ゲイリー・ムーア『バック・オン・ザ・ストリーツ』

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【2025年1月11日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
今年は巳年ということで、復活と再生の象徴、蛇にちなんで1月は「ヘヴィなロック」をお届けします。今回は、“泣きのギター”でおなじみ、ゲイリー・ムーア初のソロ・アルバム1978年にリリースされた『バック・オン・ザ・ストリーツ』です。

ギターの演奏で、チョーキングやヴィブラートといった叙情味あふれるプレイが“泣きのギター”。サンタナやエリック・クラプトンを思い出していただけると想像しやすいかも知れません。その第一人者と言われるゲイリー・ムーア、出生名ロバート・ウィリアム・ゲイリー・ムーアは1952年4月4日北アイルランドに生まれました。

父親が地元のプロモーターという音楽的に恵まれた環境で育ち、小学生から早くもギターを手にしていたそうです。エルヴィス・プレスリーやビートルズからロックに目覚め、ジョン・メイオールやジミ・ヘンドリクスのライヴを見てブルースの沼にもハマっていきます。

早速バンドを組んでクラブで演奏し始めると評判となり、ダブリンのブルース・ロック・バンド、スキッド・ロウにスカウトされてキャリアをスタート。フリートウッド・マックのダブリン公演でオープニングをつとめると、憧れのピーター・グリーンに認められ、CBSと契約をしてイギリス進出を果たします。

70年のデビュー・アルバム『スキッド』以降、スキッド・ロウではアルバム3枚を残し71年脱退。その後はイギリスでソロ活動を始めますが成功には至らず、一時シン・リジィに参加。75年にジャズ・ロック・バンドのコロシアムⅡを結成して、アルバム3枚リリース後に脱退。77年から再びシン・リジィと合流して正式メンバーとなります。

バンドと並行して78年にソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』をリリース。シン・リジィのフィル・ライノットをヴォーカルに迎えたシングル「パリの散歩道」が全英8位と初のヒット曲となりました。79年にはシン・リジィを脱退して、82年にヴァージンへ移ってソロ活動を再開。

2作目のソロ・アルバム『大いなる野望』は日本でもヒットして、83年に初来日を果たします。しかし90年のアルバム『スティル・ゴット・ザ・ブルース』で原点回帰すると、世界中で思わぬ大ヒットとなり、ハード・ロックからブルース路線に転向。90年代は、元クリームのジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーとBBMとして活動したり、ドラムンベースをとり入れてみたり、様々な音楽スタイルにチャレンジしています。

2001年には『バック・トゥ・ザ・ブルース』をリリースして、再びブルースへ回帰。前回から21年ぶりの2010年にジャパン・ツアーを行いますが、これが最後の来日となり、2021年2月6日、休暇で訪れていたスペインで星となってしまいました。

ゲイリー・ムーアのアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』
SIDE A
「バック・オン・ザ・ストリーツ」
「ドント・ビリーヴ・ア・ワード」
「狂信的なファシスト」
「スノウ・ムースの飛行」

SIDE B
「ハリケーン」
「ドナの歌」
「皮肉な奴になりたいのか」
「パリの散歩道」

ゲイリー・ムーアのアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』いかがでしょうか?
ちなみに、羽生結弦選手がソチ五輪のショートで史上初の100点超えを達成した時の曲はゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」でした。

https://www.gary-moore.com/index.html
★ゲイリー・ムーア オフィシャル

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