

TV出演でも、ドラムを叩きながらのヴォーカルというスタイルで注目を浴び、その年にリリースされた3rdシングル「ドラマティック・レイン」がトップ10ヒットとなります。83年には2ndアルバム『SHYLIGHTS』で日本レコード大賞 ベストアルバム賞を受賞。そしてこの年、シングル「夏のクラクション」を携え初の全国ツアーを開催しました。

84年にはファンハウスへ移籍、86年のアルバム『REALISTIC』で初のオリコン・チャート首位を獲得。以後4作連続でトップを独走し、92年のシングル「クリスマスキャロルの頃には」が、170万枚というキャリア最大のヒットとなりました。2000年代にはカヴァーやデュエット・アルバムなどをリリース、現在はユニヴァーサル・ミュージック・ジャパンに所属、様々なスタイルでライヴを続け、11月3日には全国ツアーの仙台公演が行われます。

稲垣潤一のアルバム『246:3AM』
SIDE A
「ジンで朝まで」
「バハマ・エアポート」
「海鳴りに誘われて」
「蒼い追憶」
「月曜日にはバラを」

SIDE B
「246:3AM」
「雨のリグレット」
「ハート悲しく」
「日暮山」

稲垣潤一のアルバム『246:3AM』いかがでしょうか?
ちなみに、仙台出身の稲垣潤一は1983年から87年にかけて、当時FM仙台のオリジナル番組を持っていました。ご存じの方いらっしゃいますか?

https://j-inagaki.net/
稲垣潤一 オフィシャルサイト

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