ウィリアム・モリス

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2023年、岡山県立美術館。
 植物や動物をモチーフにした壁紙のデザインが日本でも有名だが、今展では彼の過ごした街や建造物そしてその歴史的背景についてスポットが当てられていた。モリスといえばラファエル前派との関わりを避ける訳にはいかず、その観点から今まで彼の作品に接してきたが、今回は彼の立場で初めて全体像を俯瞰することができた為、新たな発見や気付きを得ました。
 幼少期に過ごしたウォルサムストウや新婚時代には過ごしたベックスリーヒース、ケルムスコットなどは自然の美しさが溢れる町。そしてラファエル前派との縁が深いオックスフォードでのバーン・ジョーンズやD.G.ロセッティとの出会いと1857年のオックスフォード・ユニオンの壁画装飾は、初期のラファエル前派による甘美な理想主義が実現した大きな転機となった。当時のオックスフォードはまだ中世の外観を残しており、彼らをはじめ若い芸術家たちは自らの宗教的芸術的理想を託していたと言われる。
 1859年にはケント州ベックスリーヒースに通称「レッドハウス」と呼ばれる新居を建築し、そこにはモリスのデザインが細部に至るまで反映され、これが後の「モリス・マーシャル・フォークナー商会」の原点となり、アーツアンドクラフト運動へと繋がることとなる。
 そして1871年にはロセッティとモリス、そして妻のジェーンの3人が共同で借りたオックスフォードシャーにあるテムズ河沿いの開静な16世紀の大地主の屋敷ケルムスコット・マナーでの生活が始まる。この時には既にロセッティとモリスの妻ジェーン・バーデンとは許されざる関係にあり、モリスがアイスランドに出掛けていた2ヶ月の間は2人だけで過ごす事となり、この時期にロセッティの名作の一つ「パンドラ」が描かれたのは有名な話である。過去に何度か投稿したが、ロセッティの妻リジーは1862年に亡くなっているが、ロセッティとジェーンとの出会いはリジーと出会った直後であったと言われている。
 紆余曲折を経てロセッティがケルムスコットを去り、モリス・マーシャル・フォークナー商会を解散してモリス商会を設立すると、タペストリーやインディゴ抜染技法を完成させて織物残す製作に集中する。
 1888年になると理想的な書物の製作に没頭し、印刷工房のケルムスコット・プレスを設立。アルファベットの書体や紙、インクに至るまで徹底的に理想を追求した。過去のラファエル前派の展覧会においても何点か見ることができたが、「ケルムスコット・プレス設立趣意書」をはじめ多くの現物を目の当たりにできて、その豪華さと華麗な様式美には驚くばかりだった。
 デザイナーとしてのウィリアム・モリスだけでなく実業家としての側面や、ラファエル前派(特にロセッティ)との関連を改めて整理して見ることができて、実に勉強になった展覧会だった。

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