音樂之友 1947(昭和22)年 1月號 1月1日 發行 㐧5巻㐧1號

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昭和21年11月12日 -夜

この日は10月から継続中の東京・大阪での歸朝第一回公演後の地方公演中日、6日の名古屋公演と18日の埼玉公演間一旦の帰京中、ラジオ放送に臨まれたのでしょう。しかも"初"とありますので恐らくご自身、この時が帰国後/戦後初めてのラジオ出演だったと推測されます。

"初"。とは言え遡りますこと14年前、既に戦前よりNHK⬇︎をはじめ良質な音で音盤化(CD/LP)もされております在欧(ドイツ)時収録も含め幾多のご出演を経験されております。

https://muuseo.com/nine_o_nine/items/65?theme_id=39653

当『音楽之友』誌の巻頭1ページ目に「グラビアノ頁」としてそんなラジオ放送演奏の貴重なお写真が掲載されております。惜しむらくは戦後の紙統制で紙質が極端に悪いこと。それはこの頃の雑誌全てに言えることですが…。

NHK東京放送会館 3階 第一スタジオ(373㎡)は有観客対応の大規模スタジオ。この5年後、同スタジオよりラジオ生放送番組として紅白歌合戦がスタートする事になります(写真4枚目)。

3年後の昭和24年のNHKラジオ放送では保存用のアセテート盤が現存しており、なかなかに厳しいコンディションながら聴ける状態まで丁寧に修復された『ブラームス:ヴァイオリン協奏曲』をCDで堪能する事が出来ます。この放送も、そして他にもきっとNHKのアーカイヴス中や何処かに埋もれているであろう音源もいつの日か耳に届くことを祈願しつつ・・・

#諏訪根自子 #NejikoSuwa #NHK

ラヂオ年鑑 昭和8年版 1933(昭和8)年 6月發行
NHK放送記録「天才少女ヴァイリニスト諏訪根自子さんの處女放送」 昭和7年5月18日 愛宕山演奏室にて "既に子供(當年十三歳)の業ではない。その後度々出演して居るから放送記録の付記は避けるが、 大人をして文字通り顔色なからしめるその妙技はラヂオに於いても大きな見付けものであつた。" と大きな驚き、そして略歴・評(シュメー女史/モギレフスキー氏)と共に記載されてあります。 演奏曲は… *ヴュータン:協奏曲ニ短調作品三一 *ジボリ:G線上のサラバンド *サラサーテ:アンダルシアの華想曲 *リース:やすみなき動き (いずれも記載まま) この数日前、東京朝日新聞5月12日 紙面上で告知されてます。 書籍としては昭和8年6月10日 發行。 *因みに、NHK 愛宕山の東京放送局(AK)は1925(大正14)年から1939(昭和14)年移転するまで、芝での実験/仮放送後の最初期の日本のラジオ報道・番組放送を発信しました。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #NHK
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/65

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