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2016【WORLD CHAMPION】IXO MERCEDES F1 W07 HYBRID N.ROSBERG〖🏆9〗
🔲🔲🔲2016🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 MERCEDES F1 W07 HYBRID ⬜⬜ N.ROSBERG⬜⬜ 🔲🔲🔲全21戦🔲🔲🔲 【出走】21回【PP】8回 【優勝】 9回【FL】6回 親子2代チャンピオン ニコ・ロズベルグ 父は1982年チャンピオン ケケ・ロズベルグ 同じカーナンバー【6】でのチャンピオン獲得 親子2代でのワールドチャンピオンは グラハム・ヒル/デーモン・ヒルに続く2例目 奇しくもヒル親子/ロズベルグ親子とも 親から子のチャンピオンの間隔が同じ34年 ロズベルグはこの年の表彰式で突如引退発表 ワールドチャンピオン獲得後の同年引退は 1993年アラン・プロスト(ウイリアムズ)以来 F1通算23勝 この年途中でチャンピオンタイトル無しの 最多勝ドライバーとなったがすぐに返上 再びスターリング・モス(16勝)に戻った デビュー戦でFL/7位入賞のバーレーンGPとは 相性が良く 出場11年すべて完走も 勝利はチャンピオン獲得の2016年のみだった #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇩🇪ニコ・ロズベルグ (ドイツ) 【決勝出走数】206回 (入賞133回-表彰台57回) 【予選最高位】🚩PP(30回) 2012年🔲MERCEDES ① 2013年🔲MERCEDES ③ 2014年🔲MERCEDES ⑪ 2015年🔲MERCEDES ⑦ 2016年🔲MERCEDES ⑧ 【決勝最高位】🏆️優勝(23回) 2012年🔲MERCEDES ① 2013年🔲MERCEDES ② 2014年🔲MERCEDES ⑤ 2015年🔲MERCEDES ⑥ 2016年🔲MERCEDES ⑨ 【FastestLap】🏁FL(20回) 2006年🟦WILLIAMS ① 2009年🟦WILLIAMS ① 2012年🔲MERCEDES ② 2014年🔲MERCEDES ⑤ 2015年🔲MERCEDES ⑤ 2016年🔲MERCEDES ⑥ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 2016年 BMERCEDES (9勝/21戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ RN-2465
250227 N.ROSBERG F1マシンコレクション 2016FW12C
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1974 7TH SPARK McLAREN M23 D.HULME〖🏆1〗
デニス・フルム ラストイヤー 最後の勝利 McLAREN M23 1974年フルムはマクラーレン7年目 チームメイトはロータスより エマーソン・フィッテパルディが移籍 ワールドチャンピオン コンビ サードドライバーはマイク・ヘイルウッド 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位 決勝 終盤2位を走行 地元の英雄カルロス・ロイテマン(ブラバム)に トラブルが発生 ラスト2周でパスし そのままチェッカー 自身通算8勝目 R5ベルギーでファステスト・ラップ R12オーストリア 決勝2位以外の入賞は 6位が5回と精彩を欠き エマーソンの2度目のチャンピオンを 見届けて自身はF1から引退した モデルはSPARK Marlboro加工 開幕戦アルゼンチンGP 予選10位→決勝WIN 自身最後の8勝目 8勝は全ての国(サーキット)が異なる デニス・フルム以降~現在まで ニュージーランド出身ドライバーの勝利は無い #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇳🇿デニス・フルム (ニュージーランド) 【決勝出走数】111回 (入賞61回-表彰台33回) 【予選最高位】🚩PP 1973年🟥McLAREN R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆️優勝(8回) 1967年🟩BRABHAM R02 モナコ 1967年🟩BRABHAM R07 ドイツ 1968年🟥McLAREN R09 イタリア 1968年🟥McLAREN R10 カナダ 1969年🟥McLAREN R11 メキシコ 1972年🟥McLAREN R02 南アフリカ 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1974年🟥McLAREN R01 アルゼンチン 【FastestLap】🏁FL(9回) 1966年🟩BRABHAM R05 オランダ 1967年🟩BRABHAM R01 南アフリカ 1967年🟩BRABHAM R06 イギリス 1971年🟥McLAREN R10 カナダ 1972年🟥McLAREN R09 オーストリア 1973年🟥McLAREN R02 ブラジル 1973年🟥McLAREN R07 スウェーデン 1973年🟥McLAREN R08 フランス 1974年🟥McLAREN R05 ベルギー ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1967年 BRABHAM (2勝/11戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 2413
250202 D.HULME 1974 1回FW12C
