自然の中に唐突に置かれた1枚のフェンスを捉えた写真。作者はカンボジア生まれプノンペン育ちのアーティスト、リム・ソクチャンリナ(Lim Sokchanlina)さん。シンガポール・ビエンナーレをはじめ様々な展覧会からオファーを受ける彼は現代アートシーンにおいて今最も注目を浴びる若手アーティストの1人と言えるだろう。
彼の作品の特徴を一言で表すと“シンプルで力強いメッセージ性”だ。カンボジアに焦点を当て、経済問題や環境問題に“アート”という形で切り込んでいく。彼の代表作のひとつである「Wrapped Future」シリーズや、最新の作品「Letter to the Sea」は一体何を提示しているのだろう。インタビュアーはアート・コレクターの宮津大輔さん。リム・ソクチャンリナさんが持つ思想世界に迫っていきたい。
アート・コレクター宮津大輔さんより
「Wrapped Future II(包まれた未来 II)」シリーズは、メコン川や蓮池、荒涼たる大地に立てられたフェンスを撮影した、「カンボジアの肖像写真」ともいうべき作品です。内戦や政変、そしてクメール・ルージュ(ポル・ポト派)による惨禍の傷跡が未だに生々しい同国では、ここ数年、中国を中心とする外国からの経済援助により、あちこちで大規模開発が行われています。工事現場を囲むフェンスは過去と未来を隔てる境界であり、失望や怒りを隠し、ひとときそれを希望へと錯覚させるカーテンの役目を担っているといえるでしょう。リム・ソクチャンリナは、発展著しい同国に潜む大国のエゴがもたらす経済優先社会の未来を鋭く炙り出しているのです。
フェンスは現在と未来の境界線
宮津大輔(以下、宮津):今回nca | nichido contemporary artで発表された「Wrapped Future Ⅱ」シリーズについて教えてください。また、リムさんは作品のテーマとしてカンボジアの経済や環境問題を扱うことが多いと思うのですが、今回もやはり関わりはあるのでしょうか?それに絡めて、現在大きな経済発展中のカンボジアについてのお話も聞かせて下さい。
リム・ソクチャンリナ(以下、リム):カンボジアは2004年のWTO加盟以降、急激に好景気になりました。僕の両親も含めて多くの人が土地を購入しました。とにかくすごく景気の良い時代だったんです。でも2008 - 09年に起きたアジア金融危機のあとそのバブルは弾けました。当時のその状況は僕の中にとても大きな影を落とすことになりました。
特にビルを建設する時に建築物を覆うフェンスが、建設がストップしたことによってずっとブロックされたままになっている。その様子が非常に印象的だったんですね。僕はカンボジアの首都であるプノンペンに住んでいるので、その状況をじっくりと見ていたわけです。フェンスで溢れた町の状況や、時が止まったかのようなフェンスで囲われた内側の様子を、それこそフェンスを象徴にして表現しているのが「Wrapped Future」シリーズの1作目です。
Phnom Penh. Cambodia. 2009: Russian Confederation Boulevard, between Street 225 and Street 221
Phnom Penh. Cambodia. 2011: Independence Monument
リム:逆に2作目では、プノンペンではなく自然の中に自らフェンスを持ち込んで写真をとっています。カラフルなフェンスが経済発展によりプノンペンの中に持ち込まれたことで、街の景色が一変した様子が面白かったことと、フェンスによって一瞬で風景が変わるという瞬間を、システマティックにストレートに写真におさめてみたいという気持ちからこのシリーズは始まりました。
シリーズ1作目では開発が進み土地の価格が上がっていく都市が舞台だったのですが、2作目は未来に開発される場所へとフェンスが旅をしに行く。そんなストーリーを考えていました。
Lotus field, Wrapped Future II series,, Prey Veng Province, 2017
Areng Valley, Wrapped Future II series, Koh Kong Province,2018
宮津:リムさんにとってフェンスとは何を象徴としているのでしょう?
