クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル『ペンデュラム』

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【2024年11月30日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
11月は、普段あまり放送されないような渋めのラインナップでお送りして来ました。題して“渋ロック”シリーズ最終回は、カリフォルニア出身ながらスワンピーでルーツなバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『ペンデュラム』です。

CCRのリーダー、ジョン・フォガティは1945年5月28日カリフォルニア州バークリー生まれ。幼い頃からブルースを聴いて、南部のディープな音楽に影響を受けました。同じ高校に通うスチュ・クック、ダグ・クリフォードの3人で1959年ブルー・ベルベッツを結成。ジョンの兄、トム・フォガティが加わって、64年にゴリウォッグスとしてデビューします。

資金難にあえぎ、場末のライブハウスで演奏を続ける彼らに幸運が訪れます。後にアカデミー賞プロデューサーとなるソウル・ゼインツがゴリウォッグスが所属するファンタジー・レコードを買収、バンドにも融資してくれたのです。

レーベルが勝手につけた差別的なバンド名に不満を持っていた彼らは、ゼインツのアドバイスを受け、1968年にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改名。同年リリースしたシングル「スージーQ」は、A~B面に渡る長尺ながら全米11位まで上昇し、同タイトルのアルバムも全米52位と、CCRにとって初のヒットとなりました。

2ndアルバム『バイヨー・カントリー』から、名曲「プラウド・メアリー」が生まれ、アルバムも全米7位の大ヒットとなりました。立て続けに発表した3作目『グリーン・リヴァー』から、「バッド・ムーン・ライジング」が全米2位、アルバムではついに初の全米1位を獲得しました。

順調に見えたものの、リード・シンガーでソングライターでもあるジョンの独占体制がすすむとメンバーとの軋轢が生まれ、70年の『ペンデュラム』をもってトム・フォガティが脱退。3人態勢となった72年の7作目『マルディ・グラ』は、メンバーの楽曲やヴォーカル曲も取り入れた民主的な作品となりますが、失敗に終わりあっけなくバンドは解散してしまいます。

1973年にジョン・フォガティは、ソロ・アルバム『ザ・ブルー・リッジ・レンジャーズ』を発表。75年に『ジョン・フォガティ』をリリースしますが、所属レーベルとの契約問題で訴訟を起こされ、CCR時代の楽曲を歌えなくなってしまいます。

そんな状況から一時は音楽活動から遠ざかってしまいましたが、84年にレーベルを移籍して9年ぶりに発表した『センターフィールド』が全米1位を獲得。見事に復活を果たしますが、86年の『アイ・オブ・ザ・ゾンビ』が失敗、さらに『センターフィールド』収録曲を巡ってまた訴訟を起こされ、10年以上にわたって再び沈黙。

その後ジョンは、ルーツ帰りした1997年の『ブルー・ムーン・スワンプ』でグラミー賞を獲得。2005年にはソングライターの殿堂入りを果たし、現在も活動を続ける現役ミュージシャンです。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『ペンデュラム』
SIDE A
「ペイガン・ベイビー」
「水兵の嘆き」
「カメレオン」
「雨を見たかい」
「ハイダウェイ」

SIDE B
「ボーン・トゥ・ムーヴ」
「ヘイ・トゥナイト」
「イッツ・ジャスト・ア・ソート」
「モリ―ナ」
「手荒い覚醒」

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『ペンデュラム』いかがでしょうか?ちなみに、CCRは「プラウド・メアリー」はじめ全米2位のヒットが5曲、という記録を持ちながらシングル・チャートではついに1位を獲得することが出来ませんでした。

★ジョン・フォガティ オフィシャルサイト
https://johnfogerty.com/

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