山本達彦『マティーニ・アワー』

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【2024年9月14日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
9月は、シティ・ポップの文脈にあっても、少し歌謡曲の香りがするレコードを紹介します。ジャパニーズAORとでも呼んでみましょう。今回は、 “シティ・ポップの貴公子”と呼ばれた、山本達彦のアルバム『マティーニ・アワー』です。

1954年3月4日東京生まれの山本達彦は、小学校2年生で東京少年少女合唱隊に参加。高校時代には、同級生で後にジャズ・ギタリストとなる渡辺香津美とバンドを組んで、学園祭やパーティーに出演していたそうです。成蹊大学へと進学すると1974年にオレンジというバンドを結成、TVのコンテストで優勝して、ロンドンでレコーディングした「翼のない天使」でデビューします。

しかしオレンジは成功に到らずコンテストの審査員であった、かまやつひろしのバック・バンドに参加。作家として郷ひろみなどに楽曲提供する傍ら、1978年に日本フォノグラムからソロ・デビューします。デビュー・アルバム『突風』は、近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」などで売れっ子の作詞家、伊達歩こと作家の伊集院静が全10曲の歌詞を手掛け、山本が曲を担当するという贅沢な作品でした。

80年の2ndアルバム『メモリアル・レイン』では、松任谷正隆、井上鑑といったアレンジャーが参加してシティ・ポップ寄りになっていきます。さらに81年の『ポーカー・フェイス』は井上鑑アレンジの元、林立夫、今剛、松原正樹らが参加して、見事なジャパニーズAORサウンドを聴かせてくれました。

この後東芝EMIへと移籍、82年の『I LOVE YOU SO』ではNOBODYをアレンジャーに迎え、少しロック・テイストな作品となりました。そして5作目の『太陽がいっぱい』からシングル「LAST GOOD-BYE」が映画の主題歌に起用され、初のオリコン・チャート・イン。

いよいよ知名度をあげて、83年の『マティーニ・アワー』では再び井上鑑と組んで、スティーリー・ダンのエンジニアにミックスダウンを依頼するなど、サウンド志向を強めます。シングル「MY MARINE MARILYN」は、JAL沖縄のキャンペーン・ソングとしてオンエアされ、アルバムはオリコンチャート初登場2位と自己最高の記録を達成しました。

80年代はコンスタントに作品を発表、そして90年にアルファ・レコードに移籍。99年には自主レーベル「サイレンス」を発足して、作品をリリースし続けます。2018年にはレーベルの壁を越えたベスト・アルバム2枚、新作1枚、そしてDVD1枚という豪華4枚セットの40周年記念盤をリリース。2023年秋にはデビュー45周年のアニヴァーサリーLIVEを開催しました。

山本達彦のアルバム『マティーニ・アワー』
SIDE A
「MAY STORM」
「IN SUMMER DAY」
「TOO FAR AWAY」
「SUMMER HOLIDAY」
「FAREWELL,MIDNIGHT BLUE」

SIDE B
「JAZZY AGE」
「MY MARINE MARILYN」
「HIS WOMAN」
「BIRD」
「L’ECUME DES JOURS」

山本達彦のアルバム『マティーニ・アワー』いかがでしょうか?ちなみに、山本達彦は1964年、東京少年少女合唱隊のアメリカ親善公演に参加。10歳にしてあの『エド・サリバン・ショー』に出演したのだそうです。

https://www.tatsuhiko-yamamoto.jp/
山本達彦 オフィシャルサイト

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