変わらないエドワードグリーンの軸
成松淳(以下、成松):飯野さんは、旧エドワードグリーン製(エドワードグリーンがエルメスに工場を売却する前)と新エドワードグリーン製(新工場に移ったあと)合わせて8足所有されています。エドワードグリーンにどのような印象をお持ちですか。
飯野高広(以下、飯野):エドワードグリーンは最近出たものも含めてデザインが古典的で、ブリティッシュトラディショナルの領域を逸脱していません。対称的なのはJohn Lobb Paris(ジョンロブ パリ)、通称ロブパリです。アートのような靴。良い悪いではなく好みになりますが、私はエドワードグリーンが足元にあるとホッとします。50歳になっても70歳になっても履き続けたいです。
そして、エドワードグリーンは牛肉のしぐれ煮に例えられるくらい、底のあたりが柔らかい。例えるならば、良く整備された土の上を歩いているような履き心地です。
成松:かかとも柔らかいですよね。一方、ロブパリはかかとをグッとつかむ履き心地だと思います。
飯野:ロブパリとエドワードグリーンはかつて同じ工場で作られていたとは思えないくらい、かかとも異なりますね。少しづつ形状記憶していくんですけども、ロブパリの靴を履き下ろした時には私は99%靴擦れします。一方、エドワードグリーンは抑え方が柔らかいので良い意味で履き慣らしをする必要がない。緩いわけではないところがポイントです。ビスポークの美意識を既製靴に落とし込んだ一番最初のメーカーではないでしょうか。
成松:ビスポークの良さを落とし込んだ既製靴なんですね。ビスポークの靴を履くこともありますが、自分の中ではエドワードグリーンほど総合的にバランスの取れた靴はあまり見たことがありません。
飯野:エドワードグリーンの知名度が上がる以前の英国紳士靴ヒエラルキーでは、ビスポークの下にはChurch's(チャーチ)が位置付けられていました。チャーチは、良くも悪くも実用性に秀でています。例えるならば、海外出張など現場に出て働くビジネスマンの靴。エドワードグリーンは、外に出るよりも社内で最終決断をする人が履く靴のイメージがあります。
成松:流れるようなプロポーションが他のメーカーの靴とは決定的に違うような気がします。エドワードグリーンの一つの特徴としてラストの多さが挙げらますね。見比べても、どれも普遍的で破綻していない印象があるのですが、飯野さんはいかがでしょうか。
飯野:はい、ずっとデザインの基本軸がブレていません。これにはエドワードグリーンが1990年代の中盤、当時の工場をエルメス傘下のジョンロブ・パリに売却し新たな工場に移転した際に、未曾有の危機が訪れたことも絡むのでしょう。ベテランの従業員はロブパリに移る、と言うかそれまでの工場に残る人が多かった結果なのか、品質が一気に不安定になったのです。
ほぼ同じタイミングでエドワードグリーンは、木型と一部の型紙のモデルチェンジも行ったことで、さらに災いを広げてしまいます。具体的には、202の木型を変え、内羽根式の代表的なモデルのデザインパターンも変えたのです。
新202の木型を用いた内羽根式パンチドキャップトウ。旧202より踵が大きくなり、ガースも大きめに取るように。生産拠点を新たに移転した際、キャップトウのチェルシーなど代表的な内羽根式の靴にスワンネック(丸で囲んだディテール)を採用した。
飯野:その後しばらく日本や欧米の靴店や靴好きの間では、エドワードグリーンの評価が大きく落ち込みました。不評を脱するきっかけになったのは、上級グレードである「トップドローワー」と、それ専用の木型としての808の登場です。これらが出てから「エドワードグリーン、新しいことをやり始めるんだな」とファンにも伝わり始め、評価の風向きが徐々に変わり出したのを今でも覚えています。
成松:808を超える美しい木型はほとんどないと思います。
飯野:きれいでかっこよすぎて、私は買えなかったんですけどね(笑)。それからやや細身ながら普遍性を十二分に有したアーモンドトウの木型=82が出て、エドワードグリーンが打ち出したい堅実な方向性が明確になりました。
808の木型を用いて作られた内羽根式ストレートチップ
成松:たくさんあるラストの中で、飯野さんにひびいた木型はありましたか?
