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1977 3RD QUARTZO LOTUS 78 M.ANDRETTI〖🏆4〗
年間最多4勝 日本GP2年連続PP ロータス78 マリオ・アンドレッティ 1977年マリオ・アンドレッティは ロータスから初のF1フル参戦 チームメイトはグンナー・ニルソン 開幕からニューマシンロータス78を投入 予選では圧倒的な速さでPPを7回獲得 R4アメリカWEST GP/R5スペインGP連勝 R9フランスGP/R14イタリアGPも勝利で 年間4勝はこの年の最多勝利 しかし途中3戦連続リタイア含む 4戦ノーポイントが響き年間ランキングは3位 最終戦R17日本GP(富士SW)予選2年連続PP 決勝はスタート失敗後 2週目に ジャック・ラフィー(リジェ)と接触してリタイア 翌1978年もアンドレッティはロータスに残留 ロータス78もR5モナコGPまで使用された モデルはQUARTZO R4アメリカ WEST GP仕様 予選3位→決勝 WIN マリオのF1通算勝利は12勝であるが 地元アメリカGPでの勝利はこの1勝のみ タバコ【John Player Special】が添付済みで発売
241029 M.ANDRETTI 1977 4回FW12C
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1974 10TH SPARK LOTUS 76 J.ICKX
フェラーリから移籍ジャッキー・イクス 失敗作 LOTUS 76 JPS Mk.I 1974年前年度フェラーリを 途中離脱したジャッキー・イクスは 名門ロータスに移籍 チームメイトはロニー・ピーターソン 旧モデルロータス72Eで R2ブラジルGP 予選5位→決勝3位 移籍後の初入賞を飾る R3南アフリカGPから新車LOTUS76を投入 変速時のクラッチ操作をシフトレバーの スイッチで行う電磁クラッチなるものを採用 これは後に普及する 2ペダルシフトと セミオートマチックシフトの先取りの発想 しかし新システムに慣れなかった事もあり イクスは導入から3戦連続のリタイア 一旦LOTUS72Eに戻された後 再度76を導入も再び連続リタイア 結局旧車LOTUS72Eが導入さたGPでの 3位2回など4度の入賞にとどまり LOTUS76では5戦中すべてリタイア 年間ランキングは12ポイントで10位 モデルはスパーク R5イクスの地元ベルギーGP仕様 予選16位→決勝リタイア SPARKのF1初期のシルバースリーブと SPARKロゴ台紙仕様 タバコブランド John Player Special貼付加工
240615 J.ICKX 1974 2FW12C
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1982 (33RD) SPARK LOTUS 91 G.LEES
日本助っ人ドライバーパイオニア ジェフ・リース F1ラストLOTUS 91 ジェフ・リースは1980年数チームでF1に エントリーしたものの8戦中決勝は2回のみ 1981年はヨーロッパF2にステップダウンも 3勝をあげてシリーズチャンピオン 1982年はR8カナダGPにエンサインより スポット参戦予選25位→決勝リタイア 同年R11フランスGP 欠場したナイジェル・マンセルの代役で ロータスより出場 予選24位→決勝12位完走 これがF1でのラストレースとなった その後日本に渡り 1983年全日本F2 チーム イクサワで 8戦中4勝をあげてシリーズチャンピオン 1978~1986年開催した同シリーズで 唯一の外国人のチャンピオン 日本のモータースポーツにおける 外国人助っ人のパイオニア的存在で 1987年はF1 HONDAエンジンの テストドライバーも務めた モデルはスパーク R11フランスGP仕様 予選24位→決勝12位 タバコブランドJPSデカール加工 リースの1戦限りのロータス91 🏁ジェフ・リース (イギリス) 【決勝出走数】 5回(入賞0回 予選落7回) 【予選最高位】 16位 1979年 TYRRELL R10ドイツ 【決勝最高位】 7位 1979年 TYRRELL R10ドイツ https://muuseo.com/FW12C/items/697
240210 G.LEES 1982 12FW12C
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1975 (23RD) SPARK LOTUS 72F J.WATSON
