Demos 1949(昭和24)年 第7巻 第5號

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朝日新聞文化事業團 刊。

作曲家 深井史郎さんによる「黑衣こそふさわし」と題された大変深い諏訪根自子論が掲載されております。

当然、実際に音に触れたわけではないから想像・妄想の域で抱いていたに過ぎないイメージでありますも共感すること(僭越ながら…)多く、克明な演奏會描写、興味深い伴奏者(J・ローゼンシュトック〜M・グルリット氏)顛末、含蓄深い洞察と評論そこには同時期少し前に別雑誌に掲載された手記に関しても言及されており、これも自分も抱いた=その余りのご達筆・表現力豊かなエッセイスト然とした筆に感嘆した恐らく『婦人公論』誌'46年5月號⬇︎ 掲載の「水を想ふ」のことと推測しますが、ストレートにゴーストライターの存在を指摘されておられたり・・・

https://muuseo.com/nine_o_nine/items/39?theme_id=39653

主題であります"黒を纏われた根自子さん"その音・佇まいに触れられ、戦前、根自子さんがまだ少女の頃に恐らく東京音楽学校(*現 東京藝術大学)の控え室で初めて直に演奏を目の当たりにされてから〜そして浦賀港でのご帰国時の描写=これは『アサヒグラフ』誌⬇︎ '46年1月5日号に写真と共に短いインタビューもありましたが、この二ュース映像(ニューズ・リール表記)が存在するのでしょうか?そんな記述も見られ大変興味深く有りますもそれはさておき、そのお姿から翌年の帰朝第一回演奏會の克明な描写と作曲家さんならではの解説、受けられた印象が綴られております・・・

https://muuseo.com/nine_o_nine/items/132?theme_id=39653

その技巧とは裏腹に色んな批評・解説で時折指摘されているのを見掛ける冷たい演奏であるという記述="熱"=

"感受性の不足"

に対しては

"否、実際には感受性に敏感な人たちのみが獲得する一種の精神的抗體=彼女の表情に漂う一抹の暗さはこの要素を根源としている。"と前後の文脈と共にたいへん印象深い言葉で顕されており、一般の評論家さん方の論評とは一線を画している。

"そして彼女はもはや往年の少女ではない。かつてファウストはメフィストの毒杯をあおって、異なった世界を見る事ができた。私は現在の彼女が住む汚れのない花園を愛す。しかしこの花園のあまりに静穏な浄らかさはなんとなく私を不安にする。それは私が余りに不純な欲望に満ちた動物だからかもしれない・・・"

…と、聴く側の資質にも触れつつ、これに続く美に結びついた文面も実に含蓄深くてよい…と思う。自身全部が全部理解出来ているのか?とは甚だ疑問ながら、それでも現代の演奏家さん方のリサイタルに赴く機会も増え、特に好きなヴァイオリニストさんも出来、その音と佇まいを愛し追いかける様になって感じ得るところは多いです。そして都度、その'黑衣こそふさわし'い古えの藝術家の(生)演奏に想いを馳せるのであります🙂

#諏訪根自子 #NejikoSuwa #深井史郎

婦人公論 1946(昭和21)年 5月1日 第三百四十八號(5月号)
『水を想ふ』 と題されたご自身による欧州時代、占領下パリそしてウィーン滞在中の回想中心の随想が掲載されています。 そのとても美しく含蓄深く、詩的な文面に思わず惹き込まれてしまいます。 「芸術家・表現/求道者の視点はかくも」…と、その繊細且つ流麗な演奏を聴くかの如き世界観に感嘆。 "音樂といふ怪物のやうな藝術のかたはしにしがみついて生きてゆく運命を考えるのです" と、ふっ‥と先人、その道程・途上に自らを重ね、悟りにも似た覚悟の一節をもらされているのも印象的。 終戦直後、まだ数ヶ月の頃。瓦礫と化した東京、日本を思う心にも打たれるが、表題の"水"に喩えられ全てが静かなる力強さに溢れ、ポジティヴである事。其れに何より打たれ震えます・・・ #諏訪根自子 #nejikosuwa
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/39
アサヒグラフ 1946(昭和21)年 1月 5日 第四十五巻 第一號
終戦の年、その暮れ12月6日。抑留先の米国よりジェネラル・ランデル(General George M. Randell)号(AP115)にて浦賀港に帰国。 その直後に記者が捉えた根自子さんのお写真が、翌'46年初1月5日号のアサヒグラフ誌に掲載されている。 欧州留学、その最後の何年かは正に熾烈な欧州戦線の戦火を掻い潜っての10年振りの祖国と相成られる・・・ 無下にも消毒殺虫墳の白い粉を頭部から噴霧されたのをスカーフで隠し、化粧っ気もなく…変わらずお美しいが頬は大きく痩け疲労の色は隠せない。 無遠慮な記者/カメラマンは容赦無く、質問を浴びせフラッシュを焚く…。 同誌には同じ船便で降り立ってそのまま巣鴨に連行となった大島元駐独大使の写真も、皮肉たっぷりの年初カルタとなって掲載されている。當然、自身が語っておられた通り「国をミスリードした」事実は紛れもないし、擁護する気もないがこのマスコミの掌を返した様なあからさまな扱い(根自子さんも後に別件で苦しめられる事となる‥)には、大島氏に限らず現代まで続きまったく・・・と思ってしまう。 まぁそのお写真(女性には酷な)をこうして掲載するのも同義だが・・・ 6日の日付に関せば、艦のwikiによれば「11月25日にシアトルを出港して12月10日に横浜港着」とあるので又改めましてその辺りも確認したいと思います。 【'24/8/31追記】 なんと!この浦賀港のご帰国時の映像(ニュースリール)の存在を示唆する表記がありました! 「配光の悪い数秒のニューズリールの中に」・・・で始まる一文、 「喪服のような黒い衣装の彼女が昔のままの暗い表情で右から左に切れるのを見た。それは引揚船がある日本の港についた光景であつた。それは暗鬱な曇り日だつたにちがいない。」 暗鬱なのは仕方のない事でありましょう?"昔のままの暗い…"表記は戦前にこの作曲家さんが直に会われた時の印象からのものと前後の文脈から察します。その出所もまた追って。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #帰国
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/132

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