1932
デビュー独奏會決定!音楽世界 1932年4月号より 音樂世界 1932(昭和7)年 第四巻第號(4月號) | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/nine_o_nine/items/47?theme_id=39653 nine_o_nine 4/9 青年会館での處女獨奏會を会場で観た来日中のルネ・シュメー女史のリクエストで後日対面が実現した。 4/14 帝国ホテルにて、その貴重な2ショット写真そしてインタビュー中のコメント抜粋⬇︎(レコード 1932年5月号) 「根自子さんは實に立派なテクニツクを持つて居り、大人でも出來ぬ位に見事に演奏します。子供の事ですからその上に「熱」を要求する事は無理かも知れませんが、そんな事を云って失望させないで、今後もどうか盛んに勉強していたゞきたいと思います。」 『提琴の女王が天才少女 諏訪根自子さんに世界的の折り紙をつけお褒めのキッス』(時事評論集'32年4月号) それではその處女獨奏會=リサイタルは一体どの様なものだったのでしょう?評論家さんの反応はどうだったのだろう? ここに「月刊楽譜」誌5月號(第21巻 第5號)に掲載された野村光一氏のレビューがあります。 "素晴らしい技術の完璧性に驚嘆" そして興味深かったのは… "時に音楽的感銘を覺えるところすくなくなくつめたささへ感じる事がある。 しかしそれには當然の理由がある。 第一、かの女は現在十二歳にしかない。花ならばつぼみである 情操は心の底深く潜在しているに過ぎぬ" 卓越した技巧と未成熟な感情表現のギャップ。逆に、これこそが翌年からリリースされる日本コロムビアへの録音で聞く事が出来る音の魅力の一であるのではないか?と感じた次第である。 「天才少女ヴァイリニスト諏訪根自子さんの處女放送」 ラヂオ年鑑 昭和8年版 1933(昭和8)年 6月發行 | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/nine_o_nine/items/65?theme_id=39653 nine_o_nine 初リサイタルの余勢をかって、翌5月の18日にNHKでこれまた初のラヂオ放送がありました。(詳細は⬆︎「ラヂオ年鑑 昭和8年版」にて。) この一週間程前の5月12日には 東京朝日新聞⬇︎上で告知されました。 同年末に掲載された東京朝日新聞社撮影の一枚⬇︎は「天才と天才」と題された原智恵子さんと。五年後、原さんは日本人初出場となったショパン国際コンクールで聴衆特別賞を受賞。根自子さんとはパリ万博の夜会を始め戦後まで幾度もご共演されパリ滞在中は互いの居所を行き合う仲であられたそう。