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2009 13TH PMA BMW SAUBER F1.09 N.HEIDFELD
the story will be at a later date. 2406
250129 N.HEIDFELD 2009 6FW12C
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1990 7TH PMA WILLIAMS RENAULT FW13B R.PATRESE〖🏆1〗
99戦 6年7カ月ぶりの勝利 リカルド・パトレーゼ WILLIAMS FW13B 1990年 R・パトレーゼはウイリアムズ3年目 チームメイトは前年同様ティエリー・ブーツェン ルノーエンジン復帰2年目 前年度のマシン改良版のFW13B R3サンマリノGP 予選3位 決勝残り10周でG・ベルガー(マクラーレン)を かわしトップに立ちそのままチェッカー ブラバム時代の1983年最終R15南アフリカGP 以来となる6年7カ月 99戦ぶりの勝利 当時の最大ブランク期間での優勝となった 2018年キミ・ライコネン(フェラーリ)が 113戦で記録更新(5年7カ月) ブランク年数としては現在においても最大 表彰台はこの1回のみに終わるが 終盤戦はFLを4回記録するなど エンジンとのマッチングが進みつつあった 翌1991年もウイリアムズに残留 N・マンセルとコンビを組む事となる モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 タバコBARCLAY仕様 長い間FW13Bの量販モデルは発売が無く 限定数が430台と少なかった事もあり 人気のモデルとなっている
241229 R.PATRESE 4回 430FW12C
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2009 13TH PMA BMW SAUBER F1.09 N.HEIDFELD
2009年 モナコGP MINI 誕生50周年記念ロゴ 2009年 BMW 4シーズン目の ニック・ハイドフェルド R6モナコGP MINIの生誕50周年記念とした エンジンカウルに Happy birthday MINI 仕様 BMW特注台紙 ハイボック MINIのデカールでモナコGP仕様に変更 予選17位→決勝11位と成績は振るわず 2356
241225 N.HEIDFELD 2009 6FW12C
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2001 6TH PMA WILLIAMS BMW FW23 J.P.MONTOYA〖🏆3〗
コロンビアの暴れん坊 モントーヤ F1デビュー WILLIAMS BMW FW23 ファン・パブロ・モントーヤ(コロンビア) コロンビア出身ドライバーは 1983年ロベルト・グェレロ(セオドール) 以来2人目 2024年現在も2人のみ 1998年 国際F3000チャンピオン 4勝 1999年 米CART チャンピオン 7勝 CARTルーキーイヤーのチャンピオンは 1993年のナイジェルマンセル以来2人目 2001年ウイリアムズよりF1デビュー チームメイトはラフル・シューマッハ R3ブラジルGP トップ走行中に 周回遅れのヨス・フェルスタッペン (アロウズ)に追突され勝利を逃すも R5スペインGP 初入賞を2位表彰台で飾り R9ヨーロッパGP 初FL→2位フィニッシュ R12ドイツGP 予選初PP と着実に進み R15イタリアGPで予選PPから初優勝 年間ランキングはラルフ(4位)に敗れるも 31ポイントでルーキーイヤーで6位獲得 モデルはミニチャンプス モントーヤの初優勝となった R15イタリアGP仕様 予選PP→決勝WIN (GP MONZA, SEPTEMBER 16TH 2001) ウイリアムズオリジナルのブルーの台紙
241201 J.P.MONTOYA 2001 3回FW12C
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1977 8TH REVE COLLECTION LOTUS 78 G.NILSSON
日本GP限定 インペリアル・タバコカラー グンナー・ニルソン LOTUS 78 1977年 ニルソンはロータス残留 チームメイトはマリオ・アンドレッティ マシンは元祖グランド・エフェクトカー ロータス・78が開幕戦から投入された ニルソンは2度の5位入賞後 R7ベルギーGP 予選3位 決勝はニキ・ラウダ(フェラーリ)との 争いを制し自身初優勝を初FLで飾る シーズン後半は7戦連続リタイアと精彩を欠き ロータスを離れ 翌1978年はアロウズと契約 しかし契約後の健康診断で癌が見つかり休養 アロウズのシートはR・パトレーゼに譲った その後1977年の最終戦日本GP出走から わずか約1年後 29歳の若さでこの世を去った 亡くなる少し前には同年事故死した ロニー・ピーターソンの葬儀に参列していた モデルはREVE COLLECTION R17日本GP仕様 予選14位→決勝リタイア JPSの姉妹ブランドIMPERIALのカラー このペインティングは日本入国後に 富士スピードウェイ近くで実施 真紅のカラーはニルソン最後マシンとなった 🏁グンナー・ニルソン(スウェーデン) 【決勝出走数】31回 (入賞9回-表彰台4回) 【予選最高位】3位(2回) 1977年 LOTUS R7ベルギー 1977年 LOTUS R9フランス 【決勝最高位】 WIN 1977年 LOTUS R7ベルギー 【ファステストラップ】 1回 1977年 LOTUS R7ベルギー
241115 G.NILSSON 1977 1回FW12C
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2008 12TH PMA RENAULT F1 TEAM R28 N.PIQUET(Jr.)