飯野:今の靴好きからの評価は低めのようですが「これは!」と思った木型が888です。888は、歴代グリーンのなかでは一番甲が低い808を少しコンフォートにしたラストです。888を設計した人は天才だと思いますよ。よく見るとオブリーク(ラウンドトウの中でも親指から小指にかけて実際の足の形の様に斜めにカットされた形の靴のこと)なんです。
オブリークは医学的にも十分な説得力を持つトウシェイプです。それを違和感なく入れてきたので、さすがだと思いました。いずれにしても、危機に対して明確な答えを新たに出して、ユーザーの心を掴み直したと思います。
成松:888は当時雑誌などですごく取り上げられてましたことを覚えています。その時代は激動の時代だったのですね。
888の木型を用いて作られたモンクストラップ
LAST VARIATIONS OF EDWARD GREEN DRESS SHOE
中央の横線は時系列を表している。
CLASSIC
#旧202
ブランド名:LLOYD FOOTWEAR
スタイル:外羽根式プレーントウ
ペットネーム:WINDERMERE
「ザ・スタンダード」。今日のEGの地位を揺るぎないものにした伝説の木型。インサイドストレート・アウトサイドカーブを自然にまとめたラウンドトウ、踏まずの絶妙なえぐれとヒールカップの小ささが特徴。当時の工場のエルメス(ロブパリ)売却に伴う騒動でお蔵入りに。
#32
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:外羽根式Uチップ
ペットネーム:DOVER
旧202よりガースで幅を削る分高さを稼ぎ細身に見えるようにした。よって旧202に比べラウンドトウのカーブは真円に近い。DOVERの木型としてあまりに有名。
#201
ブランド名:LLOYD FOOTWEAR
スタイル:ホールカットプレーントウ
ペットネーム:MARLBOROUGH
アメリカ向けとも言われ、旧202よりショートノーズでトウボックスが高い。ガースの設計は旧202より#32に近い。旧202よりハーフサイズ上で履くと良い感じ。プレーントウ系で多く用いられていた。
#33
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:外羽根式プレーントウ
ペットネーム:GLENLEVIT
言わば#32のセミスクエアトウ版。#32と#88の合いの子的存在。アウトサイドカーブが#88より穏やか。
#88
勇壮なスクエアトウを得意とするFOSTER&SON(フォスター&サン)の既製品にかつて用いられた点からも明らかなとおり、本来の「イングリッシュスクエアトウ」は、実はこれ。旧202よりややショートノーズでアウトサイドカーブがキツ目。ウェストシェイプはしっかりある。202がザ・クラシックラウンドだとすると、88はザ・クラシックスクエア。ただし鳩目周りのスワンネックでお判りの通り、この靴自体は木型はともかく製造は新工場。
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:内羽根式プレーントウ
ペットネーム:CARNEGIE
MODERN
#新202(1995若しくは96年)
旧202が使えなくなったのを機に、現代人の足に合わせて再設計。旧202より踵が大きくなり、ガースも大きめに取るように。登場当初は不評極まりなかったが、次第に浸透。
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:内羽根式パンチドキャップトウ
ペットネーム:BARKELEY
#606(1990年代中盤)
新202より僅かに前に登場した、事実上の新202のセミスクエアトウ版。新202より僅かに甲高だが、土踏まずのえぐれは大きい。恐らく扁平足気味の人に適合するのではないだろうか。
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:ダブルモンクストラップ
ペットネーム:WESTMINSTER
#808(1998年か99年)
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:内羽根式ストレートチップ
ペットネーム:CHURCHILL
新202の不評から形勢逆転の大きな役割を果たしたスクエアトウ。新202より若干ロングノーズとし、甲を低く抑えた。恐らく甲の低さはこれが一番。当初は上級グレードの「トップドローワー」専用。
なお、このデザインは本来ならCHELSEAと名付けられるはずのもの。だが、トップドローワー仕様でパーソナルオーダーしたため、靴箱にはその仕様の内羽根式ストレートチップの名であるCHURCHILLと記載されている、極めてレアな一足だ(本来のCHURCHILLは、ヴァンプとクウォーターとの縫合線が土踏まずに落ちず踵まで伸び切る、いわゆる「バルモラル」デザイン)。
#888(2002年)
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:モンクストラップ
ペットネーム:OUNDLE
今日ではGAZIANO & GIRLING(ガジアーノ&ガーリング)を主宰する、トニー・ガジアーノ氏在籍時代の作。チゼルトウと言われがちだが、実はオブリークトウ。ガースも#808より気持ち広めにとった、言わば#606と#808との交配バージョン。
#82(2003年)
ブランド名:EDWARD GREEN
スタイル:外羽根式プレーントウ
ペットネーム:DOWNING
同じくトニー・ガジアーノ氏が在籍していた頃の作。ある意味旧202と新202の交配をした上で、現代的なシェイプにした木型。新202より僅かにロングノーズで、ガースは細い。意外とアウトサイドカーブがキツく、新202よりやや鋭角的に見える。おそらく、ヒールも高目に設定されている。
#890(2014年)
