サンタナ『天の守護神』

0

【2024年6月15日ON AIR】

アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
6月はロックのゴールデン・エイジ、1970年代洋楽ロックをピック・アップしています。1950年代に誕生したロックは70年代に入ると巨大産業として発展、黄金時代を迎えます。今回は、顔でギターを弾く魂のギタリスト、サンタナのアルバム『天の守護神』です。

60年代末に登場し、ラテン・ロックという新ジャンルを確立したサンタナ。その中心人物、カルロス・サンタナは1947年7月20日メキシコで生まれました。マリアッチのヴァイオリニストだった父の影響で幼い頃からヴァイオリンやギターを始め、ロックンロール・レジェンドのリッチー・ヴァレンスに影響を受けました。

その後一家はサンフランシスコに移り住み、カルロスはストリート・ミュージシャンとして活動を始めます。高校卒業後はアルバイトをしながら本格的にギターテクニックを学び、やがてプロの道へ。1966年、それまで観客として通っていた名門ライヴハウス「フィルモア・ウェスト」で演奏する機会に恵まれると俄然注目を集めます。

早速ミュージシャン仲間とサンタナ・ブルース・バンドを結成して活動を始めると、デビュー前にしてメイン・アクトを張るまでの人気バンドとなりました。69年にはコロムビア・レコードと契約、バンド名はサンタナに改めました。ウッドストック・フェスティバルで衝撃のデビューをはたし、1stアルバム『サンタナ』が全米4位、70年のアルバム『天の守護神』は全米1位となり、71年の『サンタナIII』でも全米1位を獲得。パーカッションをフィーチャーした音楽性が、ラテン・ロックと呼ばれるようになりました。

4作目『キャラバンサライ』以降は精神世界に傾倒するようになり、音もフュージョン系に変化。73年の初来日公演は、3枚組のライヴ・アルバム『ロータスの伝説』としてリリースされました。また76年のアルバム『アミーゴ!』からは「哀愁のヨーロッパ」が日本で大ヒット。87年のソロ・アルバム『サルバドールにブルースを』から、タイトル曲で初のグラミー賞を受賞。しかし、その後はヒットからは遠ざかり過去の人となってしまいました。

そんなカルロスを救ったのが、かつての盟友クライヴ・デイヴィスでした。1999年クライヴのレーベル、アリスタからリリースしたアルバム『スーパーナチュラル』では、エリック・クラプトンからローリン・ヒルまで、様々なアーティストとコラボ。特にマッチボックス・トゥウェンティのロブ・トーマスをフィーチャーしたシングル「スムーズ」が12週連続全米1位に居座り、続く「マリア・マリア」も10週連続1位を記録。アルバムはグラミー賞9部門に輝き、キャリア史上最高のセールスを記録しました。

50年を超えるキャリアを持つレジェンドとして、23年にはドキュメンタリー映画が公開され、サンタナは、今なおツアーを続けるギターの鉄人です。

サンタナのアルバム『天の守護神』
SIDE A
「風は歌い、野獣は叫ぶ」
「ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クイーン」
「ぼくのリズムを聞いとくれ」
「ネシャブールのできごと」

SIDE B
「すべては終りぬ」
「マザーズ・ドーター」
「君に捧げるサンバ」
「ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター」
「エル・ニコヤ」

サンタナのアルバム『天の守護神』いかがでしょうか?
ちなみに、サンタナには、後にジャーニーを結成するギタリストのニール・ショーンと、キーボーディストのグレッグ・ローリーが一緒に在籍した期間がありました。

https://www.santana.com/
サンタナ オフィシャルサイト

Default
  • File

    kyusha_fan

    9 days ago - 編集済み

    私が中学生の時に「哀愁のヨーロッパ」が日本でもヒットして、このシングルを買いに近くのレコード屋に行ったのをよく覚えてます。その時のレコードは今も持ってます。この頃にハマってよく聴いてたのが、カーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」やポール・モーリアの「オリーブの首飾り」、アメリカの「金色の髪の少女」などですかね。そう言えばこの頃の曲には曲に邦題が付けられてましたね。懐かしい。

    返信する
    • File

      澁谷彰一

      9 days ago

      当時はジャンルが細分化していなくて、プログレからブラックミュージックまで何でも楽しめたいい時代でした。

      返信する