歴代12番目 F1親子ドライバー N・ピケJr.デビュー RENAULT R28 ネルソン・ピケJr. ブラジル出身 父は3度のワールドチャンピオンN・ピケ 母はオランダ人で生後間もなく両親別居 幼少期はモナコで過ごしたのち 母の希望で父のF1引退後 8歳でブラジルへ 2004年 イギリスF3 チャンピオン(3勝) 2006年 GP2 シリーズ2位(4勝) 2008年 ルノーよりF1デビュー チームメイトはフェルナンド・アロンソ 序盤はリタイアが続き途中解雇も噂されたが R7フランスGP 予選11位→決勝7位初入賞 R10ドイツGP 予選17位 決勝は1回のピットストップ直後に セーフティカーが導入され 他車がピットインした事で ピケJr.一時は首位を走行(6周) 最終的にはキャリア唯一の2位表彰台を獲得 最高位2位のドライバーの1人 しかしR15シンガポールGP 14周目にピケJr.はクラッシュを起こしたが これはアロンソを勝たせるための チームから故意の指示だった事が後に判明 クラッシュゲートとして知られ F1界を震撼させた重大事件となった モデルはミニチャンプス 2008年はルノーはNOREVとの契約の為 台紙にドライバー名を使用できずに カーナンバーNo.6のみの表記となっている
240604 N.PIQUET(Jr.) 2008 6FW12C
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2022 20TH PMA WILLIAMS MERCEDES FW44 N.LATIFI
ニコラス・ラティフィ ラストイヤー? キャリア唯一の予選Q3 FW44 ニコラス・ラティフィ カナダ出身 2019年 GP2 4勝 ランキング2位 2020年ウイリアムズにてF1デビュー 2022年はウイリアムズ3年目 チームメイトはジョージ・ラッセルに代わり アレクサンダー・アルボンとなった R10イギリスGP 予選でキャリアベストとなる Q3進出し予選10位 決勝は12位 チームメイトのアルボンだけでなく 代役のニック・デ・フリースにも 予選・決勝ともに敗れる苦しい立場 R18日本GPでシーズン唯一の9位入賞も 時すでに遅しで翌シーズンのシートは喪失 残念ながらこのままF1ドライバーとしての キャリア終了の可能性が高い モデルはミニチャンプス R18日本GP鈴鹿 予選20位→決勝9位 このレースは途中赤旗中断となり レースは再開されるも3時間ルール適用で 28/全53周でレースが終了している ウイリアムズチームのオリジナル台紙で 決勝レインタイヤ装着仕様となっている
240602 N.LATIFI 2022 240FW12C
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1966 10TH IXO FERRARI 312 L.SCARFIOTTI
フェラーリ/イタリア人/イタリアGP勝利 L・スカルフィオッティ FERRARI 312 ルドビコ・スカルフィオッティ イタリア出身 祖父はフィアット社創設時に出資した9人の1人 自身は1963年よりフェラーリでスポット参戦 同年L・バンディーニと組んで ルマン24時間レースを制している 1966年は2戦のみスポット参戦 R6ドイツGPは旧型フェラーリ246で 予選4位→決勝はリタイア R7イタリアGPはフェラーリ312で予選2位 チームメイト マイク・パークスがPP 決勝は序盤はトップが1周ごとに入れ替わる 展開も終盤はパークスと一騎討ちとなり 28周目(全68周)からトップに立ち優勝 パークスと1・2フィニッシュを決めた フェラーリでのイタリア人ドライバーによる イタリアGPの勝利は1952年の アルベルト・アスカリ以来2人目で 2024年現在もこの2人のドライバーのみ スカルフィオッティのF1での勝利は このイタリアGPのみ唯一のFLも記録している モデルはIXO デアゴスティーニ フェラーリ公式 F1コレクション 62号 1966年~1969年まで使用された312は 史上最も美しいマシンの1つともいわれており 後の312B 312Tシリーズで1980年まで使用 #1966年
240527 L.SCARFIOTTI フェラーリF1コレクション 1966FW12C
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2000 10TH HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA EJ10 J.TRULLI