ロータス72シリーズ 最終盤72F ジョン・ワトソン LOTUS 72F 1975年ロータスは前年度投入の LOTUS76が失敗作に終わり信頼性の高い LOTUS72Eを再び主戦場に戻した シーズン終盤には最終盤の72Fを投入 Fタイヤのオーバーヒート改善の為 ホイールベースを5CM伸ばし フロントのトレッドを拡大 リアサスにはコイル・スプリングが採用 レギュラードライバ―であった ジャッキー・イクスの離脱後は 3名のドライバ―が起用され R11ドイツGPではサ―ティスが欠場した為 同チームのドライバ―J・ワトソンを起用 予選ではLOTUS72E型のR・ピータソン(18位)を 抑えてワトソンは14位を獲得 しかし決勝は両者とも1~2周目リタイアと 不振のシーズンを象徴するレースとなった ワトソンは翌戦はサ―ティスに戻り さらに最終戦はペンスキーで出場した モデルはスパーク ドイツGP仕様 予選14位→決勝リタイア このGPはタバコスポンサーの John Player Specialの文字は無く JPSロゴマークのみとなっている 1975年ワトソンの主戦 チームサーティス↓ https://muuseo.com/FW12C/items/1511?theme_id=32702
231102 J.WATSON 1975 6FW12C
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1973 2ND SPARK LOTUS 72E E.FITTIPALDI〖🏆3〗
エマーソン・フィティバルディ 連覇ならず LOTUS 72E 1973年エマーソン ロータス4年目 ワールドチャンピオン連覇がかかった チームメイトはロニー・ピーターソン 前半6戦で3勝 2位1回 3位2回と好調 しかし安全性向上のためルールが改善され 新ルールが施行にあわせたLOTUS 72Eが エマーソンに合わずその後4戦ノーポイント 予選でもピーターソンがPP9回に対し エマーソンは僅か1回に終わる R13イタリアGPではエマーソンに チャンピオンの可能性があったものの 先行するピーターソンにチームオーダーを 出さずピーターソンが優勝 チームに不信感を抱いたエマーソンは 翌1974年にマクラーレンに移籍 チームは2人のドライバ―で7勝 2年連続コンストラクターは死守した モデルはSPARK PLANEX COLLECTION別注 この年唯一のPPのR12オーストリアGP仕様 決勝はトラブルで11位完走 John Player Specialが添付済み このGPの優勝はピータソン
230903 E.FITTIPALDI PLANEX COLLECTION 1973FW12C
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1975 16TH QUARTZO LOTUS 72E J.ICKX
イクス最後の2位はハーフポイント チーム途中離脱 LOTUS 72E 1975年 ジャッキー・イクスはロータス2年目 チームメイトはロニー・ピーターソン 基本設計が1970年であるロータス72Eでは 両ドライバ―とも如何ともできずに苦戦 イクスの唯一の入賞はR4スペインGP R・シュトルメ(チーム ヒル)が混乱の中 トップ走行中にリヤウイングが脱落 ガードレールに激突して観客席に落下 観客を巻き込む痛ましい大事故となり 全75周中29周でレースが終了 レースの消化が75%未満の為 史上初のハーフポイントとなったレースで 事故でのハーフポイントは現在まで唯一のGP (他のハーフポイントは雨によるもの) 結果これがF1生涯最後の2位表彰台 イクスの通算表彰台は25回 イクスはロータスのR10地元イギリスGP前に チームを離脱 この年は他チームでは走らず 翌1976年にウイリアムズからエントリー 更にシーズン途中でエンサインに移籍した #F1-1975年
230427 J.ICKX 1975 6FW12C
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1978 2ND QUARTZO LOTUS 78 R.PETERSON〖🏆2〗
ロータス復帰 ロニー・ピターソン 最後の乗車マシン LOTUS 78 1978年ロニー・ピーターソンは 1976年の開幕戦以来のロータスに復帰 チームメイトはマリオ・アンドレッティ 序盤戦は前年度のモデルLOTUS 78で参戦 モデル仕様のR3南アフリカGP 予選は11位に沈むも 決勝は徐々に順位を上げ ファイナルラップでトップ走行の P・デュパイエ(ティレル)を 激しいサイドバイサイドの競いを制し 最後は0.4秒差での逆転の勝利を飾る LOTUS 78はR6戦まで使用して PP 1回 優勝1回 入賞4回 FL1回 後ニューマシンLOTUS 79が導入された 運命のR14イタリアGP ピータソンは決勝前のウォームラップで LOTUS 79をクラッシュさせてしまい 決勝には旧車のLOTUS 78で出場 スタート直後の事故に巻き込まれて 後日 帰らぬ人となってしまい LOTUS 78が最後の乗車マシンとなった https://muuseo.com/FW12C/items/1334 #F1-1978年
230317 R.PETERSON 1978 3回FW12C
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1976 10TH SPARK LOTUS 77 G.NILSSON
