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プラレール JR西日本 N700系7000番台新幹線電車(S19編成)
N700系7000・8000番台は九州・山陽新幹線直通列車用に投入された独自仕様のN700系である。 外観こそ東海道・山陽のN700系と大きく変わらないが、九州新幹線特有の条件に合わせ中身は大きく異なるものとなった。 JR西日本所属車は7000番台S編成、JR九州所属車は8000番台R編成を名乗る。 中古ショップにて3両で安く出ていた上にちょうどセール中だったので衝動買いしたものですが、新動力かつライトなしなので初出である「新幹線みずほ・さくら高架トンネルセット」に含まれていたものです。 この仕様の九州N700はこれだけなのでややレアな方だとか。 完全な色違いでもよかったはずですが、中間車は7号車をモデルに新造して作り分けされています。 当該セット発売は実車のデビューと同日でしたが、その前日に震災が起きてしまったので大きな話題にならず「いつの間にか走り出してた」という印象になってしまいましたね。 車番貼り付け程度で特に手は加えていません。 1号車 781-7019 7号車 788-7719 8号車 782-7019
プラレール タカラトミー 新幹線みずほ・さくら高架トンネルセットけにー's電池鉄道館
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プラレール JR東海 0系新幹線電車(SK8編成)
1984年、「こだま」利用率の低下と国鉄の財政悪化を理由に「こだま」用K編成が12両に短縮された。先頭車が21次車以前の編成はS編成、22次車以降の編成はSK編成となった。 ただしK編成からの単純なユニット抜き取りではなく経年車の置き換えも同時に行われた他、12両化完了後も6両R編成への転出や100系の増備で「ひかり」H・NH編成から外れた車両の転入も相次いだため複雑な組み換えが行われている。 分割民営化後、JR東海が承継した編成は9号車と10号車の2+2化が行われ、程なくしてバブル景気を迎え利用数が増加に転じたためふたたび16両編成に戻された。 0系の引退に合わせて発売された長編成セットは当時買えなかったのですが、フリマアプリで地の色が著しく日焼けした中間車が手に入ったのでこれを持っていた車両および別に用意したグリーン車と組み合わせて編成にしました。 組成にあたって1・11・12号車はベースをアイボリーに塗り替え、変色していた2・5号車は上からグランプリホワイトを吹いて色味を調整しています。 0系は組み換えが相次いだため、大窓小窓が混在する編成を再現する場合は年代まで特定する必要がありひたすら編成表とにらめっこしていたのですが無加工で再現できる編成がこの「民営化後のSK8編成」くらいしかなかったです。 同じSK8でも民営化前後で別物になっているとは… 組み換え後のYK58編成でもよかったのですが、YK編成になったのと同時にサイドの大きなJRマークがなくなっています。 さよならセットの編成にグリーン車を挟むのであればこちらですね。 1号車 21-2005 2号車 26-2009 5号車 37-2512 8号車 16-108 11号車 25-2009 12号車 22-2005
プラレール タカラトミー イベント限定 0系新幹線けにー's電池鉄道館
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プラレール 日本国有鉄道 1000形新幹線試作電車(A編成)
第二次世界大戦後、復興にしたがって道路・鉄道共に需要が逼迫し、日本の鉄道網の中心であった東海道本線の輸送能力はもはやパンク寸前の状態にあった。 これを解消するべく、国鉄は同じルート上に標準軌規格の新路線を建設し、輸送能力向上と高速化を図ることを決定した。 折しも鉄道技術研究所から「東京-大阪間3時間」の構想が打ち出され、しかも戦前に計画されたものの戦争の中で中止されていた「弾丸列車計画」のために用地買収済みの区間や着工済みだったトンネルが利用できる状態にあったのも追い風であった。 だが、当時は「これからの輸送は自動車と航空機の時代」というのが定説であり、今更巨額を投じて路線と車両を新規開発するという計画は常に疑問視されることとなった。 しかし、当時の国鉄や鉄研には敗戦によって行き場をなくしていた航空・軍事産業や南満州鉄道出身の優秀な技術者が集っており、彼らの尽力によって前代未聞の高速鉄道の実現に必要な研究が急速に加速していった。例を挙げれば、蛇行動を抑える台車の振動防止技術は零戦由来、安全な運航を支えるATCの開発者は旧陸軍で信号装置の開発をしていた人物である。 さらにこの時期には動力分散方式を用いた「電車」の高性能化も急速に進んでおり、広軌軌道が整備できれば高速運転は可能という素地は出来上がっていたのである。 かくして1962年、鉄研のある国立に近く弾丸列車のために買収も済んでいた鴨宮に試験用路線が整備され、試作車両6両2編成が製造されてついに試験走行が始まった。 電動超特急ひかり号を種車にした改造品です。中間車から複製したパンタグラフを載せてベースのアイボリー以外を塗装しました。 ちなみに光前頭は原型保存車に取られたので3Dプリンターで作った自作品です。 かつての復刻ブームの時期に初代ひかり号金型で1000形が出ていたら?という意図で作ったのであえてアイボリーは成形色のままにています。 箱も作ってみました。想定した時期に合わせて9代目箱のフォーマットにしています。「MISSING LINK 仮想復刻版」というのはトランスフォーマーの復刻シリーズに寄せたもの。 ただ、種車が一両しか入手できていないので1002しかいません。もう一両手に入れて1001も作ったら更新します。 …「2000年代の仮想復刻版」なのでそれに則るなら新動力を載せたいですが後尾車ベースで新メカ載せた方が早いかも。 2号車 1002