リム:一言で表すと“境界線”です。分割するもの、領域を分けるもの。例えば政治の中心地と言われるプノンペンに配置されているフェンスの囲いの中にフォーカスするとしましょう。以前ここには一体何があったのか、そして何が起こっていたのか。そしてこれからこの場所に何が作られて行くのか。
プノンペンという場所はクメール・ルージュによって、ありとあらゆるものが破壊されてしまった土地なんです。しかし、時代が進むうちにポジティブな意味で大きな変貌を遂げてきたのです。近い未来、フェンスの中に何ができるかはわからないけれど、過去へと遡り学び考えるという、想いを持ってフェンスにフォーカスしています。
「Wrapped Future」シリーズの1作目を作っているときたくさんのヨーロッパやアメリカのキュレーターと話をしましたが、「仮設のものと場所の関係という点ではクリスト(Christo)を想起させるし、その場所ならではのものを置くという点ではリチャード・セラ(Richard Serra)を想起させるね」と多くの人に言われました。フェンスはフィジカルな物体です。僕がフェンスを置いた時だけ、特別な風景になり、僕がそれらを撤去したらいつもの風景にもどります。
宮津:なるほど。「Wrapped Future」というタイトルは“包まれた未来”ですよね。これはどういう意図でタイトルをつけたのでしょうか?
リム:「Wrapped Future」とは、そのままでの意味で“包まれた未来”のことなんです。つまりは“現在”を象徴しているんですけど、僕たちは現在を知るためにはまず過去を知らないといけないし、過去を知るためにも今の状況を知らないといけない。なのでこの“包まれた未来”は現在のこととはいえ、未来も過去も含まれているんです。そういう意味でこのタイトルをつけました。
宮津:そうだったんですね。リムさんの作品は同じモチーフのものを写真と映像を使用して表現しています。これにはどういう意図があるのでしょう。その狙いを教えてもらえますか?
リム:写真は瞬間を捉えるものだと思っています。一方で映像はもうちょっとモーションが入るというか。気持ちや動き、ストーリーやバックグラウンドを見せることができるんです。例えば、自然の音が聞こえてきたり、フェンスの後ろの背景が変わったりするので写真とは表現方法も変わりますよね。写真は一瞬の光をずっと待ち続け撮影し、沢山撮ったものの中からベストな1枚を僕が選びます。一方で、僕らの気持ちは自然と同様で、常に止まることなく動き続けています。そういうニュアンスを作品に入れ込みたいときには、映像の方がより伝わりやすいのではないかと思います。
宮津:ありがとうございます。少し話はそれるのですが、なぜ経済学を専攻していたのにアーティストの道を選んだのですか?
リム:僕の叔父はアーティストなので、もともとアートに興味を持っていました。アートに取り組む大きなきっかけを作ってくれたのは、叔父の友人であり、フランス人写真家のステファン・ジャナン(Stephan Janin)との出会いですね。彼と出会ったことで、写真に興味を持ちました。大学在学中に、1年間彼と同じ写真を学ぶための学校へ通うことを決めたのです。そして学校を卒業する時には、同じクラスのアーティストと共同で企画を考えたりプロジェクトを組みはじめました。それが僕にはしっくりきたんですね。
宮津:経済の道を捨てて、アーティストになることに対する周りの反応は?
リム:家族はもちろん、僕の周りの人たちも「アーティストになる!」という僕の選択に対してはじめは反対していましたよ。カンボジアでの所謂ステータスというと、僕が大学を卒業した当時は学校の先生でしたから。アーティストなんてもってのほかというか。
どうやら、今のカンボジアでのステータスというと、銀行員のことのようですけれど。とにかく、誰に反対されても、自分でプロジェクトを立ち上げてやるしかなかったんです。そうやってちょっとずつ周りを納得させてきたのです。自分でも未だに心配ではあるのですが(笑)。しかしながら、創り続けるしかないんです。
カンボジア、その歴史とモニュメントの関係性
宮津:カンボジアは政治に翻弄されてきた歴史を有する国ですよね。フランスの植民地となり、その後は親米のロン・ノル政権と、反米のシアヌーク政権とポル=ポトらの左派が指導するクメール・ルージュが内戦を起こしています。その中で様々なモニュメントや、歴史的背景を含む建築物が生まれてきたと思います。例えば独立記念塔も、その一つですが。リムさんは、ご自身のフェンスと闘争の歴史的背景を持つ建築物の関係についてどう考えられていますか?