グンナー・ニルソン スウェーデン出身 F1デビュー チームロータス LOTUS 77 スウェーデン海軍で無線技士として 所属していたグンナー・ニルソン 1975年 イギリスF3チャンピオン 1976年 同郷のロニー・ピータソンの離脱を 受けR2南アフリカ ロータスからデビュー R5スペインGPからパーネリの活動が終了した マリオ・アンドレッティがチームメイト そのスペインGPで予選7位→決勝3位 この年のロータスと自身のF1初ポイント その後リタイアが多かったものの モデル仕様のR11オーストリアGPでも シーズンベスト予選4位→再び決勝3位 最終戦 F1グランプリINジャパン 富士 豪雨の中サバイバルで生き残り6位入賞 ◆R16日本(富士SW)予選16位→決勝6位◆ 表彰台2回 入賞4回 11Pで年間10位 翌1977年もロータスに残留 病魔とも闘う最後のシーズンを迎える #F1-1976年
230225 G.NILSSON 1976 6FW12C
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1978 【WORLD CHAMPION】 SPARK LOTUS 79 M.ANDRETTI 〖🏆6〗
WORLD CHAMPION M・アンドレッティ ロータス最期の栄冠 LOTUS 79 1978年前年4勝をあげたLOTUS78で 前半戦を戦い 開幕戦アンドレッティが勝利 ニューマシンのLOTUS 79はR6ベルギーより投入 アンドレッティは見事初戦PPから勝利 その後も4勝をあげるとともに LOTUS 79の5勝中4回がTMのR・ピータソンと 1・2 フィニッシュを決める安定な走り R・ピータソンの悲劇があったものの M・アンドレッティはアメリカ人としては 1961年 フィル・ヒル(フェラーリ)以来の ワールド・チャンピオン チーム ロータスも1973年以来 コンストラクターチャンピオンを獲得 結果ロータス最期の栄冠ともなった モデルはロータス79 初戦のベルギーGP仕様 次戦からのオリンパスのスポンサーがつく前で John Player Specialロゴの位置が異なる 1戦限りのロータス79のスポンサーロゴ配置 https://muuseo.com/FW12C/items/1334?theme_id=41104
230130 M.ANDRETTI 1978 3回FW12C
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1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
SUPER SWEDE 無冠の帝王 ロニー・ピーターソン 散る 1978年ロータスの復帰した ロニー・ピータソン チームメイトはマリオ・アンドレッティ 本格的なグランドエフェクトカーLOTUS79 この年の待遇は表面上は同等であったが 実際はマリオにマシンの優先使用や GYのスペシャルタイヤの提供があった ピーターソンはR3南アフリカと R12オーストリアでこの年2勝 チームオーダーもありマリオは6勝 逆転チャンピオンの可能性が残された R14イタリアGP スタート直後の 多重クラッシュにより両足に重度の骨折 命に別状は無いと思われたが 翌日の足の手術後に急変し帰らぬ人となった 享年34歳 その後年間2位が確定して 獲得51Pとともに生涯ベストリザルトとなった ピータソン亡き後スウェーデンドライバ―の 勝利者は無く 同国でのF1開催も現在まで無い 🏁ロニー・ピーターソン (スウェーデン) 【決勝出走回数】122回(入賞42回-表彰台26回) 【予選最高位】 PP(14回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 ( 9回)
221229 R.PETERSON 1978 6FW12C
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1976 6TH REVE COLLECTION LOTUS 77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
日本におけるF1レース 初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 富士スピード ウェイ 予選ポールポジション獲得は マリオ・アンドレッティ自身の F1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた こちらはその日本GP優勝モデル REVE COLLECTION レインタイヤ仕様 REVE COLLECTIONはSPARK JAPAN設立前に MINIMAX社と輸入代理をしていた国際貿易が 日本に縁のあるモデルを別注でリリース ドライバ―フィギュアレスで 台座が通常版よりしっかりした作り #F1-1976年 #1976年 #1976年F1世界選手権イン・ジャパン #F1
220925 M.ANDRETTI 1976 1回FW12C
