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- クリエイション『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』
クリエイション『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』
【2024年2月17日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
2月は「日本のロックの夜明け」をテーマにお送りしています。今回はクリエイションのアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』です。
「スピニング・トー・ホールド」でプロレス・ファンにもおなじみのクリエイション。日本のブルース・ロック・バンドの草分けは、ギタリスト竹田和夫によって結成されました。1952年3月11日東京生まれの竹田和夫は、ベンチャーズによるエレキブームのさなか、13才からギターを始めました。16歳になると腕を見込まれ、高校生ながら「ザ・ビッキーズ」というバンドでプロ・デビュー。ゴーゴーホールや米軍キャンプなどのステージをこなしました。
ビッキーズ解散後の1969年1月1日、新バンド「ブルース・クリエイション」を結成、初のライヴは青森だったそうです。ブルースが主体だけに“踊れないバンド”と言われながらも頭角を現し、その年の秋にはポリドール・レコードからアルバム『ブルース・クリエイション』をリリースしました。
メンバー・チェンジを経て、71年の2ndアルバム『悪魔と11人の子供達』ではハードロック寄りになっていきます。そして、カルメン・マキとの共演アルバム『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』を発表。竹田は72年にバンドを解散すると3ピース・バンド「ブラッディ・サーカス」を結成しますが、その後イギリスに渡って、武者修行に励みます。
帰国後に新バンド、クリエイションを結成。73年にマウンテンの来日公演でオープニングを務め、フェリックス・パパラルディに出会います。結成から3年後の75年、内田裕也のプロデュースで1stアルバム『クリエイション』をリリース。その翌年にはフェリックス・パパラルディのプロデュースでアメリカ・レコーディングを実施、そのアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』を携え、一緒に全米ツアーを行います。
海外でも評価を受けた彼らは、この年、単独日本人アーティストとして初の日本武道館公演を実施。その後行われた全米ツアーでは、キッスやイエスといった大物たちとも共演しました。77年には3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』をリリース、プロレス好きの竹田は、ドリー・ファンク・ジュニアの得意技をテーマに「スピニング・トー・ホールド」を作曲、これが後にザ・ファンクスの入場曲になりました。
81年にはアイ高野をヴォーカルに迎えたシングル、「ロンリー・ハート」が大ヒット。しかし84年にクリエイションは一旦解散、ボーイズ・オン・ロックスなど新バンドで活動しますが97年からは拠点をアメリカに移し、地元ロサンジェルスのライブハウスなどに出演していました。その後2001年にはジャパン・ツアーも再開、2005年からはクリエイションも再始動しています。
クリエイションのアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』
SIDE A
「SHE'S GOT ME」(シーズ・ゴット・ミー)
「DREAMS I DREAM OF YOU」(ドリームス・アイ・ドリーム・オブ・ユー)
「GREEN ROCKY ROAD」(グリーン・ロッキー・ロード)
「PREACHERS' DAUGHTER」(プリ―チャーズ・ドーター)
「LISTEN TO THE MUSIC」(リッスン・トゥー・ザ・ミュージック)
SIDE B
「SECRET POWER」(シークレット・パワー)
「SUMMER DAYS」(サマー・デイズ)
「DARK EYED LADY OF THE NIGHT」(ダーク・アイド・レディー・オブ・ザ・ナイト)
「BALLAD OF A SAD CAFE」(バラッド・オブ・ア・サッド・カフェ)
クリエイションのアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』いかがでしょうか?
ちなみにクリエイションは、70年代日本語ロックの波には乗らず、英語で歌い、海外公演を成功させた数少ないバンドと言えるでしょう。
https://eliotnescafe.wixsite.com/creation-web
竹田和夫(クリエイション) オフィシャル・サイト