八神純子『思い出は美しすぎて』

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【2024年9月21日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
9月は、シティ・ポップの文脈にあっても、少し歌謡曲の香りがするレコードを紹介しています。番組ではジャパニーズAORと呼んでいます。今回は、圧倒的歌唱力で人気となった八神純子のデビュー作『思い出は美しすぎて』です。

1958年1月5日名古屋で生まれ裕福な家庭で育った八神純子は、小さい頃から歌が大好きで、ピアノや日本舞踊も習っていました。高校に入るとフォークギターのサークルを作って、ヤマハのボーカルスクールへも通いました。本格的なレッスンを受けるうち、オリジナル曲も作り始めます。

生バンドで歌いたい一心で応募した、1974年の第8回ヤマハポピュラーソングコンテストで「雨の日のひとりごと」が優秀曲賞を受賞。同年、第5回世界歌謡祭にも出場し、デビュー前ながら「雨の日のひとりごと」をリリースしました。翌年もポプコン、そして世界歌謡祭へと出場して賞を獲得すると、1976年、高校3年生にして第17回チリ音楽祭に参加、初の海外経験ながら入賞という栄光を得ました。

高校卒業後は音楽の世界へ進み、デビュー前にしてラジオのレギュラーを務め、1978年20歳の誕生日にシングル「思い出は美しすぎて」でプロ・デビューを果たします。半年後にリリースされた同タイトルの1stアルバムは、オリコンチャート5位のヒットとなりました。次のシングルでは少し低迷しますが、続く「みずいろの雨」がオリコン2位、60万枚の大ヒット。

勢いづいた彼女は79年の2ndアルバム『素顔の私』でとうとうチャートの頂点に昇りつめ、「想い出のスクリーン」「ポーラスター」といったシングル・ヒットも生まれました。80年に一時ロサンゼルスに渡り、帰国後に発表した「パープルタウン」で再びオリコン2位を獲得。この年の『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場し、パフォーマンスを披露しました。

その後もCMタイアップなどで立て続けにヒットを飛ばし、83年には全曲英語のアルバムをリリース。海外へのあこがれを強めて古巣ヤマハからアルファ・ムーンへと移籍。1987年、イギリス人の音楽プロデューサーとの結婚を機に、アメリカ・ロサンゼルスへ移住。90年からは毎年帰国コンサートを開催し、地元ロサンゼルスでもライヴを行いました。

しかし子どもが学校へ通うようになると、子育てのため一時音楽活動から離れていました。それもひと段落した2010年、NHKの「SONGS」に出演すると、反響が大きく日本での音楽活動を再開。ところが、そんな折東日本大震災が発生、ボランティアやライヴ活動を通して被災地支援を行い、13年には東北被災地支援チャリティー・シングル「翼」を発表しました。

2015年からは全国各地を巡って歌を届けるツアー「あなたの街へ」をスタート、今でも「キミの街へ」として続いています。2022年には日本人として初めて、アメリカ「女性ソングライターの殿堂」入りを果たし、現在もアメリカと日本を行き来しながら、ライヴを中心に音楽活動を続けています。

八神純子のアルバム『思い出は美しすぎて』
SIDE A
「雨の日のひとりごと」
「時の流れに」
「思い出の部屋より」
「思い出は美しすぎて」
「追慕」

SIDE B
「気まぐれでいいのに」
「せいたかあわだち草」
「窓辺」
「もう忘れましょう」
「さよならの言葉」

八神純子のアルバム『思い出は美しすぎて』いかがでしょうか?
ちなみに、彼女の初期のトレードマーク、首から下げたサンバ・ホイッスル。「思い出は美しすぎて」のレコーディングで吹いたのは、実は体育の先生が使う普通のホイッスルなのだそうです。

https://junkoyagami.com/s/yj/
八神純子 オフィシャルサイト

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