リム:モニュメントは歴史を考える上で非常に重要な存在だと思っています。独立記念塔はカンボジアがフランスの植民地時代から解放された、つまり僕たちカンボジア人がカンボジア人になった事の象徴なんです。また、カンボジアにはポル・ポト政権の時代に隣国のベトナムと戦った歴史があります。
しかし、その後時間が経つにつれベトナムとの友好関係も復活しました。これを記念して建てられたモニュメントも、実は様々な所に数多く存在しています。ですから、そうしたモニュメントはカンボジアの歴史を知る上でとても重要なものです。僕の作品は一時的なモニュメントだとよく言われます。「展示期間が終了すれば元の景色に戻る、そんなモニュメント」であると。
最新作「Letter to the Sea」が示すもの
宮津:最後に、現在シンガポールビエンナーレに出展している「Letter to the Sea」について聞かせてください。
リム:そもそものきっかけは僕がやっている“アジアにおけるカンボジア人移民労働者のリサーチ”に対して、嬉しいことにシンガポール・ビエンナーレ側からオファーがあったことです。カンボジア移民は日本はもちろん、中国やタイ、マレーシアそしてシンガポール、韓国など世界中で暮らしています。今回の作品では、タイで漁師として働くカンボジア人移民労働者たちにフォーカスしています。
宮津:なるほど。どういった内容なのでしょうか。
リム:僕自身が“海の底で手紙を読む”というパフォーマンスを記録したビデオ作品です。実際にこのパフォーマンスを行ったのは、タイとカンボジアの領海の境界付近。領海は国境と違って明確に目で見ることはできないでしょう?どこからがカンボジアでどこからがタイの領海であるかがわからない、そんなバックグラウンドのある場所で、漁師として奴隷のように働かされてきた、今は亡きカンボジア人移民の人々に向けた手紙を、クメール語で朗読するというパフォーマンスを行いました。
カンボジア人移民の中には、もちろんきちんとした労働環境下で働いている人もいます。しかし、中には不法労働により奴隷のように働かされた末に命を落とす人たちも少なくありません。そのような人たちに、私がしたためた手紙が届くよう、海の底でダイビング用のボンベから空気を吸いながら詩を朗読しています。詩の中に「ボン」という言葉が使われていますが、これはカンボジア語で敬意を持って相手を呼ぶときに使う敬称です。「親愛なる兄弟よ」というような感じですね。
—おわり—
終わりに
カンボジアでは1991年にパリ和平協定が結ばれ、93年に初の総選挙が行われた。これがカンボジアの近代の始まりだとリムさんは言った。この総選挙が行われる1か月前に、一人の日本人青年がゲリラに襲われて死亡している。国連選挙監視ボランティアとして参加していた中田厚仁(なかた あつひと) さんだ。武力衝突が続く村にも足を運び、民主主義の大切さを訴えていたが、彼が担当していた地域は最も危険な地域だといわれており、25歳の若さで亡くなってしまった。私と同い年の中田さんは、生きていれば今年で52歳になる。車で移動中に彼が射殺された場所は、人家もない原野だったが、カンボジアの各地から人が集まり、人口約千人の村ができた。正式名ナカタアツヒト村、通称アツ村である。そこには同じく彼の名を冠した学校もある。
中田さんが命を懸けて根付かせようとしたカンボジアの民主主義がいま危機にある。
かつてポル・ポト政権崩壊に尽力し、平和の父と呼ばれ、カンボジアの民主化を託された若きリーダーだったフン・セン首相が、30年以上にわたる長期政権を経て最近は強権的な姿勢を強めてきている。2018年に行われた選挙では与党カンボジア人民党が上下院の全議席を独占し、事実上の一党独裁となっている。選挙の前年に最大野党のカンボジア救国党が解党させられ、与党に対抗できる政治勢力が実質的になくなった結果である。昨年には救国党の支持者ら70人以上が「クーデターを企てた」という容疑で相次いで逮捕されている。
この強権的な政権運営を可能にしているのが、インタビューの冒頭で宮津さんも仰っている「現在大きな経済発展中のカンボジア」という状況だ。リムさんも述べている通り、確かにアジアの金融危機で一時は落ち込んだものの、実質GDP成長率は2010年以降に急回復を遂げ、6~7%の成長が続いている。それを支えているのが、中国による大規模なインフラ整備など巨額の経済協力であることは周知の事実である。カンボジアは「一帯一路」戦略上の重要な物流拠点に位置する。人権問題を重要視するEUが「民主化の歩みに逆行している」として経済制裁をちらつかせても、フン・セン首相が強気でいられるのには、このような背景もあるようだ。
「Wrapped Future」シリーズのフェンスはリムさんが仰る通りまさに象徴的だ。視界が遮られ向こうの様子を見ることができない。フランスの哲学者・美術史家ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(Georges DIDI-HUBERMAN, 1953-)は、ヴァザーリ以来の閉鎖的な美術史概念に、「見えざるもの」という観点を導入し、見えざるもの、語り得ないものを「読む」という新しい美術の見方を提唱している。果たして読者の皆さんは、フェンスの向こうに何を読まれるだろうか。