Hitoki Nishimura
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手にする物 捨てる踏ん切りも付かないまま手当たり次第にため込んで60余年 最近は家族から断捨離を強く勧められ・・・”ガラクタも千年経てば国宝になる”と強く抵抗しているものの・・そんな折このMuseumの存在を知り 整理を兼ねて皆さんにお披露目をして踏ん切りをつけたいと思います。ただ中途半端に多岐にわたっている為Empire-State-Building並みの高層階になってしまいそうですが 興味のある方はご観覧ください。
1992年川崎球場からわが街 幕張にやって来た。当初首位でスタートしたものの
すぐに失速のまま最下位で閉幕も地元にはキャップ等グッズを大量に無料配布し12球団最下位人気の汚名挽回に努めていた。 僕は子供のころから西鉄ファンで
当初あまりロッテには興味が無かったが、中西太が監督(代行)になってから応援するようになった。その後バレンタイン監督になってから町内を気さくに自転車に乗ってる監督の姿にほれ込みファンにのめり込む。ただMVPほど熱狂的ではありませんが2001年頃から現在まで毎年50試合以上観戦しています。ロッテグッズがそこそこ貯まっていますので、これを機会にちょっと整理を兼ねてお披露目したいと思います。
--パディントン駅で古ぼけたスーツケースの上に座っているところをブラウン夫妻に発見される。彼のコートには「このくまをよろしくお願いします」("Please look after this bear. Thank you.")と書かれた札がついていた。彼はルーシーおばさんによって「暗黒の地ペルー」から送られてきた密航者として到着したのである。ブラウン一家に自分のスペイン語の名前は「発音しにくい」ことを伝えると、一家は彼のことを出会った駅名をとってパディントンと呼ぶことにした。一家は彼をポートベロー・ロード(英語版)近くのウィンザー・ガーデン32番地にある自宅へ連れて行く。パディントンは礼儀正しい紳士的なくまであるが、彼のまわりはひっきりなしにトラブルが巻き起こってゆく。何とか上手くいくように努力し、最後には丸くおさまっていく。ペルーから来たマーマレードが大好きなクマのイギリスでのドタバタ騒動がつづられていく。(福音館書店 くまのパディントンより)--
1981年 ソニープラザサンシャイン池袋に1号店で、その時の印象はあまり可愛くもない熊のヌイグルミでしたが、赤いハットと鮮やかな青いダッフルコートが印象に残り、又 付いていたタグ"Please look after this bear. Thank you."で思わず購入、その後 英国のパティントン駅に行く機会があり ハマる。
2005年 千葉ロッテマリーンズは31年ブリ日本一に輝き、交流戦、パリーグ優勝、アジア選手権優勝とバレンタイン監督の下、最強軍団を作りあげました。
それまで あまり優勝や勝ちにこだわりも無く?自信の無かったチームでしたが、相手を挑発し、試合前に話題で優位に立とうと応援団を鼓舞する球団の姿勢がポスターに現れ始めた時期でした。
毎年セ・パ交流戦が近づいてくると気になるのが千葉ロッテマリーンズの相手チームを挑発する内容のポスターですよね。
2005年に交流戦が始まった時にスタートしたこのポスターですが、毎年相手チームを「上から目線で小馬鹿にしている」のと「ユーモアの効いた風刺」のギリギリのところを攻めているのが人気の秘密かもしれません。
2018年は成績が不振だったこともあり、「今年はやらないのでは」という噂が出たほどでしたが、結果的にはアンビグラムを使った見事なポスターが作られました。
そこで今回は今年はどうなるのかを想像しつつ、
1993年:「心・技・体 '93」
1994年:「激闘」
1996年:「One at a time(一つ一つを大切に)」
1998年:「Play Hard '98」
1999年:「For The Team」
2000年:「For the Team 2000」
2001年:「For the Team Strive for Victory(チームのために勝利に向かって奮闘しよう)」
2002年:「For the Team」
2003年:「Ambition for Victory (勝利への執念)」
2004年:「This year is beginning of the future.(今年から未来が始まる)」
2005年:「BUILDING OUR DREAM!〜夢をみんなで〜」
優勝直後には「We built our dream(夢を叶えたぞ)!」の文字が公式サイトに現れた。
2006年:「Let us do it again(もう一度夢をみんなで)」
2007年:「All Hands to The Flag! 〜結束、フラッグのために〜」
2008年:「A Passion for Our Dream, A Commitment to The Flag(夢に情熱を、フラッグに誓いを)」
2009年:「Remember 〜1969―2008、2009〜」
2010年:「和」
2011年:「和 2011」「今こそみんなで和の力」
「今こそみんなで和の力」は東日本大震災復興スローガン。
2012年:「和のもとともに戦おう」
2013年:「翔破〜頂点を目指して〜」
2014年:「翔破〜頂点へ、今年こそ。〜」
2015年:「翔破〜熱く!勇ましく!!泥臭く!!!〜」
2016年:「翔破~熱き心で~」
2017年:「翔破~限界を超えろ!~」
2018年:「マクレ」
2019年:「マウエ↑」
2020年:「突ッパ!」
2021年:「この1点を、つかみ取る。」
2022年:「頂点を、つかむ。」
2023年:「今日をチャンスに変える。」
1992年千葉マリンスタジアムを本拠地に移転しましたが まだまだ弱く、マイナーだったロッテ(応援団)が、何とかオリジナリティあふれる応援をと、ひねり出したのが Jリーグを参考にした白いタオル廻スタイル(一説には球場全体を飛び回るカモメのイメージ)が考案され球場全体に一体感の応援がされた。その後プロ野球はベンチ入りできる選手が25人なのですが、ロッテではファンを26番目の選手として、それをフラッグに印字し統一感のある応援に変わりました。(千葉ロッテマリーンズの公式ファンクラブの名称としてTEAM26公式登録)現在は観戦者も多くなり、試合を落ち着いて見れないと苦情も多くなり、拍手応援に変わりつつあります。