- FW12C Museum
- 5F 1978🏁FORMULA 1
- 1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
SUPER SWEDE 無冠の帝王
ロニー・ピーターソン 散る
1978年ロータスの復帰した
ロニー・ピータソン
チームメイトはマリオ・アンドレッティ
本格的なグランドエフェクトカーLOTUS79
この年の待遇は表面上は同等であったが
実際はマリオにマシンの優先使用や
GYのスペシャルタイヤの提供があった
ピーターソンはR3南アフリカと
R12オーストリアでこの年2勝
チームオーダーもありマリオは6勝
逆転チャンピオンの可能性が残された
R14イタリアGP スタート直後の
多重クラッシュにより両足に重度の骨折
命に別状は無いと思われたが
翌日の足の手術後に急変し帰らぬ人となった
享年34歳 その後年間2位が確定して
獲得51Pとともに生涯ベストリザルトとなった
ピータソン亡き後スウェーデンドライバ―の
勝利者は無く 同国でのF1開催も現在まで無い
🏁ロニー・ピーターソン (スウェーデン)
【決勝出走回数】122回(入賞42回-表彰台26回)
【予選最高位】 PP(14回)
【決勝最高位】 優勝(10回)
【ファステストLAP】 ( 9回)
真適当工作
2022/12/29 - 編集済みこのスタート直後のクラッシュはテレビで観ましたが凄かったですね❗
ピーターソンはその場は大丈夫だったんですね❗
ドイツだったら、助かったかも⁉️
ニキラウダの時はドイツの医学だったから助かったという話を聞きました、聞いた話ですが、体を凍結させて代謝を遅らせて治療をしたとか?
もうダメだということで神父を呼んで祈りを捧げていたとか、、、、けどこの声はラウダは聞こえていたそうです、、。あくまでも聞いた話ですが。
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FW12C
2022/12/29直後は意識もあり会話もできてたそうで手術後
コーリン・チャップマンも一安心して帰宅したあと急変したようです😿
ドイツの方が医療体制がしっかりしていたようですが‥どうなっていたか…
翌年はマクラーレンに移籍が決定していたようです
生きていたならば1980年代のチャンピオン争いも変わっていたかもしれませんね
toyochanさんコメントありがとうございます♪(^^🎶
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