1955 メルセデス・ベンツ300SLR
行きつけのミニカー屋さんからのメルマガを読んで「買わなきゃ!」と思っていたのに、予約するのをすっかり忘れてしまっていて、再入荷の案内メールを見て急いで購入したものです。 レースアクシデントとしては史上最大と言われている1955年ル・マンの、事故を起こした当事“車”そのものなので、ル・マン好きとしては「買うしかない!」というマシンです。 前年にデビューしたF1用のW196をベースにスポーツカーに仕立てたマシンで、W196より483cc増やした2,979cc直列8気筒エンジンを搭載しています。 オープンボディとクーペボディがありましたが、視界の良いオープンボディの方が好評だったようで、このル・マンにもオープンボディが3台エントリーしていました。 レースは、前年に最高速度を記録した最新鋭のDタイプを投入するジャガー勢とメルセデス勢の争いになりましたが、レース序盤、ジャガーのマイク・ホーソーンがメインスタンドで周回遅れのオースティン・ヒーレーを左側から抜いた直後に、減速して右側にあるピットに向かったため、オースティンが驚いて左へ進路を変えたところ、後ろから来ていたピエール・ルヴェーが乗るこのマシンが、オースティンに追突してしまいます。 ただ追突するだけならまだよかったのですが、オースティンと速度差のあったこのマシンは、オースティンのリアセクションをカタパルト代わりにして“離陸”してしまい、そのまま観客席に飛び込んでしまいます。 マシンは凄まじい勢いで観客席に飛び込んだあと爆発炎上し、エンジンやボディカウルなど多数の大きな部品が飛び散った影響で、ドライバーのルヴェーを含む83名が死亡、100名以上が負傷する大惨事となってしまいました。 ドライバーのルヴェーは、1952年のル・マンで23時間近くを一人で走り、優勝目前で疲労のためにシフトミスを犯してリタイアを喫したことで有名でした。 そして、その走りがメルセデスの監督だったアルフレート・ノイバウアーの目に留まり、その時ノイバウアーがルヴェーに言った「メルセデスが次にル・マンに出る時は、君に乗ってもらおう」という約束が果たされたのが、この1955年のル・マンでした。 モデルは、シルバーアローの名に相応しいキレイなシルバーが塗られてあり、減速時にガバッと開く特徴的なエアブレーキも別体感のある仕上がりで、チェック柄のシートも良い出来です。 ただ一点、面白いエラーだったのが、フロントノーズに輝くエンブレム「スリーポインテッド・スター」です。 モデルではメッキ調のキレイなシールで再現してあったこのエンブレムは、実車の写真を見ると、19号車と21号車には当然のようにフロントノーズに付いていますが、実は20号車には付いていないのです。 購入したミニカー屋さんに電話してみると、在庫全てに付いているとのことで、生産時のエラーであることがわかったので、自分で剥がしました。 色々と“いわく付き”のマシンですが、実車が持つ緻密な感じと流麗なスタイルをきちんと再現してある、非常にカッコいい一台です。 Koshichi note https://note.com/koshichi #コレクションログ