プラレール トミー(現タカラトミー) 改造品 電動超特急ひかり号セットけにー's電池鉄道館
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プラレール 日本国有鉄道 0系新幹線電車(H2編成) 「ひかり1号」
東京オリンピックを目前に控えた1964年10月、世界初の高速鉄道である東海道新幹線が開業を果たした。 その最初の車両がこの0系新幹線電車である。 前代未聞の高速運転を実現するべく航空機の設計が反映され丸みを帯びたスマートなその姿は世界に「高速鉄道」のイメージを確立し、これからは自動車と航空機の時代となり鉄道は役目を終えるだろうという当時の世論を吹き飛ばしてみせた。 0系が好きなので2000番台金型の時点でかなり嬉しかったのですが、新幹線50周年というタイミングだったとはいえ「ライト付0系新幹線と東京駅セット」での最初期型登場はかなり衝撃でした。しかも中間車が一等車というこだわりぶり。 …ですが、0系が引退する頃には小6だった私。このぐらいになると大きな玩具セットを買えるような状況ではなく、さよならセットも持っておらず大窓車も「すごいの出たな―」くらいで見てるしかありませんでした。 そんな経緯だったので、「新幹線開業60周年記念 0系新幹線ひかり1号&超特急ひかり号セット」が発表されると即購入を決めて発売日にトイ〇らスに駆け込んで買ったのがコレです(笑)。 イベント限定版の「ライト付0系新幹線」ではモールドのみだったサボと号車札が印刷になり、開業一番列車「ひかり1号」H2編成が指定されました。また、なぜか銀色だった一等車客用扉の縁取りも金色に改められ、より実車に近づいています。 この個体は先頭車裏にアルミホイルを貼った上でライト付きシャーシに交換し、車番と先頭車スカートの編成番号標記を追加しています。 1号車 21-26 8号車 16-26 12号車 22-26
プラレール タカラトミー 新幹線開業60周年記念 0系新幹線ひかり1号&超特急ひかり号セットけにー's電池鉄道館
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プラレール JR西日本 700系7000番台新幹線電車(E15編成)
JR西日本はJR各社の中でも経営基盤が弱く、しかも都市部では私鉄、長距離では航空機とのシェア争奪が激しかったため乗客をいかに獲得するかが重要な課題であり、分割民営化当初より山陽新幹線においても普通車の2+2化やビュッフェ車の豪華化といったサービス向上を施した「ウエストひかり」や二階建て車を4両連結した「グランドひかり」、世界初の営業最高速度300kn/hを達成した500系を相次いでデビューさせてきた。 しかし、「ウエストひかり」に使用していた0系は最高速度が低く、しかもリニューアル工事を施したとはいえど老朽化も進んでいたため、それに代わる新たな山陽版「ひかり」を投入するべく作られたのがこの700系7000番台"インテリジェント・サルーン"「ひかりレールスター」である。 2000年の実車デビューに合わせて発売された「高架ステーション 700系ひかりレールスターセット」に付属していた車両です。 箱こそ残っていませんが中身はフルセットきっちり揃っていました。 初期製品の色替えであるため、造形的には先行試作車C0編成がプロトタイプになっているのが特徴です(後に単品化した時にパンタグラフのみ量産仕様に変更されましたが、業務用扉はそのままになっています)。 E15編成の編成番号と車番を貼り、単体で入手して改造に回したリニューアル製品から中間車のロゴを移し替えたほか、昔床下のダクトと方向幕・座席表示に色を差したのをそのままにしています。 編成番号の指定もその頃に手書きしていたものを引き継ぎました。 1号車 723-7015 2号車 725-7615 8号車 724-7515
プラレール タカラトミー 高架ステーション 700系ひかりレールスターセットけにー's電池鉄道館
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プラレール JR東海 N700S新幹線電車(J40編成)
