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- RCサクセション『シングル・マン』
RCサクセション『シングル・マン』
【2024年2月3日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
2月は「日本のロックの夜明け」をテーマにお送りします。その初回は忌野清志郎率いるRCサクセションの『シングル・マン』です。
キング・オブ・ロック忌野清志郎こと栗原清志は、1951年4月2日東京生まれ。幼なじみの同級生“リンコ・ワッショ”こと小林和生(かずお)と中学でバンドを組んだのが始まりで、そこに転校生の“破廉ケンチ”こと桶田賢一を加えてザ・クローバーとなりました。3人はピーター、ポール&マリーのコピーをしていましたが、高校進学を機に自然消滅。
1968年、クローバーの継承という意味で「サクセション」をつけ、リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセションの頭文字からRCサクセションとなりました。69年、オーディションを受けTV出演すると、たちまち人気となり、コンテストでも入賞。ライヴを見た芸能プロダクションの社長にスカウトされ、1970年高校卒業と同時に、シングル「宝くじは買わない」でデビューしました。
72年、高校時代の恩師を歌った3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒットして、漸く陽の目を見ます。しかし時代はニューミュージックへと移ろい、RCの音楽は人々の耳へと届かなくなっていきました。挙句の果てに事務所とのトラブルから仕事を干され、3drアルバム『シングル・マン』もお蔵入りとなってしまいます。独立後の76年、ようやくリリースにこぎつけますがすぐに廃盤となり、暗黒時代へ突入。
清志郎はギターをエレキに持ち替え悪戦苦闘するもバンドは迷走、77年には破廉ケンチが脱退。しかし古井戸の仲井戸麗市、ドラマーの新井田耕造が加入するとバンドは再び動き出します。R&B色の強いロックバンド・スタイルで、80年に「雨上がりの夜空に」がリリースされ、その勢いに乗ってライヴ・アルバム『RHAPSODY』を発表すると、RCサクセションは一気にブレイク。
82年には坂本龍一と忌野清志郎のデュエット「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒット。バンドも飛ぶ鳥を落とす勢いとなり、83年には初の海外レコーディング作『OK』をリリースしますが、次第に事務所との軋轢が生まれ、84年の『FEEL SO BAD』をもって独立。88年、洋楽ヒットに日本語詞を載せたアルバム『カバーズ』を巡っては、所属レーベルと対立。突然の発売中止を宣告され、予定より9日遅れで古巣のキティー・レコードからリリースしました。
皮肉なことに『カバーズ』はアルバム・チャートで初の1位を獲得、同時に清志郎とよく似たZERRYなる人物が、ザ・タイマーズを結成して過激なライヴを繰り広げます。RCサクセションは90年にアルバム『Baby a Go Go』をリリースした後、無期限活動休止。翌年から清志郎はソロ活動に入り、Booker.T & MG'sとのアルバム『Memphis』や様々なユニットでの活動を続けましたが、2006年に癌であることを発表。一時は回復したものの、2009年5月2日、58歳の若さで星になってしまいました。
RCサクセションのアルバム『シングル・マン』
SIDE A
「ファンからの贈りもの」
「大きな春子ちゃん」
「やさしさ」
「ぼくはぼくの為に」
「レコーディング・マン」
「夜の散歩をしないかね」
SIDE B
「ヒッピーに捧ぐ」
「うわの空」
「冷たくした訳は」
「甲州街道はもう秋なのさ」
「スローバラード」
RCサクセションのアルバム『シングル・マン』いかがでしょうか?
ちなみに、このアルバムは、一時お蔵入りとなったものの76年に漸く発売にこぎつけ、廃盤になった後も有志によって再発実行委員会が結成され、再び世に出ることが出来たそうです。
https://www.kiyoshiro.co.jp/
忌野清志郎 オフィシャル・サイト「地味変」