ヤルノ・トゥルーリ ジョーダン移籍 自身初の予選フロントロー JORDAN EJ10 約2年半所属したプロストグランプリを離れ 2000年トゥルーリはジョーダンに移籍 移籍に関しては前年度同チームで引退した デーモン・ヒルの推薦も影響した チームメイトはハインツ・ハラルド・フレンツェン R2ブラジルGPでの4位入賞がシーズンベスト 予選では自身初となるフロントローを R7モナコGP R13ベルギーGPで記録も 決勝では4位1回 6位3回の入賞にとどまった 後半戦R11ドイツGPからは改良型のEJ10Bが 投入されたがマッチせずこのマシンで トゥルーリは決勝ノーポイントに終わった チームもコンストラクターランキング 前年度3位から6位となりポイント獲得も 前年比1/3以下と大きく後退した モデルはHOT WHEELS GP表記の無いRACE CAR仕様 この年ジョーダンのモデルは当初 HOT WHEELSのみのリリースであったが 後にジョーダンチームセットの ドライバーフィギュア無しで ミニチャンプスからも発売された(画像2)
240318 J.TRULLI 2000 6FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1999 6TH PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 R.SCHUMACHER
ウイリアムズに移籍 ラルフ・シューマッハ 孤軍奮闘 WILLIAMS SUPERTEC FW21 1999年ウイリアムズに移籍の F1 3シーズン目のラルフ・シューマッハ チームメイトはインディ帰りの アレサンドロ・ザナルディ 約2年落ちのルノーエンジンである スパーテックエンジンで苦戦の中 開幕戦オーストラリアGP 予選8位→決勝3位表彰台 16戦中12戦完走中11度の入賞 R12イタリアGPでは2位表彰台を 自身初のファステストラップで記録 ラルフの生涯FLは8回 チームメイトのザナルディが無得点の中 孤軍奮闘で表彰台3回35P 年間順位は6位 1999年評価を上げたドライバ―の1人であった チームはメカクローム(ルノー)エンジンと別れ 翌2000年はBMWエンジンでの参戦となる モデルはミニチャンプス タバコスポンサーのWinfieldの赤をベースに フェニックスをイメージしたようなカラー 1999年のみのカラーリング 同モデルはホットウィールからも発売 #1999年
231121 R.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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1975 (23RD) SPARK LOTUS 72F J.WATSON
ロータス72シリーズ 最終盤72F ジョン・ワトソン LOTUS 72F 1975年ロータスは前年度投入の LOTUS76が失敗作に終わり信頼性の高い LOTUS72Eを再び主戦場に戻した シーズン終盤には最終盤の72Fを投入 Fタイヤのオーバーヒート改善の為 ホイールベースを5CM伸ばし フロントのトレッドを拡大 リアサスにはコイル・スプリングが採用 レギュラードライバ―であった ジャッキー・イクスの離脱後は 3名のドライバ―が起用され R11ドイツGPではサ―ティスが欠場した為 同チームのドライバ―J・ワトソンを起用 予選ではLOTUS72E型のR・ピータソン(18位)を 抑えてワトソンは14位を獲得 しかし決勝は両者とも1~2周目リタイアと 不振のシーズンを象徴するレースとなった ワトソンは翌戦はサ―ティスに戻り さらに最終戦はペンスキーで出場した モデルはスパーク ドイツGP仕様 予選14位→決勝リタイア このGPはタバコスポンサーの John Player Specialの文字は無く JPSロゴマークのみとなっている 1975年ワトソンの主戦 チームサーティス↓ https://muuseo.com/FW12C/items/1511?theme_id=32702
231102 J.WATSON 1975 6FW12C
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1972 (30TH) CP MODEL EIFFELAND 21 R.STOMMELEN
流体力学的独創デザインマシン アイフェラント21 R・シュトルメン アイフェラント・ボーゲンバウは ドイツのキャンピングメーカー F2時代にロルフ・シュトルメをサポート 1972年にはF1にプライベートチームを設立 マーチ721の4号車を買取独自の施しを実施 スイス人デザイナーのルイジ・コラ―ニの 流体力学を重視した独走デザイン コクピット前方にエアインテークを設置 ドライバ―の目の前にバックミラーがあり 支柱も空気抵抗を配慮した断面形状 ドライバ―頭部の後方も流線形のような 気流を乱さぬようなデザインであった シュトルメンの予選最高は14位 決勝最高は10位が2回とポイント獲得は 無かったものの完走は8戦中6回 R4モナコGPでは元々の車体のマーチ721で 出場した他の5台よりも先着の決勝10位 モデルのCar No6はR5ベルギーGP仕様 予選20位→決勝11位完走 しかし資金が底をつきR9オーストリアで アイフェラントはF1から撤退した F1デザインの独創的な名車(迷車)特集では よく登場する唯一無二のアイフェラント21 CP MODEL (国際貿易)が量販モデル化
230503 R.STOMMELEN 6 1/43FW12C