N700S新幹線電車は2007年に登場したN700系をさらに改良し、初期車両置き換えとサービス向上を図った東海道・山陽新幹線における2025年時点で最新型の車両である。 N700Sの"S"は"Supreme"のSであり、N700系の「改良型」であるN700A、"Advance"を超える「最高の」N700であることを意味する。 本形式の登場による700系C・B編成置き換えをもって、東海道区間内の新幹線車両は全てN700シリーズで統一された。これは0系以来35年ぶりのこととなる(ただしN700・N700AとN700Sは別の形式である)。 東海道・山陽を走るJR東海所属のJ編成、JR西日本所属のH編成の他、西九州新幹線用としてJR九州所属のY編成がある。 「新幹線開業60周年記念 新幹線 N700S Wチャイム仕様」をベースに3号車と13号車を追加した6両です。 このバージョンは5号車がサウンド仕様となっていて走行と停止に合わせて東京-新大阪間「のぞみ号」の車内放送を聴くことができ、モードチェンジにより「AMBITIOUS JAPAN!」と「会いに行こう」を切り替えられるプレイバリューの高い一品です。 1次車ラストナンバーであるJ40編成を指定し、車番と追加した車両の号車札を貼ったほか動力シャーシを駆動音が静かなリアルクラスのものと交換し、アナウンスが聴きやすいようにしました。 1号車 743-40 (動力車) 3号車 746-540 (プラキッズ車) 5号車 745-340 (サウンド車) 12号車 745-640 13号車 745-540 (プラキッズ車) 16号車 744-40
プラレール タカラトミー 新幹線開業60周年記念 新幹線 N700S Wチャイム仕様けにー's電池鉄道館
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プラレール JR東海 923形新幹線電気軌道総合試験車(T4編成)
923形新幹線電気軌道総合試験車、通称ドクターイエローは営業列車と同等の速度で走行しながら軌道と架線の点検を行う新幹線車両である。 0系新幹線をベースとしていた先代・922形は最高速度が220km/hと低かったため、東海道新幹線区間を走行する車両を300系以降の車両で揃えて高速化に対応するべく2000年にT4編成が、2003年にT5編成が投入された。 走行スケジュールは原則非公開であるため狙ってその姿を見ることは難しく、誰が言ったか「見ると幸せになる」という一種のラッキーアイテムのようにも扱われていた。 投入から25年に渡って東海道・山陽新幹線の安全を担ってきたが、T4編成は2025年1月をもって引退した。残るT5編成も2027年の引退が発表されており、以後は営業運転車両のN700Sに検測装置が搭載される予定だ。 実車は引退してしまいましたが、登場以来根強い人気を持つドクターイエローです。現行のモデルは2007年の「自動のりかえ駅とドクターイエローセット」で初登場し、その後2014年の新メカシャーシ登場と共に単品化され、現在もラインナップされています。 こちらの個体は単品版と「いっぱいつなごう 923形ドクターイエロー」の3~5号車を組み合わせ、ジャンクセットに入っていた号車札のない2号車(「N700系ステーション」版でしょうか?)を反転し6号車としたフル編成です。 全車両に車番表記、3~6号車に屋根上の号車表記、6号車に号車札を追加、1号車の列車無線アンテナの一つを白で塗装しました。 ちなみに、私は実物が走っているところを一度だけ見たことがあります。といってもJR新山口駅で行われていたイベントの最中にふと見ると通過していったため写真もないし、T4かT5かもわからなかったのですが… 1号車 923-1 2号車 923-2 3号車 923-3 4号車 923-4 (プラキッズ車) 5号車 923-5 6号車 923-6 7号車 923-7
プラレール タカラトミー S-07 ライト付923形ドクターイエローT4編成 いっぱいつなごう 923形ドクターイエローけにー's電池鉄道館
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電動超特急ひかり号
東海道新幹線の開業を目前に控えた1963年、トミーは既存の「プラ汽車」シリーズの規格に合わせて手転がしの「プラスチック夢の超特急」を、翌64年には電動仕様の「電動超特急ひかり号セット」を発売した。 開発された時期が時期なので量産車の0系ではなく試作車の1000形がプロトタイプとなっており、カラーリングも大きく異なる赤と白というものであったが、注目の新型車両をいち早く製品化したこともプラレールシリーズが鉄道玩具の代名詞としての地位を築く一因となったのであろう。 当方所有の個体はネットオークションで入手したもので、1968年のセット品「トミー ふくせんプラレール」に含まれていたものです。 ボロボロでしたが箱も残っていました。(※) 当初は不動でしたが、分解整備を行って無事走れるようになりました。整備によりギアボックスのナット留め化、動力車輪を新動力時代のものに交換、リード線の交換をしています。 後に追加で入手した金属カプラー仕様の中間車を2両目に連結し、4両編成となっています(ボディマウントカプラーに通すためカプラー先端を少し削りました)。 (※)当初箱無しと思っていましたが部屋を片付けようとしまっていたダンボールを見たら底の方に箱が入っていました。
プラレール トミー(現タカラトミー) 1960年代 トミー ふくせんプラレールけにー's電池鉄道館