#888をより現代的なチゼルトウに再構築した木型。#888よりもロングノーズで、つま先の側面も立たせ気味。33と比べるとかかとが小さくてきつく、アーチが縦に長く33のほうが緩急がある。
#915(2015年)
創業125周年を機にリリースした、ある意味#82と#890の交配版。エドワードグリーンの現行木型の中では最もロングノーズで、つま先も尖り気味。つま先の側面も立たせ気味。
ペットネームにも注目
成松:イギリスにまつわるペットネームが付けられているところが好きなんです。年1回は訪れるくらい、私はイギリスが好きなので、知っている都市名が出てくるところが面白い。
飯野:エドワードグリーンでは「内羽根式4兄弟」と呼ばれている、キャップトウのチェルシーとバークレー、セミブローグのカドガン、フルブローグのマルバーン。これらはロンドンのエリアになっていますね。チェルシーとバークレーはロンドンのオフィス街ともいうべき場所だし、マルバーンは美術館なんかがある、休日にいくようなエリアです。靴のデザインと合わせた意図を感じます。
典型的なのはドーバーです。イギリスとドーバー海峡を挟んでいる国は、狩猟靴としてUチップが普及したフランスですよね。
成松:ダブルモンクストラップには、「ウェストミンスター」というペットネームがつけられています。ウェストミンスターという地名は、ウェストミンスター寺院およびウェストミンスター宮殿周辺の地域を示す名称です。修道士が履いていた靴といえば、モンクストラップ。
飯野:そう、ペットネームと靴の関係性が明確なんです!ドーバーと同じく外国を感じられるモデルがカーネギー。恐らく、アメリカにあるカーネギーホールからその名前が取られていると思います。カーネギーホールを建てたアンドリュー・カーネギーはスコットランド出身です。
また、ペットネームは同じでも、発注元によって異なる木型での納品が半ば当たり前なのも大きな特徴です。例えば「チェルシー」には202の木型で作られた靴だけでなく、82も808も915もある。
日本であまり知られていませんが、特定のブランドだけが使える木型も存在します。RALPH LAUREN PURPLE LABEL(ラルフローレン・パープルレーベル)別注の89、Alan Flusser(アラン・フラッサー)別注の707辺りが代表例でしょうか。707は、808のラウンドトウになります。
成松:エドワードグリーンは別注も多く手がけていましたね。
飯野:エドワードグリーンの良いところは、「イギリス人がみたイギリス」とはまた異なった視点が織り込まれているところだと思うんです。かつては、廃業閉店後に商標をBrooks Brothers(ブルックスブラザーズ)が引き継いだPeal & Co.(ピール&コー)やPaul Stuart(ポールスチュアート)別注のStuart Choiceのようなアメリカブランド、それに我が国でもLloyd Footwear(ロイドフットウェア)のMaster LloydやAvon House(エーボンハウス)別注など。
工場売却以降は先程も出たラルフローレン・パープルレーベルやアラン・フラッサーなど。海外から見た理想のイギリスをちゃんと靴に反映しているんです。
成松:イギリス向けとなると、もう少し野暮ったくなるんでしょうね。
飯野:よりインターナショナル。あと、「ブラウン」という曖昧な表現を用いず、「チェスナット」「バーントパイン」それに「ダークオーク」など、微妙に異なる色味を的確に表現した、少なくとも日本では最初のブランドだったのではないでしょうか。
「茶色といってもそれぞれこんなにニュアンスが違うんだよ」と教えてくれたのは、間違いなく日本ではエドワードグリーンの茶系の靴たち。それに、アンティーク仕上げの先駆けもエドワードグリーンだったと思います。
成松:木型も、色味も、ペットネームもすごくロジカルに作られています。
飯野:多くの人の足に合うようフォーカスしているラストはおそらく202なんです。202よりも甲が低い木型なら808とか、もう少し今どきのファッションを求めるのであれば890や915を選ぶ。
私の場合、例えば890や915は嫌いではないけど、キャラではないので履きません。ただ、890や915が似合う人も絶対にいます。「ロブパリのシェイプは好きなんだけど、デザイン的に今のは仕事ではもう履けないよ」という方でも、エドワードグリーンだったら履くことができる。
最大のライバルは、かつての自社製品だと解っている
成松:冒頭にもお話しましたが、ロブパリはエドワードグリーンとくらべると華があります。しかし、少し鼻につくこともある。エドワードグリーンはそこをバランスよく保ち続けています。継続しているところが、エドワードグリーンの姿勢を表しているように思います。
飯野:そうですね。紳士靴に限らず多くのブランドが忘れている、いや、もっと厳しい言葉を使わせていただければ目を背けていることって、「かつての自社製品との比較」なんです。例えばトレンチコートのバーバリーとアクアスキュータムの嘗てのライバル関係のように、競合ブランドを意識することはよくある。
でもエドワードグリーンは、90年代半ばの工場移転にまつわる評価激変を教訓にしているのか、過去の自分とも勝負する姿勢をまだ、忘れていないと思います。ノスタルジーとは違う。過去を尊重しながらどう超えて行くかを考え抜いて、答えを出している。
2003年に生まれたラスト82からはそんな彼らの姿勢が、特によく伝わってきます。また、今回はドレスシューズの木型に絞ってお話ししましたが、昨年・2018年にカントリー系向けにラスト72と言う新たな木型を加えたのも、過去を尊重しつつも時代を見抜いた姿勢の典型だと思います。
この木型は、同社の古くからあるカントリー系木型であるラスト58をベースに、前述したラスト82の要素を交配したような印象。装いのカジュアル化・ボーダーレス化の進展に、イギリスにある靴メーカーである彼らだからこそ有する普遍美を再構築することで臨んだ意欲作です。
ーおわりー