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1984 3RD SPARK LOTUS RENAULT 95T E.DE.ANGELIS
エリオ・デ・アンジェリス キャリアベスト 年間3位 LOTUS RENAULT 95T ロータス5年目のアンジェリス TMは4年連続でナイジェル・マンセル 新車LOTUS 95Tはレギュレーション 変更に合わせ小型化 タイヤを ピレリ→グッドイヤーに変更 開幕戦ブラジルでPP獲得→決勝3位 その後は開幕から10戦連続完走 9戦入賞 4度の表彰台と安定した走り 最高位はモデル仕様のR8アメリカEAST デトロイトGPでの予選5位→決勝2位 優勝は無かったもののマクラーレンの N・ラウダ A・プロストに次ぐ年間3位 アンジェリスのキャリアベスト 翌1985年もアンジェリスはロータスに残留 N・マンセルが移籍でA・セナが加入する こちらのモデルは2022年6月に発売 John Player Specialのタバコデカールが 最初から添付された状態で販売 今後はこれがスタンダードとなるのか?? それも含めてか値段もUPされ SPARK F1モデルは定価が 2009年発売当初に比べて約2400円UP 時代の流れなので仕方ないのでしょうか… #F1-1984年
E.DE.ANGELIS 11 1/43 John Player SpecialFW12C
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1976 6TH SPARK LOTUS77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
パーネリよりロータスに移籍 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年アンドレッティはパーネリ所属も 開幕戦チームは欠場でロータスより参戦 予選16位→決勝はリタイア このGPでTMのR・ピータソンはチーム離脱 パーネリ撤退後再びR4スペインより ロータスより参戦 TMはG・ニールソン LOTUS77は低迷を続けていたが トニー・サウスゲート加入後徐々に改善 R7スウェーデン予選2位とFLを獲得 R12オランダ R14カナダで3位表彰台後 最終戦F1世界選手権イン・ジャパンを迎える #F1-1976年 #LOTUS77 #1976年 #F1
M.ANDRETTI 1976 1回 6FW12C
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1976 (31ST) SPARK LOTUS 77 B.EVANS
ボブ・エバンス イギリス出身 ロータスで2戦限りの出走 パープルのヘルメットが特徴の ボブ・エバンスは 1975年BRMでデビュー R6ベルギーの決勝9位が最高位 1976年は開幕戦限りでR・ピータソンが ロータスを離脱したことに伴い 急遽ロータスから2戦限りの出走 チームメイトはG・ニルソン R2南アフリカ予選23位→決勝10位 R3アメリカWESTは予選落ち R4以降はパーネリ撤退後の マリオ・アンドレティがロータスに再加入 エバンスはその後地元R9イギリスGPで チームRAMよりブラバムBT44Bで スポット参戦 予選22位→決勝リタイア ◆R16日本(富士SW)は未出走◆ エバンスのF1参戦はこの年限りで終了 #F1-1976年 #F1
B.EVANS 1976 5 1/43FW12C
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1984 10TH PMA LOTUS RENAULT 95T N.MANSELL
ナイジェル・マンセル ロータス最終年 自身初のポールポジション LOTUS 95T 1984年ロータスは開幕より新車95Tを投入 前年度後半の94Tをレギュレーションに合わせ 小型化 タイヤはピレリ→グッドイヤーに変更 マンセルはR6モナコGPで予選2位から 決勝は初のラップリーダーを5周記録も 大雨の中スリップしてリタイア R9アメリカGPでは自身初となるPPを獲得 マンセルのF1通算PPは32回 決勝は35周目までTOPを守るも K・ロズベルグ(ウイリアムズ)に抜かれTOP陥落 これが結果ウイリアムズ HONDAの初優勝につながる マンセルは入賞圏内を走行も チェッカー目前で壁にあたりミッション破損 自ら押してチェッカーを目指し 観客から大きな拍手で迎えられたが 体力が無くなり気絶して倒れてしまう (結果は3周遅れの6位完走扱い) 1984年完走5回はすべて入賞も残りはリタイア マンセルらしい結果で年間順位は10位 TMのE・アンジェリスは3位と大差をつけられた スポット参戦を含め5年間過ごした ロータスでの成績は3位(5回)が最高 A・セナの移籍もありロータスを離れ 翌1985年はウイリアムズ HONDAに移籍する #1984年 #LOTUS #マンセル #F1-1984年
N.MANSELL 850 12 1/43FW12C